悪夢は気づかぬうちに
「さ~え! テンション低いぞ! もっと上げてこうよ!」
「夏生に連絡してるからちょっと待って」
「はいはい、りょ~かい! 邪魔しないってば!」
放課後。冴はクラスメイトたちと遊んでいた。
冴の隣には、いつもいるはずの夏生の姿はない。
今日は担任から、クラス委員としての仕事を頼まれている夏生は、学校でその役目をこなしているからだ。
いつもはどこへ行くにも、必ず夏生を連れていく冴だが、クラス委員がある日だけは、そうするわけにもいかなかった。
だからこういうとき、冴はクラスメイトたちに時間を使うことにしていた。
冴が今いるような、ある程度の上澄みに居続けるためには、周りからの支持は必要だから。
自分の意思を押し通せるように、クラスでの立ち位置を維持するためには、こういう一見無駄にしか思えないようなことも大切だと、冴は理解していた。
だから冴は、夏生が学校での役目に拘束されているときくらいは、周りの石ころに時間を割くようにしていたのだった。
ただ必要だと理解していても、夏生がいないことに冴が納得しているかは別の話しだ。
本当なら冴は、夏生にクラス委員なんて辞めさせて、今日も自分の隣に居させたかったのだから。
春、クラスが始動して間もない頃、クラス委員決めをしたあの時間。夏生が男子のクラス委員を、押し付けられたような形で引き受けたとき、冴は自分もクラス委員になろうとした。
けれど、そんな冴の意向が叶わうことはなかった。二年の開始時に転入してきた転校生が出しゃばったせいで、すでに女子のクラス委員の枠は埋まってしまっていたから。
その転入生、芳賀雪奈は、クラスに少しでも早く馴染みたいからという理由で、自らクラス委員に立候補していた。
意欲的で献身性もある転校生の気持ちを誰もが後押しして、その立候補はあっという間に認められてしまい、冴が後から出る幕はなかったのだ。
あの当時冴は、自分の思惑を邪魔されたことで、雪奈を気に入らない対象に設定したが、それだけでなく、警戒の対象としても認定していた。
軽いノリで親しみやすい雪奈は、あっという間にクラスに受け入れられた。誰とでも気さくに距離を詰める雪奈は、見目の良い外見をしており、男子からの評判もすこぶるよかった。
だから同じクラス委員として、少なくない時間を共有することになるであろう夏生も、雪奈に対して特別な感情を抱いてしまうのではないかと、そう危惧したから。
ただそんな警戒を続けていたのも、春から梅雨に入るくらいまでのこと。
冴の心配など、まるで不要なものであると言うかのように、夏生は雪奈への関心を強めることはなかったから。
当然、他のクラスメイトたちのように、夏生も雪奈に対して、よい印象は抱いていたようだが、それだけだった。
あくまでもただのクラスメイトとして、同じクラス委員としての距離感を、夏生はしっかりと守っていた。
そんな夏生の姿を見て、冴も安心したのだ。
だから今では、冴は特に雪奈のことを警戒などしていない。警戒の対象として見る必要もないとわかったから。
誰にでも分け隔てない気さくな姿勢は、ただ気に入られたくて相手に取り入ろうと媚びているだけ。
スマートで綺麗だと評判の外見も、言い換えれば、女としての成長がいまいちだということに他ならない。
つまり雪奈は冴からすると、新しい環境で気に入られようと、必死になっているかわいそうな女子でしかなかった。
そんな雪奈を警戒するなど、まったく意味のない行為だと冴は気づいたのだ。
現に夏生は、雪奈などに目もくれず、これまで通り冴のそばにいてくれたから。
そんなわけで、冴の雪奈への警戒はもう解いていた。
だから冴はこうして、夏生のそばから離れてられるというわけだ。
ただ雪奈など関係なしに、夏生と離れているというだけで、冴には苦痛を伴う時間であることに変わりはない。
