44時限目・オペレーション・バルバロッサ
ほーい、授業の時間だぞー
1941年はハワイ奪還に成功した訳だが、その勢いで戦争が終わったりはしなかった。
日本からすればさっさと終わらせたいのだが、アメリカは政権の浮沈に関わる問題だから乗るに乗れない話だったんだ。
それに、1942年後半からは最新鋭の戦艦、空母が続々と完成する事になるから、負けを認めるには早すぎた。
新たに揃う大艦隊でもって日本を轢き潰す。そんな考えすらアメリカには存在していた。
言ってしまえば準備に忙しくて本格的な戦闘はあまり起きていなかったって話になる。
最大の激戦が繰り広げられる浦前の岬ですら、小康状態の時期があったほどだ。
アメリカは、カナダを巻き込む事を危惧していた。
この頃であれば、大西洋から艦艇をまわせばいくらでも戦える能力があったが、もしイギリスが日本側に着けば、大西洋でイギリス海軍と戦える能力を残しておかなければいけなかったので、楽ではなかっただろう。
その点では、早々にドイツから手を引いたことの影響が大きかった。
ドイツが過去の様な大艦隊を有するならば、アメリカもそこまで苦しまずに済んだだろうが。
そのドイツは、バトル・オブ・ブリテンにおいて全く良いところがなく、1942年を迎えた頃にはイギリス空襲を縮小していた。
建造したシャルンホルスト級戦艦についても、すでに1隻が沈み、3隻になっていたし、追加の戦艦を建造する余裕も失っていた。
もはやアメリカには頼りにならない味方になっていた訳だ。
まあ、アメリカがドイツを味方と見ていたかは怪しいがな。
そんな初夏、ドイツは万を期してロシアへと攻め込んだ。
いわゆるオペレーション・バルバロッサってヤツだ。
その規模は空前絶後の大戦車部隊による侵攻作戦だった。
何でヒトラーは、ワザワザ負に走ったのかって?
それは、東方生存圏なるユートピアを求めたからと言われている。
当時のドイツが借金まみれでどうしようもなかったのは確かだが、その生き残り策だけなら、ワザワザロシアにケンカを売らずともよかったって意見が多い。
だが、ドイツが自立してやっていくにはロシアは邪魔であったし、ウクライナという穀倉地帯は欲しかった訳だ。
この頃のウクライナは第一次農業革命と呼ばれる機械化と化成肥料の登場によって、驚異的な生産力を叩き出していたんだ。
それもドイツには脅威だった。
安価で大量に、しかも安定してロシアから穀物が流れて来るのは自立には脅威でしかなく、ドイツ農業の存立危機でもあった。
長年の対ロシア作戦を実行したいドイツ陸軍、ヒトラーの持論である東方生存圏、ドイツの経産自立の脅威、そうした複数の理由や利害が積み重ねられ、オペレーション・バルバロッサは実施されたんだ。
第一次世界大戦やナポレオン戦争を見れば、失敗は明らかだったんだが、当時のドイツでは失敗など考慮されていなかった。
ドイツ軍はバルト海沿岸部からサンクトペテルブルクを狙い、中部からポーランドを蹴散らしウクライナを狙って進撃していった。
ポーランドやフランスで実戦により洗練させた戦車と攻撃機を先鋒とする電撃戦は、緒戦においてその威力を遺憾無く発揮したかに見えたのだが、北方はサンクトペテルブルクの手前で停滞した。
ロシア北方軍を指揮したのは、水野衆にすら恐れられたマンネルヘイムだったんだ。
電撃戦の大家グデーリアンをもってしても、突き破る事は叶わず冬を迎えてしまった。
ウクライナを目指した南方軍の前に立ちはだかるのは、やはり寒凍で鍛えられたジューコフ。
そして、ロシア陸軍参謀長はかの知謀、トハチェフスキーだ。
何でそんなロシアを攻めようと思ったんだろうな?
