(三)埜之平高校:初登校
「────朝でございますよ、起きてくださいまし」
声とともに肩を揺さぶられ、俺は深い眠りの中から目覚めた。
「……あれ?」
女の人の顔が、俺を覗きこんでいる。一瞬、まだ夢のなかにいるような気分になって、戸惑ってしまう。
「お着替えもなさらずに、お眠りになって……」
そう声をかけてくるのは永嶋さんだ。眉根を寄せて、どこか具合の悪そうな顔をしている。
徐々に寝惚けた頭が回転し始める。そういえば昨日の夕方、俺は盾冬教授のお宅にやってきたんだっけ……。ゼノリスの、『強制監視対象』に指定されて。
歓迎の宴があって、そのあとまたイヅルとモンスレで遊んで、自室に戻ってベッドに横になったら……どうやら、そのまま眠ってしまったようだ。
どうも最近、寝付きが良すぎてびっくりする。疲れでも溜まっているんだろうか?
「そのご様子ではお風呂にもお入りになられておられませんね? 朝食の前にシャワーでも浴びてらしたらいかがですか?」
「あ、はい……そうっすね」
「制服やYシャツなどは衣装棚にかけてありますので、シャワーが済みましたらどうぞそちらにお着替えください。新しいおカバンを机の上に置いてございます。新しいノートと筆記用具、転入届などが中に入っております。教材タブレットは、今までお使いのもので大丈夫とのことでした」
昨晩同様、何もかもが行き届いている。これはたいへん助かる。
「それと、本日の朝食は大食堂の方でなさる、ということでよろしいでしょうか?」
「はい、そうします。基本的に、あそこでいいです」
永嶋さんは薄く微笑んで一礼すると、
「お風呂場は1階廊下の突き当たりでございます。バスタオル等は脱衣所にあるものをご自由にご利用ください」
と言い残して、少しフラフラしながら部屋を出て行った。
時計に目をやると、6時半を少し回ったところだった。
「……いつもなら、もうちょっと寝てられるな」
とはいえ、今日は転校初日。せっかく起こしてもらったし、登校にどれくらい時間がかかるかってのもあるし、職員室へ転入届を出さなくちゃならない……。
眠い目をこすって、気怠い身体を無理やり動かすと、ベッドから降りる。「うーーん」と伸びをしてカーテンを「シャッ」とばかりに勢い良く開けると、爽やかな朝の光が注ぎ込んできた。
周りは山に囲まれているとばかり思っていたが、窓の向こうには山の裾野が広がっていて、町並みが顔を覗かせていた。なかなかいい眺めだ。
「新しい生活か……」
思わず呟いてしまう。何もかもが急展開すぎてまだ上手く頭が整理できていない。
「……考えてても仕方ないな。さて、と……」
まずはシャワーと朝食だ。今日一日、何が起こるかわからないし、気を引き締めていかないとな。朝の掃除機がけをしなくて良くなったのは、朗報だ。
◆
シャワーと朝食を済ませ、自室へと向かう途中、玄関ホールに制服姿のユリルの姿があった。見たところ、もう登校する準備はバッチリ、といった様子だ。
「おはようございます、ナツトくん」
「おはよう。ふわああああああ〜〜〜〜あ」
「うふふ、大きなあくび。昨夜はよく眠れましたか?」
「寝た寝た。熟睡もいいところだよ。部屋に戻ってからベッドの上に寝っ転がって……それから記憶がないぐらいさ」
「イヅルと遊び疲れじゃないですか?」
「あはは、そうかも」
思わず頭を掻く。「もう寝る時間ですよ。今日は終わりにしなさい」ってユリルに咎められなければ、あのまま深夜まで遊んでいるところだっただろう。
「ふわああああ〜〜〜〜〜あ、あふう……」
「さあ、元気出して、学校に行きましょう。今日は早めに行って、ナツトくんは職員室へ行かないと」
大あくびをする俺に、ユリルが明るく呼びかける。
「あれ? もしかして、ユリルと同じ学校?」
「はい、そうですよ」
おお、なんというラッキー! ユリルと同じ学校生活を送れるなんて、夢にも思ってなかった!
