薬師BCE 06
誰一人いなくなった町を見下ろし、クレメンシェトラは赤い花園に佇んでいた。喧騒が聞こえて、出てきたらこの惨状だ。血で穢れ踏み荒らされた園はもはや、見る影もない。
花園で倒れ伏すのは男ばかりだが、ちらほら女も見受けられた。哀れなことに旅人も巻き込まれたらしく、フードの付いた旅装を着た遺体もあった。女性には珍しい肩までの髪は、かつてクレメンシェトラの世界を広げた女と同じ栗色だった。
思わず近づく。地面に突っ伏した体を起こす。かつて人だったそれにはまだ温もりが残っているように思われた。
「イーフィネイア……?」
彼女が返事をすることはない。人は死んだらどうなるのか。他の生き物と同じように体は朽ちていくのだろう。では心は、魂の行方は?
クレメンシェトラは迷わず術を展開した。イーフィネイアの時間を止めておくために。彼女の魂を留めておくために。足りない命を補う時間を稼ぐために。
血が足りないなら分けてあげる。骨も、肉だって喜んで差し出す。魂が無くなってしまったのならば半分といわず丸ごと譲ってもいい。もう一度名前を呼んで欲しい。まだまだたくさん教えて欲しいことがある。丸薬と粉薬は貴女より上手く作れるようになったと思うから、出来を確認して欲しい。
でもやっぱりこれらは建前なのだ。本音を述べるのは少しむず痒い。誰かと長時間を共にするのは初めての経験で、新しくて、手放し難かった。二人で過ごすあの時間が好きだった。だから、まだ生きていてほしいのだ。
しかし果たして何を差し出せば死人が甦るのか。クレメンシェトラの頭によぎったのは、魔物の生まれ方。生き物たちが体内で魔力をうまく循環させることができなくなると、核ができる。早期に核を取り除かなければ魔力に呑まれて外見が変貌するのだ。同時に術のようなものを使えるようになったり、力や生命力が強くなったりする。人に害を及ぼすものがすべてではないが、そういった生き物を見つけ次第浄化するのがクレメンシェトラの役目だった。かれらは元の在り方から外れてしまっているから。
核を埋め込めばイーフィネイアは息を吹き返すだろうか。魔力が生き物に及ぼす影響は時に絶大だ。失敗すればどうなるか定かではない。それでも彼女はそれ以外に方法を思いつかなかった。あとはそれを実行するだけ。からっぽのイーフィネイアに魔力を詰め込む。そのために何をどうすべきかは分かっていた。大きな仕掛けを作ればいい。どう条件を整えるのかが課題だ。
クレメンシェトラは小屋に戻り、銀貨の入った袋を持って町に下りた。昼間だというのにすっかり静まり返っている。店頭にも人がいない。彼らだったものがいくつも地面に転がって道を塞いでいた。スカートの裾を持ち上げて、それらや血だまりを踏み越える。
イーフィネイアに髪が珍しいと言われたことを思い出し、お気に入りの組み紐で髪を編んでまとめた。近くにあった商店から外套を拝借する。これでつばの広い帽子を被れば目立たないし、旅装としても問題ない。
お金もいくら必要か分からないから追加分を失敬した。クレメンシェトラからイーフィネイアを奪ったのだから文句は言わせない。数日分の食料と水を入れるための革袋。これだけあれば十分だろう。目指すは人の多いところ、大都市だ。全体数が多い方が目当ての人物は見つかりやすい。
中央広場を抜けて町を出る。ただひたすら街道を歩く。幸い道は踏み固められていて、雨も降ることが無かった。ただ一つ問題があったとすれば、紹介状がなかったことだ。宿を取ることや食料の入手は少々困難だった。しかしクレメンシェトラはよく分かっていないので気にしない。ゆえに旅路は極めて快適だった。
何も考えずに歩き続けて辿り着いた先に見えたのは城塞都市だ。石の壁で囲まれた巨大な町は畑や果樹園に囲まれ、それらを取り囲むようにして農民の住居がいくつかあった。人が暮らしている気配を感じ取ることができる。
「仕事を探してんのかい」
「そんなところです」
近づいてきた農夫に返す。彼女は人付き合いというものが少し分かるようになっていた。
「よっぽど田舎から来たんだな」
「多分そうだと思います」
「うん、それは間が悪かった。田舎まで情報が伝わるのは遅いからな」
男は空を仰ぐ。クレメンシェトラもつられて上を向いた。覚めるような青が広がっている。記憶の中で朧げに微笑むイーフィネイアは、これよりもう少しだけ明度の低い瞳をしていた気がした。花園で倒れていた彼女の瞳は瞼に遮られていた。本当の色は思い出せない。
伸びをした男は続けた。
「前までは下働きに誰でも雇っていたけれども、今はもう仕事なんてないだろうよ」
クレメンシェトラは首を傾けて男のほうを見る。活気が失われているということだろうか。確かに城壁に続く道を歩く者はいなかった。
「まあ、あれだけ立派な城だ。一度くらい見ておくのは悪くない」
男は語った。城壁にはそれは立派な城門が構えられ、門外に穿たれた堀の外にさらに城門があるのだと。
「ここらは平地だから塀の中は見えないな。あ、あとあれは俺の爺さんが若いころにできたそうだ」
二重の城門、その外側だ。確かに比較的新しいらしく、少し高い内側の壁とは石の色が異なる。あまり興味を惹く事柄ではなかった。男はよほど城のことが好きらしい。いつも門番が立っていて、それだけで給金が支払われるのが羨ましいこと。城門が開き跳ね橋が掛けられる時には、男は大抵見に行くこと。一つ一つの小話は短いがあまりに途切れることなく語るので、どうにかきりの良いところで遮った。
「どうして仕事はなくなったのですか」
「そりゃあ、今はクネドリキが王のお膝元だからさ。王がいなくなると活気も無くなる」
そういう理屈があるらしい。相槌を打ち、クネドリキの方角を聞く。
「クネドリキに行くつもりかい?」
「人も多そうなので、そのつもりです」
「なんだ、人探しか? 頑張れよ」
軽く会釈して離れる。
首都までの道程も天候に恵まれていた。街道沿いに発達した町でも、旅装をした人々がちらほら見受けられる。大体が二人かそれ以上の集団で、男ばかりだ。一人旅も少なくはない。税関で止められている人々を見かけた時には、彼らを横目に通り過ぎる。商人ではないので気楽だ。
晴れの日が続いたので、川を渡るにも楽なものだった。クレメンシェトラを馬車が追い越してゆく。馬車では橋が渡れないし、道によっては幅が足りないためにすれ違えない。それでも女性や老人はああやって移動するのだという。歩いて旅するクレメンシェトラはしばしば少年に誤解されていた。
性別で旅の快適さが変わることは特にない。首都は森に囲まれている。男だろうと女だろうと野営の際、野生動物に存分に注意するべきなのは同じだ。クレメンシェトラが対話できるのは魔物であり猛獣ではない。狼に出くわせば命はないので、森を抜ける道を急ぐ。
急ぐ理由はそれだけではない。術で時間を止めているとはいえイーフィネイアの体は確実にゆっくりと腐敗しているし、魂が肉体から長時間離れているのはよろしくない。魂を扱うのは初めてのことだけれど、きっと繊細なものだろうとは思うから。
早く首都に行って適当な人間を見繕わなくてはいけない。森を抜ける。郊外を走る。のどかな田園地帯の向こうは国王陛下のお膝元。
都心まであと少し。




