第2話・片付け王子、片付け王子になる。
「リオ。おはよう。朝ですよ」
頬に触れる、柔らかな手。
薄く目を開けると、母上が寝台の横から俺をのぞき込んでいた。
「今日は、あの日ね」
カーテンの繕い目から朝日が漏れている。
見慣れた石の壁。少し傾いた衣装棚。
大阪のワンルームとは、ずいぶん違う目覚めにも、すっかり慣れてしまった。
俺がこの世界に生まれ直して、三年。
名前は、リオ・アーヴェル。
アーヴェル王家の第三王子である。
リオ。たった二文字だ。
前世では何度訂正しても「りょうま」と呼ばれていた俺だが、今世では、一度も名前を間違えられていない。
転生にも、こういう地味な恩恵があるらしい。
「……おはようございます、母上」
欠伸をかみ殺して答えると、母上――セシリアは、椅子の背に掛けてあった服を広げた。
普段着とは違う、襟のついた白い上着だった。
「お兄様たちのお下がりだけれど、お直ししたの。着てみましょう」
袖を通すと、手首のところに小さな青い刺繍があった。
擦り切れた箇所を覆うように、小さな花が咲いている。
「……きれいです」
「よかった。気に入ってくれて」
母上が襟を整えていると、扉の向こうで足音がした。
「リオ、起きた?」
顔を出したのは、二番目の兄、フィンだった。
返事を待たずに入ってくると、俺の周りをぐるりと回る。
「おっ、それ、僕も着たやつだ。ちゃんと王子様に見える!」
「フィン。リオはいつでも王子だろう」
後ろから、いちばん上の兄、レオンが入ってきた。
フィンの肩を軽く引き、俺の前にしゃがむ。
「神殿の床は滑るから、走るなよ。それと、父上のそばを離れないこと」
「はい、レオン兄上」
前世では一人で車を運転していた俺も、今では外出前の注意を受ける側だ。
もっとも、この短い脚で転ぶと、受け身を取る間もないので、ありがたい忠告ではある。
「どんな力かな。炎かな? 風かな?」
フィン兄上は、もう俺より楽しみにしている。
「帰ったら教えて。すごいのだったら、見せてね」
「まだ分からないだろう。リオを困らせるな」
レオン兄上にたしなめられ、フィン兄上は首をすくめた。
母上は笑いながら、最後に俺の袖口をなでた。
「さあ。父上が待っていますよ」
俺は、うなずいた。
今日は、鑑定の儀。
三歳になった王家の子が神殿へ赴き、生まれ持った資質を確かめる日だ。
魔法に秀でるのか。
剣を扱う才があるのか。
あるいは、別の何かか。
その結果は、将来の教育方針にも、王家での役割にも関わってくる。
しかも、今年は特別だった。
俺たちが生まれた年の初めに、神託があったという。
真理を見通す眼を持ち、世界を覆す英雄が生まれる――。
その年、王家に誕生した子は二人。
俺と、もう一人だけだった。
◇
馬車の車輪が、石畳の継ぎ目を拾った。
がたん、と身体が跳ねる。
父上――アルベルトの大きな手が、すぐに俺の肩を支えた。
「大丈夫か、リオ」
「はい、父上」
向かいの席で、母上が微笑んでいる。
膝の上には、俺のために包んできた小さなパンがあった。
城を出る前、レオン兄上とフィン兄上が、玄関に並んで見送ってくれた。
どんな資質だったか、帰ったら教えて。
