(ニ)悪魔の館:儀式
────暗闇が支配する地下室。
石造りの壁に覆われた、八角形の部屋。入り口から壁に沿って七人が、手に手に燭台を持って立っている。
その仄かな明かりに照らされて、壁際にズラッと並べられた鉢植えが影を作っている。鉢植えから壁伝いに伸びるツタが、ロウソクの明かりで影を揺らめかせた。
部屋の中はわずかに白く靄っている。ミストの中に似た、そんな雰囲気だ。
部屋の中央付近の床には、魔法陣が描かれている。そしてそこには、黒光りするナイフが一本置かれていた。
「あれは……」
「ずっと昔に呼び出したモノです」
呟きに、すぐ横にいたユリルが答える。
「じゃあ、やっぱり『吸血器』?」
「天使様はそう呼んでいるようですね。魔王様は『盟約の血切り』と呼んでおいでですが」
ユリルはそう言ってクスリと笑った。
メイドの永嶋さんが、一人、しずしずと部屋の中央に進み出て、床に置かれたナイフを手に取る。そしてそっと、包帯の巻かれた左手首にナイフを押し当てた。
その表情は狂喜に満ちて、薄笑いが浮かんでいる。
やにわに、手首に当てたナイフをすうっと引く。手首を横切るように赤い線が現れて、真っ赤な鮮血が溢れ出た。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! あっ! あひいいいいいい!! あぐっ!……」
永嶋さんが呻き声のような悲鳴を上げながら、手首を押さえてのた打ち回る。全身を震わせて痛みに耐えているようだ。
部屋にいる他の六人は、これをただ立ち尽くして眺めている。
永嶋さんの振り乱した前髪の間から、生え始めの鹿の角のような突起が2つ、頭を覗かせている。包帯がはだけ落ち、鮮血が溢れるその手首には、あの『緋色の逆十字』の紋様が鮮やかに浮かび上がっていた。その周囲には、赤紫色に発光する幾つもの切り傷がある。
「肉、肉、肉、肉、肉! 牛肉! 豚肉! 鶏肉! 塩鯖! 塩鮭! タラ! 牛肉! 豚肉! ラム肉!……それからああああああ……」
痛みを押し殺し、うわ言のように叫ぶ声が石造りの部屋に木霊する。木霊は靄に飲み込まれ、フワリと形を変えた。
「もっと、もっと、肉を! 牛肉! 豚肉! 鶏肉! 牛肉! 豚肉! 鶏肉! ラム肉!……」
いつの間にか、部屋は食用肉で溢れていた。おもむろに、男が三人、手慣れた様子でそれらを運び出していく。真上にある地下倉庫に移動させているのだ。俺もそれに習って、荷物運びを手伝い始める。
「ああああああ……マヨネーズ! ストロベリージャム……角砂糖、味噌、醤油、塩、砂糖、お酢……」
床に突っ伏すようにもがき苦しみながらも、うわ言を続ける永嶋さんに、ユリルがそっと寄り添った。慈愛のこもった眼差しで、まるで労っているかのようにその背中を優しく撫で付ける。
「……あとは、あとは……キャベツ、人参、米、しいたけ、ジャガイモ、玉ねぎ、みりん、ソース、ケチャップ……あ! はあああ! はあっ!……」
永嶋さんの声が徐々に小さくなっていく。肩を大きく上下させて、息遣いが荒い。
「シマさん、ダージリンとアールグレイ、それにアッサムをお願いしても良いかの?」
杖をつき、背筋の曲がった老婆の声に、永嶋さんがうわ言でそれを繰り返す。
「いつもすまんの」
「いいえ、他に……他に、リクエストのある方はいらっしゃいませんか……?」
ブルブルと小刻みに震えながら永嶋さんが問いかける。俺とともに荷物を運び出す男三人──堀内執事と雀荘経営の中島さんと教授──は、無反応のまま黙々と荷物を運び出していく。
「もういいわ、永嶋さん。今日はここまでにしましょう。ね?」
「待って、もうちょっと……あと……毛糸と編み棒、花の種……」
消え入るように呟いて、床に突っ伏していた永嶋さんは、ゆっくりと身を起こした。
「ご苦労さま。とても疲れたでしょう?」
「お気遣い、痛み入ります……ああ、今日も楽しかった……まだ、身体が疼いちゃう……」
「さあ、手首の治療をしましょう」
永嶋さんは、肩で息をしながらユリルに向かって微笑み返す。細く骨ばったその肩をギュッと抱きしめると、「ほう」と大きく溜め息を吐き出した。とても楽しんでいたようには見えなかったが、その表情は恍惚として悦びに満ちていた……。
これがこの屋敷の、悪魔術を使った日常品補充の儀式だ────。




