41時限目・太平洋戦争
あー、授業の時間だー
前回はアメリカに奇襲攻撃された話だったな。
日本は奇襲であれ何であれ、浦前の岬の備えは万全だったことも話したな。
じゃあ、ハワイや沙萌夢が奇襲され、あまつさえ彩帆や天国島まで押し込まれるなんてありえないって思ったりしないか?
だがな、それは後知恵って言うんだ。
戦争が終わる前から、ハワイや沙萌夢は仕方がなかったとしても、天国島や彩帆攻撃は阻止できただろって批判が上がっていたんだが、当時の日本は、まさかアメリカが空母を多数集中運用して太平洋を渡って攻撃して来るなんて、考えてもいなかったんだ。
そういう戦法を提唱していた軍人が日本にも居る?
確かに居た。列島出身の高野五十六って提督だ。
だが、主流派じゃなかったから、海軍中枢では全く相手にされていなかったんだ。
だいたい、当時日本に何隻の空母があったか知ってるか?
全部で8隻だ。
陸ではすでにジェット機が飛ぶようになっていたのに、ガソリンエンジンの飛行機を積んでたんだぞ?
原因はフライヤー忠八のあまりにも先進的過ぎた考えにあったんだ。
以前も話したように、日本は世界初の動力飛行を成功させている。しかもジェット機だ。
だが、当時のジェット機はパルスジェットという自力で離陸が出来ないエンジンだったから、欧米で開発されたガソリンエンジンを積んだプロペラ機に劣る存在だった。
その後、日本でもガソリンエンジンで飛ぶプロペラ機が導入されたが、フライヤー忠八はジェットエンジンの開発にばかり注力していた。
その成果もあって1933年にはターボジェットエンジンの開発に成功するんだが、それから5年ほど経ってもプロペラ機ほど長時間飛べる機体は実現できていなかった。
戦争勃発時点で空軍が有していたジェット戦闘機は、時速千km近い速度が出せたが、その飛行時間は一時間程度でしかなかったんだ。
航続距離が欧州機と遜色ないかむしろ上だって?
それは、プロペラ機の巡航速度が300kmくらいの時代に600kmなんて速度で飛んでたからに過ぎん。
飛行時間で見れば、欧州機より短かいんだ。
こんなすぐに降りなきゃならん機体じゃ、空母には積めないだろう?
そして、レーダーも浦前の岬を中心とした北米大陸への配備が優先で、南洋への配備は遅れていた。
さすがに彩帆にはあったが、飛来した飛行隊をアメリカ軍だとは認識できていなかった。
日本にとって対アメリカの最前線は北方だったから、まさか太平洋のど真ん中を突っ切って攻撃して来るなんて想定には懐疑的だったんだ。
それに、空軍機の半分くらいの速度しか出せないプロペラ機がそんな脅威だなんて認識もなかったかもしれない。
実際、数十機が飛来しただけだったなら、ハワイや沙萌夢であっても対応できたと言われている。一度に200機なんて大軍が飛来した事で迎撃が間に合わなかったんだ。
実際、太平洋での奇襲作戦を成功させたアメリカ海軍だったが、帰還時に200機、300人近い搭乗員を失っていて、すぐに反復攻撃が出来る状態じゃなかった。
それが可能だったなら、沙萌夢が占領されていたかもしれないんだ。
残念ながら、10月20日に攻め寄せたハワイを守り切ることは出来なかったんだがな。
なぜこの時期にハワイへ攻め込んで来たかって?
それは大統領選挙でルーズベルトが勝つためだよ。
実際、大統領選挙はハワイ上陸成功というニュースのおかげで共和党は歴史的大敗北を喫する結果となったんだ。
ああ、アメリカといっても旧本土以外に色がほとんどついていないって?
