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6時限目・大将軍家光と性癖破壊

 さて、授業の時間だぞー


 信晴の大冒険によって、日本は南洋(マリアナ)奥南洋(ミクロネシア)へも進出し、伊豆ジャワ貿易に加えてアカプルコ貿易まで手にするんだから、良いことずくめと言えるな。


 そんな日本国内について、当時ようやく主要街道の整備が進められていた。


 日本の街道整備は、ヨーロッパに比べて非常に遅いと言われているのは知っているだろう。


 だが、実際には奈良時代頃には一度整備された記録があり、各地でその遺構の調査も進んでいる。

 じゃあなんで、街道は発達しなかったのか?


 よく山がちな日本では道路整備が難しかったなんて云われるが、それだけが理由というわけでもない。


 山がちって事は、大きく迂回するか険しい峠越えが存在する訳だな。


 それと比べて海や川を使えば船で真っ直ぐ進めて人や牛馬で運ぶより多くの荷物が運べる。


 材木だってトロッコやトラックが出来るまでは、川に流して下流で拾い上げるってやり方をしていた。木曽がそうだろう?


 そんな訳で、徒歩や馬車より船が便利だったというのもある。


 織田政権における街道整備も、川運を考慮したものとなっているから、一部は今の道路網とはかなり外れる所があるのは、そう言った事情からだ。


 まあ、そうは言っても土木技術的に可能な場所にはかなり満遍なく馬車道が造られ、今もそのルートが地方幹線として活躍している。


 この街道整備と共に、各地で産業振興も行われている。


 それらが南方貿易で輸出されていった訳だな。


 ただ、やはりもっとも大きかったのは、北方で獲れた海産物になるだろう。


 干物にして俵に詰めた、いわゆる俵物が明への輸出品として大きかった。


 かなりの輸出が行われた結果、残念な事に北氷海(オホーツク)の海産資源は19世紀には枯渇する。


 それを見越した探索が東へ東へと進められ、阿羅斯加(アラスカ)の発見へと繋がるのは皮肉だな。


 さて、その頃の日本・・・


 え?家光?


 まあ、別に構わんが、主要な歴史じゃないけどなぁ。


 ゲームじゃお馴染みの家光は、幕府が札幌へ移る頃に2代目征夷大将軍となった人物だ。


 徳川秀康の子ではなく、三河守松平忠秀の長男だった。


 徳川家は征夷大将軍として東北へ転封となったのはその通りだが、大名転封後の統治に、旧大名ゆかりの者が誰も居ないのでは、やはり荒れる土地もあった訳だな。


 そのひとつに三河があった。


 薩摩なんて島津しか統治出来ない難治なので仕方ないが、三河もそれに近い土地だった訳だ。


 そのため、実質は人質として三河に家康の三男を配する事になる。

 もちろん、人質なので勝手な婚姻も許されず、織田家の系譜であるお市の方の娘江をむかえる事になった。


 忠秀の名も、当然だが信忠からの偏諱だな。


 その治世は可もなく不可もなく。信義の様な成果を後世に遺すものではなかったが、後継者問題で荒れてしまう。


 いわゆる三河騒動だ。


 すでに信匡(のぶまさ)の代になっていたが、事もあろうに長男の元服に際して神託があったと称して家の字を付ける。


 これが問題にならないはずもなく、大御所信忠が直に忠秀へ下問する事態にまでなった。


 あれやこれやとゴネた忠秀は、次男には忠長の名を与え、信忠の気を鎮めるって釈明したが、そもそも、それ自体が家光へのイジメだったと言われている。


 忠秀からすれば、家を継がせたいのは忠長だったのは明白だからな。


 家光は幼い頃からそれを感じていた節があり、父母に対する反発も強い人物だった。


 信忠は家光の恨みが織田家へ向く事を警戒し、処罰することまで考えたんだが、それこそ忠秀の思う壺って訳だ。


 三河騒動に際し、ドラマで仄暗く嗤う忠秀のシーンは有名だな。事実、史料からそれがほぼ間違いなく事実と見られている。


 そこに待ったを掛けたのは、意外な事に信匡(のぶまさ)だった。


 三河松平家は勝手な婚姻が許されず、元服後に織田家が決める事になっているのを利用し、森蘭を嫁がせる事にした。


 いや、キャーじゃない。


 蘭役は確かに歌劇団のスターがやる役どころだから、見栄えが良いのは確かなんだが、実際の森蘭がそうだったかは怪しいぞ?


