依存心モンスター
「ごめん冴。気を付けるから、お願いだから許して」
もうすっかりとその体勢をとることに抵抗がなくなったのだろう。
冴の目の前では今、夏生が当然のように土下座をしていた。
なるべく身体を縮めて、ひたすらにじっとしている夏生は、床につけた額を、自分からはけしてあげようとしない。
そのままの体勢で、冴が声をかけてくれるまでじっと待っているのだ。
許しがでるまで勝手に動きはしない。そんな夏生の姿勢に、冴は溺れたくなるほどの充足感を味わっていた。
「ねぇ夏生、あたしだってホントはこんなことしたくないの」
冴は夏生の隣でしゃがみ、腫れあがっている腕をそっと撫でた。
先ほどまで、冴が力任せに叩き続けたその箇所は、真っ赤になっていて、少しずつ紫色に変色しようとしていた。
冴の指が触れた瞬間、痛かったのだろうか、夏生の身体が一瞬だけ震えた。けれど、夏生は体勢を崩すことなく土下座を続けている。
冴の許しがでるまで従順に。
「夏生ならわかってくれるよね?」
「うん。僕が悪かったせいだから」
「あたし悪くないよね?」
「冴は悪くないよ。悪いのは僕だから」
よどみなく応えてくれる夏生の言葉が冴には心地よかった。
冴がどんなことをしても、夏生は許してくれる。
たとえ、どんなに理不尽なことで怒鳴り散らしても。
たとえ、理由もなくこき使っても。
たとえ、痣が残るほどに手を出しても。
「わかってくれるならいいの。もう土下座なんてやめなよ」
「うん。ありがとう冴」
「ちょっと待ってて、今冷やしてあげるから」
「わざわざごめんね、ありがとう」
「いいってば、これくらい」
冴がどんなことをしたとしても、夏生なら絶対に受け入れてくれる。
その事実だけが、冴を安堵させてくれる。
その事実だけが、冴の心に栄養を与えてくれた。
夏生以外では、絶対に感じることのできない信頼感と安心感。ただそれだけを求めて、冴は今日も夏生を理不尽な目に合わせる。
夏生なら、絶対に自分のそばから離れていかないという実感を得るために。
黒川冴がどんな人物か、もし今のクラスで質問でもしてみれば、ほぼ全員が、強気な性格の派手な女子生徒、とでも答えることだろう。
特徴的に染めた長い髪に、大人びた女性らしい身体つき、人目を惹きつける要素を持ち合わせいて、常に自信に満ちている。
そんな学校での冴の様子を見ているクラスメイトたちには、冴という存在は、先に上げたようにしか見えていないはずだから。
間違いではない。
ただそれは、現在の、という言葉がつけばの話しだ。
今は存在感にあふれ、クラスで上位の立ち位置にいる冴だが、幼い頃から今のような、上澄みにいる存在だったわけではなかったのだから。
幼い頃の冴は、身体が大きいだけの地味な少女だった。
今の自信に満ちた派手な外見からは想像もできないその姿は、たとえ当時の写真をクラスメイトに見せたとしても、誰一人として、冴だとは気が付かないだろう。
それくらいに、昔の冴は今とはかけ離れた少女だったから。
性格は内弁慶で、親などの慣れている大人には自分を出すが、同年代の子供や知らない人には、オドオドするだけで喋ることもできないほど内向的だった。
そのくせ身体だけは幼い頃から成長が早く、女子の中では頭一つ以上に抜きんでていたため、悪い意味で目立ってしまうことになる。
小学生の低学年の頃、冴は身体のことで男子から揶揄われはじめ、その内弁慶な性格ゆえに、なにも言い返せずにいると、格好の標的にされてしまったのだ。
ただ言い返せないだけで、内心では悔しい思いをしていた冴は、涙目で唇を噛んでいることしかできなかった。
何も言い返してこないだけでも餌食にされていたのだが、そんな表情が虐めっ子たちの嗜虐心をさらに煽ってしまうことになる。
完璧にターゲットにされた冴は、毎日のように嫌がらせを受けることになった。
この頃、いくら内弁慶とはいえ、冴にも同性の友達くらいはいた。
身長のことも気にせずにいてくれて、普通に会話をして休み時間を一緒に過ごすくらいの存在は、冴えにだっていたのだ。
けれど、そんな『友達』という存在は、冴にとってなんの助けにもならなかった。
冴が嫌がらせを受けるようになると、その『友達』という存在だったものたちは、冴の周りから綺麗さっぱりといなくなってしまったから。
冴がいつものように声をかけようとして近寄れば、あからさまに逃げ出された。
諦めずに声をかければ、まるで声が聞こえていないかのように無視をされた。
それでも心を奮い立たせてそばにいようとした冴は『友達』が嫌がらせをしてくる男子たちと同じ言葉で、自分を馬鹿にする会話を聞かされることになった。
まるでいない者のように扱いながら、言葉だけは執拗に攻撃してくる『友達』と、冴はそれ以上一緒にいることができなくて、悔しさを内にためながらその場を離れることしかできなかった。
同性の『友達』からも見捨てられた冴は、普通ならここで一人になるはずだった。
けれど、冴は一人にはならなかった。
冴には、幼馴染の夏生がいたから。
「さえのことは、ぼくがまもるから」
小学校に入るまえから付き合いのあった夏生は、クラスの流れに逆らって、冴のそばにいてくれた。だから冴は一人ぼっちにはならなかった。
「さえはキレイな大人になれるよ! モデルさんみたいだもん」
他の男子が揶揄ってくる身体的な特徴を、夏生だけが褒めてくれた。だから冴は、自分を嫌いにならず、もっと磨こうと思うことができた。