「ちょっと待って。カバンを取ってくる」
グッと親指を立てて答えると、急いで階段を駆け上がった。
ユリルとの新生活。思った以上に楽しいものになりそうだ────。
◆
「だいたいいつも、20分ぐらい掛かりますね」
「自転車通学はダメなのかな?」
「行きは下り坂だから楽ですよね。でも帰りが……」
「ああ、そういうことか」
ユリルと話をしながら坂道を歩いて行く。確かに行きは下り坂だから楽だが、帰りは大変そうだな。あのガラクタみたいに重い荷物じゃなきゃ問題無いとは思うけど……。
俺が転入する高校は、ユリルも通う『私立埜之平高校』だそうだ。
「(ののひら……って、どこかで聞いたことがある気が……? なんだったかな?)」
まあいい。大したことでは無かった気もするし。
横を歩くユリルをチラッと伺う。まっすぐ前を見て、背筋をしゃんと伸ばして歩いている。端正に整った横顔、まだ子供っぽい丸みを残してはいるが、正直、可愛いの一言だ。ユリルの頭の少し後ろを、精霊プリズムがついてくる。
「ナツトくんはわたしの事、怒ってると思ってました」
「え、何のこと?」
唐突にユリルがそう切り出してきて、思わず尋ね返す。ユリルは申し訳無さそうな表情で視線を落としていた。
「だってあの日、わたしはナツトくんを置いて逃げちゃいましたから」
「初めて会った日のことかな?」
「そうです」
「いやまあ、あれはさ……仕方ないんじゃないかな? 置いてきぼりにされたとか、そんな風には思ったこと無いよ」
「ホントですか? でも酷い怪我をして、手当もしないで……」
ユリルが俺の顔を見上げるようにして、小首を傾げて尋ねてくる。うーん、可愛い……。
思わず照れてしまうな。
「ゆ、ユリルはほら、すぐにあの場から逃げなきゃ行けなかっただろ? それは分かってたし、そもそも命の恩人じゃないか。そんな人に怒るとか、無いよ。それにさ……」
「はい?」
「確か、ユリルも酷い怪我をした気がするんだけど? はっきりとは覚えてないけど、魔物の攻撃を受けたよね?」
「あの程度の怪我なら、大丈夫です。死ぬことはありません」
ええー、なんたる余裕……。記憶封じの解除中に、一瞬だけフラッシュバックした感じでは、死んだとしか思えない倒れ方をしてたような……。
「魔王様より受け継いだ『念芯』のおかげで、意識しなくても悪魔術による自然治癒能力が発動するみたいなんです。……その事を知ったのは、あの時が初めてなんですけど」
ユリルが「てへっ」とばかりに苦笑する。
「ただ、混沌による傷は治癒できても、傷跡がグァルディオール反応マイナスになってしまうので……今はそれがちょっと心配ですね」
言いながら、ユリルが自分の胸のあたりをそっと押さえた。
「もし今、グァルディオール反応を調べられると『これはなんですか?』って言われちゃうと思いますから」
「それは気をつけないとね」
「そうですよね」
しかし念芯に自然治癒能力か……。天使が『魔物は人間でもなんとかなるが、悪魔となるとそうもいかない』と言ってた意味がわかった気がした。
天使と悪魔が対峙すれば、それこそ人が到底及びもつかないほどの熾烈な戦いになるんだろうな……。人智を超えた戦い、ってやつだ。
俺は、その時までにもっと強くならないと……。魔物を倒せたからっていい気になってる場合じゃないのかもしれない。
「ねえ、俺からもひとつ聞いていい?」
「なんですか?」
「あの時、ユリルが微妙な顔したのって……それが理由?」
「あの時?」
「えっと……一昨日、またミストに巻き込まれて、公園の前で会った時、だよ。なんか、俺と会いたくなかったみたいに見えてさ……」
「ああ」
ユリルが目を見開いて口に手を当てる。
「すみません、わたし……教授もおっしゃってましたけど、わたしを捕まえに来たんだと思いました」
「天使の命令で?」
「はい」
ユリルが真顔で頷く。
「教授が、次の日にゼノリスに行ってくださって、それでナツトくんが天使と会ったという話を……教授も『念のため、用心した方がいいかも』とおっしゃってましたし……」
ユリルの表情から察するに、ミストで起きた出来事がかなりの心労だった事が知れる。お互い、確かな情報が無い時というのは、無駄に心配をしてしまうようだ。
「だから余計に、ナツトくんの言葉はとても嬉しかったですよ」
そう言って、ユリルがにっこり微笑む。何の陰りもない、無垢な笑顔だ。
「そう? じゃあ良かった」
我ながら素っ気ない言葉しか出てこないのが歯がゆい。この胸の中は、俺の言葉がユリルを笑顔にしたという喜びでいっぱいなのに……。照れ隠しにしたって、もっと言葉はあるだろう……。
ユリルは俺のそんな気持ちを気にする様子もなく、ニコニコしながら「ホントですよ」と念を押した。




