42時限目・フランス降伏
授業の時間だー
さて、前回は1940年の話で終わったな。
では、翌年には華々しく日本が反撃に出たかと言うと、そう簡単にはいかなかった。
やろうとして出来ない話ではなかっただろうが、何事にも準備が必要だからな。
だが、その準備を邪魔する出来事がヨーロッパで起こる。
なんと、フランスは自ら宣戦布告しておきながら、戦争準備がまるで整っていない状態だったんだ。
対するドイツはアメリカからの借款により、戦備を整える工業力ができあがっていた。
ドイツはフランスやイギリスが宣戦布告をしたとしても、すぐに動けない事を見透かし、先ずはポーランド攻略を優先した。
ロシアを刺激するからイギリス、フランスが宣戦布告したらロシアが参戦するって見られていたのだが、ロシアは動かなかった。
ドイツは秘密裏にロシアと交渉し、東ポーランドを緩衝国としてロシアに譲る密約を交わしていたんだ。
まさか素直に信じた訳じゃないが、戦争準備が出来ていないのはロシアも変わりない。
それに、ロシアは日本とは小競り合いをしながら一定の関係を続けといたが、イギリスとの関係は微妙だったし、過去のようにフランスと手を組んでドイツを締め付ける関係にもならなかったんだ。
原因はイギリスやフランスにある。
ロシアは第一次世界大戦後、日本からの膨大な支援を元手に著しい経済発展を遂げるのだが、イギリスやフランスはその姿に警戒感を強めていたんだ。
ロシア自身、旧領やカルパチア以西への関与を隠そうとすらしなかったのも原因ではある。
ロシアから見れば経済支援によって東欧諸国は発展していた。
ハンガリー、ブルガリアがそうだ。
さらにセルビアにも関与している。
さらに、ポーランドという敵に対処するためドイツとの関係も築いていたほどだ。
イギリスは、経済発展によってムルマンスクのロシア艦隊が強大化する事を恐れて経済関係を最低限に抑えていたし、フランスは国内政治が二転三転、朝令暮改状態で対ロシア外交の一貫性を保てなかった。
こうして、東の抑えが効かない中で行われた宣戦布告は、ドイツに戦争準備の余裕を与えるだけの結果となり、ポーランドでの機動戦をさらに洗練させ、1941年2月、フランス侵攻が始まったんだ。
勝敗はひと月で決した。
フランスは準備が整っていない中を侵攻され、頼みのマジノ線を迂回された事で主力部隊は孤立、イギリス軍もオランダ、ベルギーを守れずフランス領内まで撤退したところを包囲され、半数は脱出出来たが、6万人が降伏する事態になったんだ。
そこからはドミノ倒しの様に事態は動き、1941年4月、フランスはベルサイユ宮殿で降伏文書に調印する事になったんだ。
一部はボルドー政権を組織してスペインの支援で戦い続けるが、この物資調達を日本が受ける事になってしまったんだ。
こうして、スペイン、フランスを支援するため南大孤島の工業力をもって行かれ、イギリスやロシアへの支援もする事になって対アメリカに振り向ける生産基盤は日本海周辺、経済力にして半分以下に限られる厳しい状態になっていたんだ。
これじゃ、いくら日本の経済力が凄かろうとアメリカを圧倒するには足りない。
対するアメリカも、浦前の岬奪取に失敗し、北米大陸での警戒を解けない状態での南洋侵攻を躊躇っていた。
ハワイや沙萌夢奇襲は日本の警戒が緩かったから成功しただけで、浦前の岬攻防での損害は看過できないレベルだったからな。
ハワイを得た勢いのまま西進すれば、破滅しか持っていないのは容易に想像出来たんだろう。
実際の日本は、浦前の岬防衛に戦力を集中していたから、アメリカがその気になれば南洋の占領は成功したかもしれない。
ああ、占領だけな。
ハワイの占領統治すらままならん状態だったから、さらに西へ軍を進めても、占領後の補給は絶望的だっただろうってのが、大方の見方だ。
そんなアメリカ海軍は、ハワイの維持に全力を傾け、浦前の岬を海から攻略する戦力にならなくなっていた。
そりゃ仕方ない話だ。
日本海軍、とくに鎮南将軍が育てたのは、いわば海賊だったんだから、多数の戦艦や空母を並べて堂々と決戦を挑むなんて発想自体が欠落していた。
南方艦隊は少数の巡洋艦や潜水艦でアメリカ海軍の航路を探り、一部はカリフォルニア湾入り口まで進出して監視を行っていたくらいだ。
貨物船が海原に出れば連携して追跡し、最も襲撃しやすい場所まで泳がせてから襲う。
海賊そのものの行動をやっていたんだ。
アメリカも対策として船団を組んだり護衛を付けたが、それらは被害を増やすことにしか繋がらなかった。
だってそうだろう?
