第6話・片付け王子、厄災の影を知らず。
リオが、領主として最初の仕事へ向かっていた頃。
城塞都市ヴェルハイムでは、王家の旗を掲げた馬車が、重厚な城門をくぐっていた。
街道を見下ろす高い城壁。整然と並ぶ兵士。
沿道を埋め尽くす人々。
馬車の扉が開き、国王ヴィクトル・ヴァルディスが姿を現すと、歓声が湧き上がった。
続いて降り立ったのは、金髪の少年だった。
ユリウス・ヴァルディス。
十歳になったばかりのその名を、街の誰もが知っていた。
予言の英雄。
四大元素すべての資質を宿す、王家始まって以来の天才。
人々は背伸びをし、その姿を目に焼きつけようとしていた。
ユリウスは歓声に顔を向け、静かに手を上げた。
動作には、幼さを感じさせない落ち着きがあった。
父王が歩き出す。
少年は半歩後ろにつき、大聖堂へと向かった。
◇
大聖堂には、街の重役が集められていた。
守備隊長、騎士団の幹部、魔法師団の長。
神官、文官、そして街の物流を担う商人たち。
今年の出航の儀を受けて行われる着任式は、例年とは違っていた。
国王自らが赴き、今後の統治方針を告げる。
それほどの意味が、この街と、この少年にはあった。
扉が開く。
白い石床に、靴音が響いた。
ユリウスは居並ぶ者たちの間を進んだ。
磨かれた肩飾りに、色硝子を通した光が落ちる。
視線は、正面の祭壇から動かない。
人々の期待にも、値踏みするような目にも、歩調を乱すことはなかった。
教壇へ続く段を上り、父王の隣へ立つ。
その姿に、年若い領主を迎えたという感覚を忘れる者もいた。
すでに一人の王が、そこに立っている。
そんな錯覚さえ抱かせる、凛とした佇まいだった。
鐘が鳴り終わる。
国王が、一歩前へ出た。
「皆の者。今日より、予言の英雄ユリウスが、三年間、この街の領主を務める」
深い声が、大聖堂を満たした。
「ただし、従来の慣わしと同じものと考えてはならぬ」
国王は、列席者を見渡した。
「五年前の予言を、覚えているな」
その一言で、空気が変わった。
◇
五年前。
年の始まりを告げる託宣の儀で、祈祷師の声が途切れた。
燃え上がっていた炎が、不意に細くなる。
「な……これは……!?」
祈祷師の顔が歪んだ。
祭壇の縁をつかんだ指が、白くなる。
居合わせた者たちは、身じろぎもせず、その口元を見つめた。
やがて、掠れた声が落ちた。
「今より十年以内に、悪しき者の封印が解かれる」
誰かが、息をのんだ。
「その者の手によって、ヴェルハイムに厄災がもたらされるであろう」
炎が揺れた。
壁に映る人々の影が、長く伸びる。
「滅びの道へ進むか。救いの道へ誘われるか」
祈祷師の目は、炎の向こうを見据えていた。
「その明暗は、英雄と、その英雄に才を見出された者たちが、鍵を握る」
最後の言葉は、命令のように響いた。
「直ちに、備えよ」
その年の神事に、歓喜の声はなかった。
◇
「あれから、五年が経った」
国王の声に、列席者たちは顔を上げた。
「現時点で、厄災に直結する大きな異変は報告されておらぬ。だが、予言の期限まで、残るは五年だ」
守備隊長が、顎を引く。
「明日かもしれぬ。五年後かもしれぬ。期限まで何も起きぬと考えることは、許されない」
衣擦れの音が、静まり返った大聖堂に響いた。
封印の場所も、解かれる日も、神託は明らかにしていなかった。警戒と調査は続いている。それでも、確かな手掛かりは得られていない。
だからこそ、人々の視線は、一人の少年へ集まった。
「ユリウスは、この年にして四大元素魔法を自在に操るまでに成長した」
国王は、息子へ目を向けた。
「だが、才能に安住することなく、これよりも研鑽を重ねる。そして、この街を、厄災に耐えうる砦へと変えるのだ」
ユリウスは、静かにうなずいた。
「この三年間で、城壁、防備、補給を見直す。同時に、ユリウスを中心とした選抜部隊を編成する」
国王は、そこで一度言葉を切った。
「勇者のパーティーだ」
列席者の間に、わずかなざわめきが生まれた。
「我こそはと思う者は、名乗りを上げよ。共に鍛え、ユリウスに才を認められた者を、その中核に据える」
前列の騎士が、顔を上げた。
「選ばれた者には、任にふさわしい装備と待遇を与える。身分のみを理由に、門を閉ざすことはせぬ」
それまで黙っていた者たちの目にも、光がともった。
国王は教壇へ両手を置いた。
「皆の者。もう、時間は多く残されておらぬ。王国の命運を、この地で支えるのだ」
「私に、お任せください!」
最初に進み出たのは、頬に傷のある騎士だった。
「魔法師団からも、候補を出します」
「我が隊こそ、先陣を!」
次々と声が上がる。
ヴェルハイムには、王国随一の手練れが集まっていた。
鍛え上げた剣。磨き抜かれた魔法。
幾度もの戦いを生き抜いた経験。
それらが今、一人の英雄のもとへ集まろうとしていた。
ユリウスは、進み出た者たちを見渡した。
期待されることには、慣れている。
できて当然だと見られることにも。
だが今日は、その期待の向こうに、街ひとつの命があった。
父王の手が、肩に置かれる。
「応えてみせよ」
「はい、父上」
ユリウスは前を向いた。
「皆の力を、見せてください。僕も、全力を尽くします」
拍手が、大聖堂の天井へ駆け上がった。
英雄と、その英雄に才を見出された者たち。
神託の言葉が、ここで形になろうとしている。
その場にいる誰もが、そう信じて疑わなかった。
◇
「……おい。聞いてるのか、王子様」
ギルベルトの声に、俺は顔を向けた。
「はい。聞いています」
「さっきから、道ばかり見やがって」
「ここの水、ずっと流れていないんですね」
足元の溝に、濁った水がたまっていた。
折れた木片や布が引っかかり、流れを塞いでいる。
ギルベルトは一度そこを見て、先へ進んだ。
「それも、そのうち何とかしてくれ」
また仕事が増えた。
領主というのは、歩くだけで用事が見つかるらしい。
隣のオズ爺が、小さく鼻を動かした。
俺も気づいた。
湿った布と、腐った食べ物が混ざったような臭い。
曲がり角へ近づくほど、強くなる。
「あそこだ」
ギルベルトが足を止めた。
家の前には、割れた桶や木箱が積み上がっていた。
窓は内側から物で塞がれ、扉へ続く隙間だけが、細く残っている。
「さあ、王子様。そのお手並み、拝見させて頂こうか。」
俺は、目の前の扉を見つめた。
ここから、最初の仕事が始まる。
「オズ爺、ギルベルトさん。ここからは、ぼく一人で挨拶に行きます。遠目から見ておいてください。」
そう伝えると、二人は静かに頷きその場から離れた。