もちろん、ドイツ陸軍の将軍たちも名だたる名将揃いだ。
北方軍にはグデーリアンが居るし、中央軍にはロンメルが、南方軍にはマンシュタインが居た。
ドイツとロシアの戦いは、今はまだ歴史でしかないが、もっと時間が経てば漢大陸の三国志演義の様な物語として語られる様になるかも知れんな。
そんな、負けが確約された戦いをドイツが始めた事で、アメリカもただ傍観する姿勢を改める様になる。
この頃には、アメリカにおいてドイツがヨーロッパを席巻した事でヒトラー人気が高まり、大統領もその機運に乗る形で中間選挙に向けた運動を行っていたんだ。
さらに、カリフォルニア湾工廠で建造中の戦艦、空母10隻が毎月の様に完成してくる事が確定すると、とうとうドイツへと資源輸出を始める事になった。
つまり、イギリス、スペインとの敵対を表明したんだ。
それが1942年10月のことだった。
この表明で政権与党は中間選挙で大勝利をおさめたんだ。
勝てなかったのは、ワシントン州のみ。
ワシントン州で勝てないのは、浦前の岬侵攻があまりに犠牲ばかり出しながら、何の戦果も挙げられていなかったからだ。
1943年はドイツのロシア侵攻が正念場を迎えていたが、アメリカの支援を受ける事になり何とか均衡を保てていた。
アメリカでは、毎月確実に戦艦や空母が完成して海軍へと引き渡されていたが、これまでの海戦で多くのベテラン水兵や下級士官を失い、すぐに戦力化出来なかった。
そこで、大西洋艦隊からベテランを引き抜いて戦力化を急ぐ事にしたんだ。
確かに大西洋艦隊の練度が落ちてしまうが、イギリス、スペインとの直接戦闘にまでは至っていない。
アメリカも、イギリスとの直接戦闘となればカナダが参戦するので短期的には旧本土が危険に晒され、政権へのダメージとなる事を懸念していたんだ。
そんな、まだ艦隊が完全戦力化出来ていなかった4月18日未明、カリフォルニア湾工廠地帯は激しい攻撃に見舞われた。
日本軍の攻撃なのは間違いなかったが、アメリカ軍は敵艦隊を発見出来ていなかったため、とても慌てる事になる。
これまでも偵察機が飛来する事はあったが、 湾内への攻撃はこれが初めてだった。
その初攻撃によってカリフォルニア湾工廠の中枢となっていたラパスは壊滅した。
さらに2ヶ月後にも工廠地帯への攻撃が行われ、造船施設に甚大な被害を与えている。
この攻撃で使用されたのが、有名な伊400型飛行水雷潜水艦だ。
8隻の伊400によって実施された二度の攻撃によって、ラパスに設けられた石油設備は全壊し、半月以上燃え続け、今なお汚染を拡げる元凶となっている。
その後、攻撃はサンディエゴやサンフランシスコにまで拡大し、アメリカは必死になって捜索を行っているが、まさか小型巡洋艦クラスの特大潜水艦から攻撃されているなんて想像すらしておらず、全く発見出来ずに攻撃を受け続けるんだ。
この伊400型は、高野五十六が発明したと言われているのは有名だな。
日本は第一次世界大戦頃から潜水艦に偵察機を積んで広範囲の索敵を行う戦法を編み出し、1920年代には実現させている。
その潜水艦を見た高野五十六は、攻撃にも使えるんじゃないかと考えたんだ。
それも飛行水雷を使えば魚雷よりはるかに遠く離れた目標を狙えるってな。
そうやって誕生したのが、排水量6千トンという巨大な伊400型だ。
艦内に8発の飛行水雷を積み、同時に4発を発射出来た。
当時としてはもはや空想科学兵器の類と言って良かった。アメリカがその実態を知るのは、さらに一年を要する事になる。
こうして1943年10月ごろには14隻まで数を増やした伊400型がアメリカ西海岸各地を攻撃し、完成したばかりの新造艦が損傷し、港湾設備や造修設備の損壊でアメリカ海軍はマトモに活動できない状態が続くことになってしまったんだ。
せっかく10隻もの大型艦が続々海に浮かんでも、海に出る前から攻撃され、桟橋や燃料タンクが破壊され、乗組員の住む場所すらも時に瓦礫と化していった。
こんな状況だったから、いくら報道管制を敷こうと国民にはその負け戦っぷりがジワジワ浸透していく状況になっていたんだ。
おっと、時間だ。