そう言ってくれた声を思い出しながら、俺は窓の外へ目をやった。
王都に近づくほど、道は広くなり、家々は立派になった。
俺たちの馬車と並ぶものは、どれも塗装が艶やかで、車輪の音まで軽やかだ。
この国には、二つの王家がある。
かつては一つだったものが、遠い昔に分かれたのだという。
一方は、王都を治める「勇者の血筋」。
そしてもう一方が、辺境に小さな領地と古びた城を持つ、俺たちアーヴェル家。
人々は、俺たちのことを「呪われた血筋」と呼ぶ。
なぜそう呼ばれるのか。
父上たちは、まだ詳しく話してくれていない。
ただ、王都の人々が馬車の紋章を見るたび、笑みを引っ込めることは知っていた。
俺は、父上の横顔を見上げた。
この人が、誰かを呪っているところなど、見たことがない。
雨漏りの下に桶を置き、母上と笑い合っているところなら、何度も見ているけれど。
「父上」
「どうした?」
「もし、あまりよくない資質だったら……」
父上は、すぐには答えなかった。
俺の顔を見てから、大きな手で頭をなでた。
「まずは、確かめてみよう。その力をどう使うかは、一緒に考えればよい」
それを聞いて、ようやく少し、息がしやすくなった。
◇
神殿の大広間は、人で埋まっていた。
高い天井。
磨き上げられた白い床。
壁際には、華やかな衣装の貴族たちが並んでいる。
囁き声が重なっていたが、俺たちが入ると、その一部が途切れた。
視線が、白い上着の袖口に集まる。
俺は、刺繍のある手をそっと下ろした。
大広間の奥には、豪奢な椅子に腰かけた男がいた。
勇者の血筋を継ぐ国王、ヴィクトル・ヴァルディス。
王都の威容も、居並ぶ貴族たちも、彼の権勢を示していた。
その隣に、金色の髪をした少年が座っている。
俺と同じ三歳とは思えないほど、姿勢がよかった。
ユリウス・ヴァルディス王子。
生まれたときから、周囲に不思議な現象が起こったという。
火が揺れ、水が動き、風が吹いたと、大人たちは噂していた。
彼は、俺と目が合うと、小さく顎を引いた。
俺も、見よう見まねで頭を下げる。
「これより、鑑定の儀を執り行う」
大広間に、祈祷師の声が響いた。
中央の祭壇には、大きな透明の水晶が据えられている。
その下に、文字を映し出すための黒い石板があった。
あの水晶に触れると、神から授かった資質が、石板に示されるのだという。
「まずは、アーヴェル家第三王子、リオ殿下。こちらへ」
母上が、背中にそっと手を添えた。
一歩ずつ、祭壇へ近づく。
前世では、会議で発表するときだって、これほど注目されたことはない。
しかも、こっちは三歳児だ。踏み台まで用意されている。
俺はその上に立ち、水晶へ手を伸ばした。
ひんやりした感触。
指先の奥を、何かが静かに通り抜けた。
水晶に、淡い光がともる。
黒い石板の表面に、ゆっくりと文字が浮かび上がった。
祈祷師が、その文字を読む。
「資質――片付け」
……ん?
俺は、石板を見つめた。
もう一度、読む。
片付け。
待ってくれ。
炎とか、雷とか、そういうのは?
せめて、治癒とか、結界とか。
いや、片付けが嫌いなわけじゃない。
むしろ好きだし、前世でも得意だった。
けど。
生まれ変わって、王子になって。
神様から授かった能力まで、それ?