せめて少しでもその苦痛を紛らわせたくて、冴はクラスメイトたちと遊んでいる間も、定期的に夏生への連絡は欠かさなかった。
「ん、まぁこんなとこかな」
「お、終わった? 夏生くんから返事きたの?」
「いや、まだクラス委員の仕事が終わってないみたい」
「へ~、夏生くんが冴に返事してこないなんて、よっぽど忙しいっぽいね」
「ま、夏生は真面目だし、委員の仕事に集中してるんでしょ」
言葉のとおり、冴は夏生からの返事がないことを、まだ気にしていなかった。
時間的にもまだクラス委員の業務をしていてもおかしくはなかったし、夏生の性格を考えれば、たとえ押し付けられたような仕事だとしても、誠実に取り組んでいるだろうことは明白だったから。
「さっすが冴は、夏生くんのことわかってますねぇ」
「当たり前でしょ。誰が面倒見てると思ってんの?」
「いやぁ、今のは揶揄ったんだけど、まさかそう返されるとは」
「揶揄いになってないっての。事実でしかないからね」
「はいはい。冴が幼馴染で夏生くんは幸せ者だわ」
「ホントにそう思う?」
「そりゃあね。冴みたいな女の子に構ってもらえてたら、男子なんて皆幸せになっちゃうでしょ」
その返答に冴は満足する。
他の人から見ても夏生は幸せだというのなら、自分のそばから夏生が離れていくことは、万に一つもないと思うことができたから。構えば構うだけ、夏生が喜んでくれると思えたから。
「じゃ、あたしもそろそろ歌おうかな」
「お、やっとアガってきた? いいねいいね!」
気分がよくなった冴は、意気揚々と曲を選ぶ。
このまま遊んでいれば、その内にクラス委員の仕事を終えた夏生から返事が来るだろうと、軽く考えていたから。
冴はまだこのとき、自分がこれまでと同じ日常にいると思っていて、何も疑ってなどいなかった。
「マジで何考えてんの!?」
家中に冴の怒鳴り声が響く。
まだ親が帰ってきていない家の中で、冴は一人声を荒げていた。
いつものように、目の前に夏生を土下座させて、怒鳴りつけているわけではない。
ここにいるのは、冴一人だけだった。
そしてそれこそが、冴が今わめき散らしている原因でもあった。
冴が手に持っているスマホの画面には、現在の時刻がとっくに夜になっていることを示す数字が映っている。
そう、今はもう冴がクラスメイトたちと遊んでいた頃から、すでに何時間も経過しているあとだった。
「どうして何も返事してこないわけ!?」
冴のスマホには、未だに夏生からの連絡が来ていない。
ただの一度もだ。
まだクラスメイトたちと遊んでいたときは、夏生もクラス委員の仕事が終わらないのだろうと、冴もそれほど気にはしていなかった。
けれど、少しずつ時間が経過していくごとに、冴の不安は段々と大きくなっていった。
スマホを手に取る回数が増えていき、何度も画面に通知が来ていないかを確認していた冴は、そのうちすぐに歌うどころではなくなっていった。
クラスメイトたちと別れて帰る頃には、クラス委員の仕事など、これまでの経験から考えれば、もう終わっていてもおかしくない時間帯だったというのに、それでも夏生からの連絡が来ることはなかったのだ。
それまではメッセージを送るだけにしていた冴は、すぐに夏生へ電話をした。
少ない文字を打つことすら億劫に感じて、すぐに夏生の声を聞かないと落ち着けそうになかったから。
けれど、その電話にすら、夏生が出てくれることはなかった。
いつもの夏生なら、こんなにも冴のメッセージを溜めることなどなかった。
メッセージを送れば、すぐに既読を付けて返事をしてくれ、電話をすれば、少ないコールで、すぐに声を聞かせてくれた。
冴が求めれば、すぐに応じてくれる。それが夏生なのだから。
