↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生片付け王子の灰境領再生記〜捨てられた者たちの居場所をつくります〜  作者: 片付け心理小説家・伊藤勇司


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/9

第7話・片付け王子、汚部屋を美しいと言う。

鼻を刺す臭い。

湿った布と、腐った食べ物。足元を、小さな虫が横切る。


目だけでなく、身体まで、この場所の荒れ方を感じ取っていた。

ただ、俺は意外と慣れていた。


前世では、片付け好きが高じて、知人や、その紹介先の家まで整理を手伝っていた。足の踏み場もない部屋に入ったことも、一度や二度ではない。


俺は道の向こうで待っている二人に、今から行くという合図を目で送った。

そして、半開きの扉へ近づく。


「ロゼッタさん、いらっしゃいますか。今日から領主として参りました、リオと申します」


返事はない。

間を置き、もう一度声をかけた。


奥で何かが擦れる音はしたが、言葉は返ってこなかった。


隙間から、床に積もった紙や空き容器が見えた。

俺は一歩下がった。


「また、ご挨拶に伺います」


そう告げ、二人のもとへ戻る。


「やけに早かったじゃねえか。で、どうだった?」

「全然駄目でした」


笑って答えると、ギルベルトの眉が跳ねた。


「諦めるのも早すぎるだろ。……まあ、そんなもんか」

「諦めていませんよ。今は、そのタイミングじゃないと感じただけです」


「どういうことだ?」

「扉の隙間から、少し中が見えました。物がいっぱいで、歩く場所も狭くなっていました」


「だから、片付けろと言ってるんだ」

「はい。でも、今日初めて来た僕まで片付けの話をしたら、きっと同じように追い返されます」


部屋の中は見えた。

けれど、そこに住む人のことは、まだ何も知らない。


「少し時間をください。考えがあります」


ギルベルトは俺をじっと見た。

それから、短く鼻を鳴らす。


「好きにしろ。ただし、無駄に引き延ばすな」

「ありがとうございます」


「それとな。お前らの寝床だが、まともな部屋はねえぞ」

彼は管理棟のほうを指さした。


「一人につき一部屋。それだけだ。王家でぬくぬく育った王子様には、狭くて驚くかもしれねえがな」


     ◇


驚いた。


「……いいなあ」


寝台と机、小さな棚。

窓からは、通りの様子が見える。


必要なものに、数歩で手が届く。

これは、懐かしのワンルームではないか。


前世で初めて一人暮らしをした部屋を思い出した。

家具の位置を考えるだけで、何時間でも楽しめたものだ。


俺は、持ち物が少ない暮らしが好きだった。


王家の部屋より、こちらのほうが落ち着くかもしれない。

窓を開け、机の埃を拭く。


椅子を少しずらし、荷物を棚に収めた。

それだけで、部屋に自分の居場所ができた気がした。


隣室から、オズ爺が木箱を動かす音がする。

……あちらは、あとで様子を見よう。


     ◇


翌朝、九時。


俺はオズ爺と、再びロゼッタの家へ向かった。

オズ爺には少し離れて待ってもらう。


「おはようございます。リオです。ご挨拶に来ました」


返事はなかった。


「では、今日はこれで失礼します」


帰り道、オズ爺へ言う。


「明日も九時に来よう」


次の日も、その次の日も、同じようにした。


長居はしない。

返事を求めて扉を叩き続けることもしない。


訪問を終えたら、管理棟へ戻り、街の帳簿を読んだ。

分からないところを尋ねるたび、ギルベルトの眉間に皺が増えた。


そうして、一週間が過ぎた。


     ◇


「ぼっちゃま」

いつもの道で、オズ爺が声をかけてきた。


「何の反応もございませんが……いつまで続けられるおつもりですか」

「話ができるまで、続けるよ」


俺は前を向いたまま答えた。


「片付けてほしいと頼んだのは、ロゼッタさんじゃないからね。まず、僕が誰なのかを知ってもらいたいんだ」


オズ爺はしばらく黙って歩き、やがてうなずいた。


「承知しました」


家に着く。

俺は、いつもの場所に立った。


「ロゼッタさん、おはようございます。リオです」

「しつこいな、お前は!」


奥から、声が返った。

思わず、顔がほころぶ。


「あっ、初めて答えてくれましたね。ありがとうございます!」

「うるさい! 何がしたいんだ!」


「今日は、ご挨拶がしたいだけです」

「もうしただろ。帰れ!」


「はい、すぐ帰ります。ただ、一度だけ、顔を合わせてご挨拶させてもらえませんか」

扉の向こうが静まった。


「ロゼッタさんも、僕にとって大切な、この街の住民です。何も話さないままには、したくなくて」

「どうせ、中に入ったら捨てろって言うんだろ」


「言いません。勝手に物に触れたり、持ち出したりもしません。望まれるなら、ほかの人にも、無断で入って物を動かさないよう伝えます」


奥で、椅子が軋んだ。


「……お前に、そんなことができるのか」

「そのためにも、領主として話を聞かせてください」


長い沈黙のあと、声がした。


「挨拶だけだ。済んだら、すぐ帰れ」

「ありがとうございます」


俺は扉を開け、敷居をまたいだ。


     ◇


床は、ほとんど見えなかった。

袋や箱の間に、人が一人通れるほどの隙間がある。


服の裾を引っかけないよう、慎重に進んだ。


積まれた本。端が擦り切れた紙の束。

割れた器の横に、細かく文字を書き込まれたノートがある。


何度も消して、書き直した跡。

閉じきらない本からは、折り畳まれた紙が何枚もはみ出していた。


俺は、足を止めずに見ていった。

奥の居間で、女性が待っていた。


ふくよかな身体を、色褪せた部屋着に包んでいる。無造作にまとめた髪。

丸い眼鏡の奥には、警戒を隠さない目があった。


ロゼッタ・エルドラン。


彼女は椅子に座ったまま、俺を見下ろした。

俺は頭を下げる。


「はじめまして。リオ・アーヴェルです」

「用が済んだなら、もう帰りな」


「……一つだけ、いいですか」

「帰りな」


そっぽを向く彼女の傍らに、開いた本があった。

余白の隅まで、小さな文字で埋まっている。


俺はそのページから、彼女へ視線を戻した。


「玄関からここまで歩いてきて、思ったことがあるんです」


眼鏡の奥の目が、険しくなる。

俺は、口にした。


「この部屋、とても美しいですね」

椅子が大きく鳴った。


「おちょくってるのか、お前は!」

ロゼッタが立ち上がる。


「帰れ! 馬鹿にするために、毎日来てたのか!」

俺は、その場に立っていた。


臭いも、積み重なった物も、見えていないわけではない。


ただ、それだけではなかった。

彼女の目を、真っすぐに見る。


「茶化していません」


声を張らずに、もう一度伝えた。


「この部屋は、とても美しい。本当に、そう思ったんです」


ロゼッタの唇が動いた。

怒鳴り返すはずだった言葉が、出てこない。


帰れと指さしていた手が、宙で止まったままだった。


目の前の青い瞳に、嘲りはなかった。

彼女は初めて、自分の部屋を振り返った。


それから、何かを確かめるように、もう一度俺を見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。