南方艦隊は群狼戦法で潜水艦、巡洋艦が連携して波状襲撃をやるんだ。
少数の護衛艦隊じゃ何の役にも立ちゃしないよ。
アメリカはあまりの損害に業を煮やして空母機動部隊を押し立ててハワイへやって来た。
だが、そんな大艦隊をマトモに相手しないのが南方艦隊だ。
大艦隊を避け、チャッカリ後続の補給船団を襲撃している。
アメリカも、戦争をするにあたって全く日本を研究していなかった訳じゃない。
だが、彼らが知り得た日本人や日本軍は鎮北将軍や幕府由来の軍、漢大陸から近い列島、半島庶民が大半だった。
南洋や南大孤島の人々の性質が別物なんて考えもしなかった。
仮に知っていても、アメリカ軍は東海岸の政治家やエリートが動かしているから、日本軍だって同じと考えるのは仕方ない。
実際の南方艦隊をはじめとする日本軍は、鎮南将軍の教えを引き継ぐ立派な国家海賊って理解が正しかった。
そんな日本の攻撃を何らかの挑発と捉えたアメリカ海軍は、あろう事か再び沙萌夢襲撃を敢行したんだ。
流石のアメリカ海軍も、再び彩帆を狙うリスクくらいは計算出来ていたらしいな。
アメリカでは、この沙萌夢襲撃作戦を7月の惨劇なんて呼んでいる。
襲撃作戦が行われたのは7月だった。
ハワイを発ったアメリカ機動部隊は即座に捕捉されたが、南方艦隊は正面から構える事はしなかった。
韜晦航行を続けたが、熱雨諸島や沙萌夢へ向かっている事は明らかで、翌日には全域で臨戦態勢が敷かれる。
沙萌夢へ攻撃隊が飛来したのは、奇しくも7月4日、アメリカ独立記念日だったんだ。
飛来した180機のうち、空母に還り着けた艦載機は十数機。
大半は待ち構える迎撃隊や対空砲火で落とされるか致命的なダメージを受け、空母まで飛べなかった。
この時南洋に配備されていたのは、尾張航空製造所が開発したガソリンエンジンの戦闘機だった。
1940年に採用されたから零式って呼ばれる事になり、一般にはゼロ戦として知られる戦闘機だ。
フライヤー忠八がジェットエンジンにのめり込む傍ら、その狭間を埋めるために作られたのが、尾張航空製造所だ。
第一次世界大戦頃からガソリンエンジンを用いた飛行機を製造していて、この頃が最盛期だった。
そんな絶頂期に優秀なエンジン技師を得て開発されたのが、名機と呼ばれる金星エンジンだ。
その金星エンジンを用いて開発されたのが、ゼロ戦。
まだまだジェット戦闘機が短時間しか飛べない時代に主力として活躍する事になる。
重量のあるリボルバーカノンは搭載していないが、当時としては強力な国友20ミリ機関砲を積んでいた。
アメリカ機動部隊への反撃として飛行水雷を抱える爆撃機の護衛も務め、なけなしの直掩機を蹴散らし、空母3隻を大破させることにも貢献している。
それ以後は南方艦隊の主戦場だ。
ハワイへ帰れたのは、巡洋艦1隻、駆逐艦4隻に過ぎず、カリフォルニア湾へ向かった艦船に辿り着けた船はいない。
独立記念日の前後にこんな惨劇を公表出来るはずもなく、アメリカ大統領府は映画会社に制作させた偽の勝利宣伝映像を国民へと報じたんだ。
おっと、時間だ。