けれどそんな夏生が、何故か今日だけは、何の反応も返してくれない。
だから冴は今、近年まれに見ぬ勢いで荒れていた。
冴がこうして荒れている間も、時間だけは変わらずに進み続ける。
もうクラス委員の仕事なんて、とっくに言い訳にできないような時間になってしまっている。
それでも夏生からは、電話はおろか、メッセージの一つも入っていない。
冴からは何十というメッセージと着信を入れているというのに、そのどれにも反応がないままだ。
メッセージに既読はついていたから、何かしらの不慮の事故に巻き込まれたというわけではないのだろう。つまりは夏生が意図的に連絡をしてこないということで、冴にはそれが酷く気に食わなかった。
もちろん冴は、当然のように一度夏生の家に足を運んだ。直接文句を言わなければ気が済まなかったから。
けれど、冴が遊び帰りにそのまま寄ったときは、まだ夏生は帰ってきていなかった。
あれからすでに、何時間も経過していて、もう夏生も帰ってきてはいるのだろうが、さすがにもう、家に行くには憚られる時間帯で、冴も今から家に押しかけることだけは我慢していた。
冴の家とは違って、夏生の家には、家族がいるから。冴は夏生の家族から、下手なイメージを持たれたくはなかったから。
そんな我慢も冴の苛立ちに拍車をかける。
冴はスマホをベッドに向かって投げ捨て、ローテーブルを蹴り上げる。それだけでは、まったく気分は落ち着かなくて、手あたり次第に、そばにあったものを壁に向かって投げつけた。
怒鳴りながら暴れ、息が切れた冴は、もう投げ捨てる物も近くにはなくなっていて、そこでやっと少しだけ冷静さを取り戻した。
よく考えるまでもなく、明日の朝は必ず夏生と顔を合わせることを思いだしたのだ。
冴は夏生と一緒に登校している。
それは必ずであり、これまで一度の例外もないほどの絶対的な決まりだった。
だから明日になれば、冴は夏生に会うことができるのである。
「はぁ、はぁ、絶対に、すぐには許さない。こんなこと、二度としないように、ちゃんと解らせなきゃ」
冴は、自ら元の様子が見る影もないほど荒らした部屋をそのままにして、夏生を反省させるために、何をやらせようかと考える。
たとえどんなことだって、夏生のことを考えていれば、少しずつでも落ち着けたから。
「絶対、今までみたいにすぐに許してやらない。この部屋の掃除だってさせて、あたしに逆らわないように解らせなきゃ」
先ほどまでは怒鳴り声が響いていた冴の家に、今度は不気味な笑い声が広がっていく。
笑う冴は、まだ理解していなかった。
明日また夏生を土下座させれば、そのままそばに居てくれると考えていたから。
「は? なにこれ?」
だから翌日の朝、夏生から来ていたメッセージを見たとき、冴には意味を理解することができなかった。
『急にごめん。今日は用事があって先に行きます』
冴は毎朝、夏生と一緒に登校していて、それはこれまで一度の例外もない決定事項だった。そのはずだったのだ。
だから冴は朝になれば必ず夏生とふたりの時間が作れると思って、一応は安心することができたのだから。
夏生に会ったら、徹底的に謝らせて、心底反省させてから、それから優しく許してあげて、そんなふうに考えていた冴は、だから夏生からのメッセージの意味がわからなかった。
先に行くと、そう書いてある通りなのだろうが、動揺のあまり、冴はそんなことすら理解することができなかった。
普段は夏生に迎えに来させている冴は、普段は絶対にそんなことをしないというのに、動揺した足取りで夏生の家まで迎えに行った。
当然、夏生はもういなかった。
何度も電話しても、何十とメッセージを送っても、夏生は反応してくれない。
わけがわからないまま、冴は独りで通学路を歩くことになった。
となりに夏生のいない通学路を、たった独りで。