真理を見通す眼どころか、見慣れた散らかり具合を見通す眼、ということだろうか。
大広間の静けさを、短い笑い声が破った。
「……片付け、だと?」
国王が、口元を歪めていた。
「呪われた血筋とはいえ、ここまでとはな。王族に生まれて、授かるのが召使いの仕事か」
周囲の何人かが、つられるように笑った。
頬が熱くなる。
「将来は我が城へ来るがよい。使用人としてなら、働き口を用意してやれるぞ」
俺よりも、父上の顔が気になった。
せっかく母上が、服を直してくれたのに。
父上も、俺を連れて、ここまで来てくれたのに。
笑われるために、来たわけじゃない。
うつむきかけたところへ、聞き慣れた声がした。
「お気遣いには及びません」
父上は、俺のそばまで歩いてきた。
踏み台の上にいる俺と、目の高さを合わせる。
「リオ。よくできたな」
「でも、父上。俺……」
声が、少し詰まった。
父上の視線が、俺の袖口へ落ちる。
あの、小さな青い刺繍へ。
「母上が言っていたぞ。お前のおかげで、針仕事の道具を見失わなくなったと」
俺は顔を上げた。
糸と針と鋏が一緒になっていた籠を、分けて置くようにしただけだ。
前世の癖で、つい口を出しただけだった。
「私も、よく使う工具がすぐに見つかる。あれは、助かる」
父上は、俺の手を握った。
「お前の力に、もう助けられているのだな」
背後で、母上がうなずいていた。
「この服だって、リオが糸を分けてくれたから、すぐに縫えたのよ」
母上は周囲の笑い声に目を向けず、俺に微笑みかけた。
俺は、唇を結んだ。
泣くな。
中身は、いい大人だろう。
そう言い聞かせたのに、目の奥は熱いままだった。
◇
「続いて、ユリウス殿下」
俺が両親のもとへ戻ると、ユリウスが立ち上がった。
父親である国王が、その肩に手を置く。
「皆に見せてやりなさい」
ユリウスは小さくうなずき、祭壇へ向かった。
白い手が、水晶に触れる。
次の瞬間。
壁に並ぶ燭台の炎が、一斉に高く伸びた。
大広間を、風が駆け抜ける。
窓は、すべて閉じている。
祭壇の水鉢から、水が浮き上がった。
いくつもの滴が、真珠のように宙へ連なる。
床が、かすかに震えた。
祭壇を飾っていた小さな鉢植えが、枝を伸ばす。
固かった蕾が、目の前で花開いた。
火。
風。
水。
土。
四つの光が水晶の中で巡り、ユリウスの顔を照らしている。
俺は、息をするのも忘れていた。
……本物の、魔法だ。
石板に、文字が刻まれていく。
祈祷師の手が震えていた。
「火、水、風、土……四大元素、すべてに適性が……!」
誰かが、声を漏らした。
「そんなことが、あり得るのか」
「王家の記録には……一人として、おりませぬ」
祈祷師は、膝をついた。
「四大元素すべての資質を、その身に宿しておいでです」
大広間が、どよめく。
国王は、ゆっくりと立ち上がった。
「三年前の神託を、覚えておるな」
誰もが、その言葉を待っていたようだった。
「世界を覆す英雄。その誕生を、我らは今、確かめたのだ!」
歓声が上がった。
貴族たちが頭を垂れる。
祈祷師も、祭壇の少年へ深く礼をした。
「予言の御子に、祝福を!」
その声が、次々に重なる。
ユリウスは、まぶしそうに目を細めていた。
俺は、彼を見つめた。
少し前まで、俺と同じように順番を待っていた、同い年の子供。
けれど、もう誰も、俺と彼を並べて見てはいなかった。
◇
帰りの馬車で、母上が包みを開いた。
「お腹が空いたでしょう」
渡されたパンは、少し潰れていた。
俺は両手で受け取り、ひと口かじった。
甘い。
朝、母上が塗ってくれた蜂蜜が、真ん中に染みていた。
向かいで、父上が外を見ている。
その上着のポケットから、修繕道具の袋が半分のぞいていた。
紐がほどけ、金具が座席に転がる。
俺は、それを拾おうと手を伸ばした。
そのときだった。
金具の周りに、細い光が見えた気がした。
袋の中へ、すっと続く、淡い筋。
目をこする。
もう、見えない。
「どうした、リオ?」
「……いえ」
俺は金具を袋へ戻した。
中で引っかかっていた紐をほどき、道具の向きをそろえる。
口を閉じると、さっきよりも、ずっと小さく収まった。
「ありがとう。帰ったら、裏門の蝶番を直せそうだ」
父上は袋を受け取り、笑った。
城では、兄上たちが待っている。
レオン兄上には、転ばなかったと報告しよう。
フィン兄上には……まず、石板に出た文字から話すか。
俺は、もうひと口、パンをかじった。
世界を覆す英雄には、なれなかったらしい。
なら、とりあえず。
あの工具棚から、どうにかしてみるか。
前世で散々からかわれた、片付け王子。
どうやら今世では、本当の肩書きになってしまったようだ。




