自習時間
あー、万葉文の先生が急用で自習になった。
なんだ?飛行水雷が何でそう呼ばれているかだって?
本来は自習だが、そうだな、その話でもするか。
日本が飛ばした飛行機は、パルスジェットだった。
それはよく知られた話だ。
コイツには色々な問題点があったが、何より問題となったのが、自力で飛び立てない事だった。
その事で、欧米が飛ばしたガソリンエンジンを用いた飛行機に差を空けられてしまった訳だ。
自力で飛び立て、さらに自在に飛び回れるガソリンエンジンの飛行機が第一次世界大戦で活躍し、尾張航空製造所の設立に繋がっていく。
だが、フライヤー忠八はジェットエンジンの可能性を信じ、スウェーデンから齎されていた別のジェットエンジン、ターボジェットの開発に注力していった。
それが実用化したのが1932年の話だが、ターボジェットが完成したからパルスジェットは用済みになったかと言うと、そうでは無い。
ターボジェットはガソリンエンジン同様に複雑なエンジンであり、費用も掛かる。対してパルスジェットは構造がより簡便だった。
そこで、小型飛行機には継続して用いようと考えられたが、そこに無線操縦を取り入れ無人化する案が提案された。
1930年頃と言うと、そろそろ航空攻撃が真剣に考えられていたんだ。
日本は土器型や扶桑型を条約に従って廃艦としたが、そのままスクラップにするのでは勿体ないと、標的として利用した。
ある艦は戦艦や巡洋艦による砲撃を、ある艦は駆逐艦や潜水艦による雷撃を、そして、ある艦は飛行機による攻撃が行われた。
魚雷を使えば沈む事は明らかだったが、爆弾ではどうなのか?
その結果、大型爆弾を用いるか急降下爆撃で砲塔や機関部を狙えば、一撃では沈まないが、砲撃と変わらないダメージを与える事が出来た。
魚雷なんて、命中を期待するなら僅か数kmの距離から狙う必要があったし、砲撃だってせいぜい30km程度だ。
だが、飛行機ならば数百km先から飛んで来れる。
この結果が、航空主兵論を生むんだ。
ん?飛行水雷の話はまだかって?まあ、待て。
こうして生まれた航空主兵論だが、何もこれを使うのは日本に限らないよな。
日本にとって喫緊の課題は何であったか?
太平洋戦争までは明らかに浦前の岬防衛だ。
来援する日本艦隊へと米軍が殺到する事は必然と考えられたんだ。
そこで、矛としての航空攻撃だけでなく、防空戦をどう戦うかが検討された。
ゼロ戦が20ミリ機関砲を備えるのも、この時に考え出された防空戦指針に基づくものだ。
日本艦隊が浦前の岬へ近づけば、まずは艦隊や潜水艦がやって来ると思うだろ?
だが、船ってのは時速60km程度しか出せない。
それに対して飛行機ならば、1930年頃でも300kmは出せた。
速度に5倍の差があったんだ。
どちらが先にやって来る?
そう、飛行機が先にやって来ると考えられた。
そこで、防空戦の在り方が考えられた中で、艦上に設置する対空砲の性能をどう試すかが話し合われたんだ。
それと同じ頃、江戸前では無線操縦によって飛行機を飛ばす試験が成功していた。
ちょうどふたつがタイミングよく重なった訳だ。
そこで、無線操縦の機体を実弾で迎え撃つ訓練が提案された。
こうして生まれたのが、パルスジェットを用いた標的機だ。
機体は戦闘機ほどの大きさで、1時間も飛べれば良いし、何なら破壊される事が前提だから、出来るだけ安く作れる様に考えられていた。
飛び立たせる船の方も空母の様な立派なモノは不要だった。
旧来通りに射出装置があるだけの船が用いられた。
こうして訓練が始まったのだが、問題が発覚したんだ。
無線操縦と言うと、ラジコン飛行機を思い浮かべるだろう?
だが、ラジコンで用いるプロポの様な小型な装置はまだまだ実用化していなかった。
何隻もの訓練艦に対して多数の標的機を飛ばせるほどの万能性は持っていなかったんだ。
1隻ごとの訓練は順調に進んだ。
だが、艦隊として行う防空戦の訓練には飛行隊が敵役を務めるから実弾は使えない。
確かにそれでも充分な訓練にはなったのだが、せっかく標的機があるのだから、数十機を一度に飛ばしての実弾訓練をやりたくなるよな。
それは、標的機を送り出した江戸前でも同じだった。
そこで、確かに自由な飛行が可能な無線操縦は様々な訓練が行えるが、より適した標的機は作れないものかって欲が出た訳だ。
そうして生み出されたのが、ジャイロを用いた自動操縦型標的機だった。
江戸前にとってはそう難しいモノじゃなかったから、1935年には軍に採用され、大規模な演習が行われたほどだ。
この演習によって、航空攻撃は確かに強力であるが、艦隊側の防空がしっかりしていれば損害も多くなる事が判明した。
そう簡単に空母を用いた攻撃に全てを掛ける事は危険性が高く、損害も多くなるってな。
まあ、中にはそう考えなかった人達もいた訳だが。
それと共に、ジャイロを用いて数十km先から標的機を放つ姿に注目した人達も居たんだ。
魚雷や砲弾より遠くから飛行機の様に攻撃するのも可能じゃね?ってな。
こうして開発されたのが、ジャイロによる慣性飛行と無線操縦を組み合わせた、射程20kmほどの短射程型だった。
何で飛行水雷なんて名前が付いたのか?
それは、積み込む艦船が駆逐艦だったからだ。
駆逐艦の主武装は魚雷だ。
じゃあ、標的機を転用した飛行爆弾を積んだらどうなる?
お役所的な問題が発生したんだよ。
まだ飛行機に積むにはデカいから、それ単体を飛行〇〇って名付けたら、駆逐艦が空母の領域に手を出す事になり兼ねないって縄張り意識が生じたんだ。
そこで、あくまで魚雷の一種ってテイで扱う事が決められ、名称が飛行水雷になった訳だ。
太平洋戦争が始まると電探の小型化や誘導装置の発明なんかも重なり、1943年には撃ちっ放しの飛行水雷が実用化した。
伊400に積まれたモノはそれらとは系統が異なる無人攻撃機なんだが、お役所的な問題から、暫くは飛行水雷って名称が使われる事に繋がっている。
あー、あんまり話してると課題が終わらないな、ほら、課題をやらないと、次の万葉文の授業で困るぞ。