「まもるって言ったんだから、ちゃんとまもってよ」
「ごめんさえ。ぼくもっとがんばるから」
内弁慶な冴が、素直にお礼を言うことすらできなくても、優しい夏生はどんな言葉でも受け入れてくれた。
あのとき夏生がいてくれたから、冴は今の自分があると本気で思っている。
夏生だけがそばにいてくれて、たとえ冴がどんなに情けない姿をさらしてもバカにせず、素直な気持ちを伝えられなくても、冴のことを理解してくれたのだから。
だから冴は、その頃からずっと、夏生だけがあればそれでよかった。
幼い頃の経験は冴に『友達』などという存在が、なんの意味もないものだということを教えてくれた。
普段は笑顔で周りにいて、美味しいおもいだけはしようとするくせに、助けが必要な肝心のときはそばにない。何の役にも立たない路傍の石。いやそれどころか、場合によっては害となることだってある邪魔な存在。そんなもの、冴は心の底からいらなかった。
冴にとって、今仲良くしているクラスメイトたちも、そんないらないものでしかない。
昔とは違い、女性として魅力的に成長した冴の周りには、たくさんの石ころが寄ってくる。
けれど一度なにか失態を犯すだけで、その全てが消えることを、冴は経験から知っている。だから冴は、初めからそんな石ころたちを必要としていない。
あってもなくてもどうでもよくて、あればただ都合よく使ってやるだけ。
冴にとってのクラスメイトたちは、そんな存在だった。
昔とは違い、冴は自分の意思をはっきりと口にすることができる。気に入らないことは拒絶するし、貫きたい想いは押し通せる。
普段から強気な姿勢の冴が、はっきりとした意思表示をすれば、今では周りが空気を読んで合わせようとする。
幼い頃の経験を糧にして、冴はそういう生き方ができるようになっていた。
ただ一つの、自分にとって必要な人のそばにいるために。
たとえ周りすべてが本当に不必要で、たとえどんなに意思が強くなっても、夏生がそばにいてくれないと、冴はそれだけで不安で仕方なくなってしまう。
幼い頃の経験は冴に、『友達』が無価値であることと同時に、夏生だけが信頼できるという、大切なことも教えてくれた。
冴が本当に助けを求めていたあのとき、夏生だけがそばで支えてくれた。だから肝心なときに離れていく石ころたちと、夏生は、冴にとってまったく違うものなのだ。
他人が思わず目を背けるくらい、どんなに惨めなことになっても、夏生だけは手を差し伸べてくれる。実際にそばで支え続けてくれた夏生のことを、冴は心の底から信頼していて、それ以上に必要としていた。
夏生がいれば他はなにもいらないと、本気でそう思っている冴にとって、夏生は自分の心臓と同じようなものだ。
なければ生きてはいられない。それほどに、夏生は冴にとって重要な存在になっているのだから。
本当に重要で、心の底から必要としていて、他の何よりも信頼している。少しそばから離れるだけで不安になって、なければ生きていけないと本気で思っている。
だから冴は、夏生を試すのだ。
「ねぇ、なつきはずっと、わたしのそばにいてくれるんだよね?」
「う、うん。さえはぼくがまもるって、やくそくしたからね」
「なら、ぜったいどこにもいかないでよ」
「わかったよ。さえのそばにずっといるから」
「やくそくだからね! わたしのほうがえらいんだから! なつきはわたしの言うこと、きかなきゃダメだからね!」
「うん。やくそくするよ!」
幼いあの頃に、夏生との交わした会話は、今でも一言一句はっきりと、冴の中に息づいている。
所詮は子供口約束。けれど冴にとっては、それは心の支えだった。
約束したから。
ずっとそばにいてくれると、夏生はそう言ってくれたから。
ちゃんと言うことを聞いてくれると、夏生は誓ってくれたから。
信じていないわけじゃない。むしろ冴は夏生に、この世の何よりも重い信頼をおいている。
けれどそれでも、冴にとって夏生は、なくてはならないものだから。
だからどうしても不安になるのだ。
もし夏生がいなくなったらどうしようと、ふとした瞬間に冴は考えてしまうから。
だから冴は、安心したくて夏生を試すのだ。
はじめはちょっとしたことだった。
どうでもいいことで冴は怒ってみた。夏生はすぐに謝ってくれた。それに安心して、またすぐに不安になる。これ以上のことをしてしまったら、どうなるのだろうかと。
それから冴は、少しずつ、少しずつ理不尽に接して、夏生が許してくれるかを試した。
怒鳴るだけだったそれが、顎で使うようになり、最近では手まで出すようになった。
もし嫌われたらと思うと、とても怖かったが、それでも冴は試さずにはいられなかったのだ。
夏生がいなくなってしまったらと、そう考えるだけでも恐ろしくて、どんなことをしても夏生はそばにいてくれるという確信が欲しかったから。
夏生は今でもちゃんと約束を守って、冴のそばにいてくれている。
冴がどんなに理不尽に怒ろうと、どんな扱いをしようと、痣が残るくらいに叩こうと、夏生はそばにいてくれた。
それが何よりも冴を安心させてくれる。
こんなにも酷いことをしても離れていかないなら、この先も絶対にそばにいてくれると思えるから。
夏生さえいればいい。
夏生にずっとそばにいてほしい。
それが冴の本心で、唯一の望み。
だから今日も、冴は夏生を叩くのだ。
どんなに酷い自分でも、夏生はそばに居てくれる。それを確認して安心するために。




