第3話・片付け王子、領主になる。
十歳の誕生日に、領地をもらう。
そう聞けば、ずいぶん景気のいい話に思える。
ただし、三年間の期限付き。
税を集め、暮らしを守り、問題が起きれば解決する。
要するに、王族向けの実務研修だ。
失敗しました、では済まされない。
そこには、人が住んでいるのだから。
◇
鑑定の儀から、七年。
俺は再び、王都の神殿に立っていた。
今日は「出航の儀」。
十歳になった王家の子が領地を預かり、統治への第一歩を踏み出す日だ。
祭壇の前には、俺と、もう一人。
ユリウス・ヴァルディス。
金色の髪も、背筋の伸びた立ち姿も、よく覚えている。
違うのは、もう彼が、父親の隣で静かに座っている子供ではないことだった。
「少し、暑いな」
国王がつぶやく。
ユリウスが指を動かすと、大広間を涼しい風が通り抜けた。
宙に集まった水滴が、国王の杯を満たす。
祭壇の燭台には、触れもせず火がともった。
さらに、傾いていた大鉢の下で石床がわずかにせり上がり、その重みを水平に支える。どれも、会話を途切れさせないほど自然な動作だった。
四大元素魔法。
七年前、人々を驚嘆させた才能は、すでに彼の日常になっていた。
「久しいな、リオ」
「お久しぶりです」
「君の片付けも、上達したか?」
声に、露骨な嘲りはなかった。
それだけに、どう答えるべきか迷う。
「おかげさまで。城では重宝されています」
ユリウスは少し目を細めた。
その意味を考える前に、儀式が始まった。
◇
「ユリウス殿下には、城塞都市ヴェルハイムをお預けする」
広げられた地図に、金の印が置かれる。
王家の歴史とともに栄えた街。
街道が交わり、商人が集まり、堅固な城壁と熟練の守備隊を持つという。
「かの地には、代々王家を支える役人もおります。存分に御力をお振るいください」
拍手が起こった。
続いて、地図の端に、もう一つの印が置かれた。
「リオ殿下には、灰境領を」
拍手は、起こらなかった。
父上の手が、膝の上で固く握られる。
灰境領。街道から外れ、耕作地も荒れ、近年はまともな税収さえ上がっていない土地。
戦で働けなくなった者。家を追われた者。
罪を犯した者も、罪を着せられた者も。
行き場を失った人々が送られ、いつしか、そこから戻ってこなくなる。
俺でさえ、そんな噂を聞いたことがあった。
「陛下。あの地を、十歳の子に任せるのですか」
父上の声は、静かだった。
国王は、椅子の肘掛けを指でたたいた。
「領主の不在が続いておる。王家の者が赴くべきであろう」
「ですが、治安も、食料の備蓄も――」
「ならば整えればよい。その子の得意分野ではないか」
短い笑い声が漏れた。
「片付けるものには、事欠かぬぞ」
俺は、地図を見つめた。小さな印が一つ。
ここからでは、その下に暮らす人の顔は見えなかった。
◇
帰城してから、父上は何通も手紙を書いた。
領地の変更を求めるもの。物資の支援を願うもの。
返ってきたのは、決定を覆せないという返事と、わずかな支度金だけだった。
出発の前夜、父上に呼ばれて書斎へ入ると、一人の老人が立っていた。
白髪に、整えた口ひげ。
使い込まれた剣を腰に下げている。
「オズ爺?」
「お供いたします、リオ様」
オズワルド・グレイ。
俺が幼い頃から世話をしてくれた、父上の古い従者だ。
昔は近衛兵だったというが、俺がよく知るのは、庭で剣を教えてくれる姿と、壊れた玩具を捨てられずに困っている姿だった。
「でも、膝は?」
「雨の日に少し文句を申すだけです。持ち主より、おしゃべりでして」
いつもの真顔だった。
父上が、俺の前に膝をついた。
「リオ。務めを果たそうと、無理をしすぎてはいけない」
大きな手が、肩に置かれる。
「危ないと思ったら、帰ってきなさい。必ず」
俺は、うなずいた。
◇
翌朝。
馬車の荷台には、食料と工具、それから古い木箱が三つ。
俺は、オズ爺を見上げた。
「その箱、全部持っていくの?」
「必要なものばかりです」
一つ開ける。
欠けた茶碗。曲がった燭台。片方だけの手袋。
俺たちは、しばらく無言で見つめ合った。
「……出発前に、少し話そうか」
オズ爺は、そっと箱の蓋を閉じた。
領主として最初の仕事は、どうやら荷物の見直しになりそうだった。
「これは、使うの?」
「いつか、使うかもしれません」
「その“いつか”が来たら、考えようか」
俺たちは木箱を挟み、残すものと城に置いていくものを分けていた。
曲がった燭台を置いたオズ爺が、ふと手を止める。
「……私は、小さい頃からぼっちゃまをお側で見てまいりました」
「急にどうしたの?」
「子供とは思えぬ思慮深さや、時折、はっとさせられるお言葉。ぼっちゃまには、人には測れぬ不思議な力があるように思えてならんのです」
「それは、買いかぶりすぎだよ」
俺は苦笑した。
――前世では、一応、社会人だったからね。
胸の内で答えながら箱の底を探ると、指先に硬いものが触れた。
灰色の、いびつな石ころだった。
「オズ爺、これもいらないかな?」
「ぼっちゃま、それは……」
オズ爺が、少し身を乗り出した。
「昔、魔物討伐の帰り道で拾った石でして。何かの役に立つものではないのですが……眺めていると、不思議と気持ちが落ち着くのです」
言葉を切り、俺の顔をうかがう。
「どうにも捨てられず、持っておりました。それは、できれば持っていきたいのですが……」
俺は、石へ目を落とした。
表面の奥で、ごく細い光が揺れている。
呼吸をするように、淡く、ゆっくりと。
窓からの光ではない。
石そのものから、何かがにじみ出ているようだった。
少し気になったが、まずは目の前の困り顔に答えることにした。
「そっか。オズ爺が大切にしているものなら、持っていこう」
笑って差し出すと、オズ爺は両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
石は布に包まれ、彼の懐へ収まった。
◇
木箱三つ分の荷物は、一つになった。
荷台を確かめた父上が、感心したようにうなずく。母上と兄上たちに見送られ、俺は馬車へ乗り込んだ。
隣にはオズ爺。
その懐には、小さな石。
「では、参りましょうか。領主様」
「まだ、ちょっと慣れないな」
笑い合ううちに、車輪が回り始めた。
城が遠ざかる。
俺たちは、灰境領へ向けて出発した。