そりゃあそうだ、メキシコはじめ中米の選挙人は、アメリカ政府に認められた一握りだったからな。その所属地域の都市部でしか選挙は実施されていないんだから、そうなるのは仕方がない。
だが、現在でもアメリカにおいては、1940年選挙の選挙地図は民主党勝利を示す青表示で中米が埋め尽くされているんだ。
選挙人がごく一部の都市にしか居なかったんだから、真っ赤なウソなんだがな。
アメリカはハワイへ上陸し、カメハメハ軍港を占領する事に成功した。
これで日本は8隻の戦艦を完全に失ったんだが、その事はあまり戦局に影響を与えなかった。
知っての通り、浦前の岬の攻防において北部上陸を目指した船団があった事は前回触れたな。
この上陸船団は戦艦4隻を含む20隻からなる艦隊に護衛されていたんだ。
対する日本軍は巡洋艦2隻、駆逐艦12隻、水雷艇16隻だった。
いくら日本側に航空支援が手厚く行われたからと言って、阻止するには多大な犠牲が待ち受けている様に見えるよな。
おいおい、そんな簡単に答えを言っちゃ面白く無いだろう?
まあ、知っての通りなんだが、それはなぜか?
それはこの時より遥か一世紀前、リボルバー通賢が考案したリボルバーカノンにまで遡る。
リボルバーカノンは手動機関砲の一種としてしばらく使われたが、銃身一本の自動機関銃が普及するに従い廃れてしまった。
だが、飛行機が戦場を飛び回る第一次世界大戦後半に至り、飛行機を撃ち落とせる大口径機関砲の必要性が浮上したんだ。
その後、イギリスでポンポン砲が実用化されたが日本にとってはまるで威力不足と判断された。
そりゃそうだ。すでに500km近い速度で飛ぶのは夢じゃなかったからな。
もっと弾を沢山ぶっ放せる機関砲が求められ、国友と江戸前重工業がタッグを組んで作り上げたのが、リボルバーライフルの様に銃身を一本に減らした新型リボルバーカノンだった。
ポンポン砲の実に5倍は発射速度のある優れものだ。
そこに射撃方位盤まで組み合わせたんだから、500km程度で飛ぶプロペラ機なんか簡単に撃ち落とせるバケモノが誕生した。
彩帆や天国島で火を吹いたリボルバー対空砲は、準備不足な状態でも20機近いアメリカ軍機を落としている。
当時の日本軍艦は、アメリカ軍機をそのくらい落とす事が出来たって事だ。
こんなにバッタバッタ対空砲で敵機が落とせるなら、ワザワザ大量の空母を仕立てたって、攻撃失敗が目に見えてるだろ?
じゃあ、日本軍はそれに対抗する策を練らなかったかと言うと、しっかり対策をしていた。
それも、もとをただせばフライヤー忠八の考えに行き着く。
人が乗る軍用機は撃墜の危険があるから、対空砲の届く範囲に近付かずに攻撃できる飛行爆弾を使うべきだって主張してたんだ、彼は。
1926年には実際に試作されている。
そこから8年掛けて完成されたのが、自律飛行爆弾「桜花」だ。
地上や船からぶっ放すには最適だったが、全長7m、幅6mを超えるサイズじゃ空母艦載機には積めない。
最小の損害で最大の戦果が出せる兵器があるんだから、ワザワザ空母でプロペラ機を死地に送り込ま無くても良いだろう?
日本海軍が空母にあまり期待していなかったのは、そんな理由からだった。
そして、浦前の岬防衛戦で確かな戦果を出し、海戦では飛行水雷を積んだ水雷艇が戦艦に打撃を与えているんだから、その考えは正しかったと言えるだろう。
と言っても、戦時下に青天井の開発費が投じられた恩恵もあって、1944年には航空魚雷と変わらんサイズの飛行水雷を実用化しちゃうんだかな。
こうして、戦争が勃発した年の戦局は、日本の分断と北米奪取を狙うアメリカの思惑こそ頓挫したが、ハワイ占領を許す痛手を被る事になかったんだ。
おっと、時間だな。