 様々な史料、文献に残る蘭に関する話は、ただの武者のそれだ。どこにも美人なんて記述は見当たらい。

 まあ、家光は側室を持たなかったから、確実に子供は蘭が産んでいないとおかしいから、男じゃないのは確かなんだがな。


 森蘭の父は、本能寺から助け出された森成利と言われている。まあ、信忠何やってんだって話だが。


 何れにしろ森氏の娘であることは間違いなく、男兄弟に囲まれ、自分も男として育ったのは確からしい。


 あろうことか森氏の中でも五指に入る槍の使い手とまで呼ばれる様になり、嫁ぎ先に困っていた訳だ。


 すでに国内に戦乱は無いので「そんな凶暴な嫁は要らん」と、織田家中の者たちが逃げ回っていた話が残されている。


 対する家光はと言えば、親が親なので捻くれ、男色に逃げていたらしい。

 忠秀より江が、ことさら忠長を可愛がっていた事が原因かも知れないな。


 そんなヤサグレ家光を危険視した信忠に対し、信匡はまったく別の事を考えた。


 信忠の言う通りに家光を処断すれば、忠秀や江の思惑通りに忠長が三河松平家を継ぐ事になる。

 それでは後世に何を言われるか分かったものではないものな。


 結果は見事、信匡の思惑通りになったと言えるだろう。


 家光が極度の女嫌いだったはずが、蘭に出会ってそれが直ったと言われているくらいにはな。


 しかも、散々ヤリ散らかしていた男色からも手をひいている。


 家光の男色は、戦国武将の衆道ってレベルではなく、顔が良い若者ならば誰彼構わず食い散らすプレデターだったとすら言われているからな。


 そんな酷い惨状が、ピタッと止まったんだ。凄いだろ?


 家光はヤリ散らかす割に受けだったと言われ、蘭のS責めに晒され、蘭無しには生きていけない身体にされたって伝説化している。

 確かに家光は、当初から蘭を嫌がらずに受け入れたといわれるから、歌劇団ばりのイケメンだったのかも知れんな。


 ん?先生?


 ノーコメント。


 えー、さてその後、徳川大将軍家に問題が生じた。


 あろうことか秀康の息子たちが次々と嵐にのまれたり熊に遇って亡くなってしまった訳だ。


 養子を迎えるか、絶家となるかの所に、信匡は家光を養子に迎えるよう命じる。


 まだ、幕府が札幌へ移って幾ばくもしない時期の話だったらしいが、他に手がない秀康はそれを受け入れ、家光を養子とし、1626年には征夷大将軍の位を譲る事になる。


 家光と蘭は、戦場でも統治でも大活躍して北海道を大きく発展させるのだが、三河松平家は甲州の信義と比較され、忠長の良好な治世も評価は芳しくない。


 家光からすれば、信匡に頭が上がるはずもなく、徳川家が織田家へ絶対の忠誠を誓う事に繋がっている。


 ホント、何があるか分からんよなって、授業に関係ない話で終わったじゃないか。

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― 新着の感想 ―
>忠長 駿河城御前試合を開催しなかっただけヨシとすべきなのではないだろうか むーざん むーざん
「ついてない美少年」キタコレ♪www  蘭様の兜面頬は天狗面で、(ry ノクタ10万字余裕でごっつぁんです♪w
最初、森蘭丸を家光が娶ったのかと思ってしまったw キリスト教を取り込んでる日本で、はたしてリリウムのような名曲は生まれるのかと妄想してます。日本産の賛美歌や聖歌は沢山作られそうですね。
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