40時限目・第二次世界大戦勃発
ほーい、授業の時間だぞー
さて、前回の続きだ。
ヒトラーがそれまでの穏健姿勢をかなぐり捨て、いきなり暴走を始めた事にイギリスやフランスは慌てふためき、有効な対応が取れずにいた。
そうなった原因は、明らかにアメリカによる借款停止通告と短期借款の償還催促にほかならない。
当時のドイツ経済は、ルーズベルトがナチス政権を支持して大規模借款を行った事に依存していたんだ。
この借款によって、半ば無尽蔵の資金を元手にナチディール政策を推進し、アウトバーンや鉄道網の大規模整備や重工業の再建が行われ、1938年には大戦前並の実力を取り戻していたんだ。
アメリカからの支援もあって、大規模工場の建設が各地で行われ、フォードに倣う様に量産乗用車計画が発表され、あの有名なビートルが開発されたりもした。
ちょっと陰謀論めいた話になるが、ドイツもアメリカ借款の返済については頭を悩ませていたって話がある。
アンシュルスやズデーテン獲得、ポーランド回廊問題ってのは、あの時点でルーズベルトが工作せずとも、あと5年程度で発生したと言われているんだ。
工作が無くとも、アメリカ借款の返済時期が1943年頃から始まる事は決まっていた。
じゃあ、素直に返済が可能だったかと言えば、ベルサイユ条約による賠償金もあって経済失速は目に見えており、下手をすれば1945年頃には破綻なんて予測もあったそうだ。
つまり、ヒトラーは経済破綻を回避するため、1945年までに戦争を起こしてすべてをチャラにする気だった。
そんな話もある。
現にイギリスはその可能性に備え、軍備増強を実施していたのは事実だからな。
だが、あまりに事態の進行が早すぎて間に合っていなかった。
じゃあ、アメリカは何で借款停止や償還期限の前倒しなんて話をしたのか?
これは、ルーズベルトや民主党の事情がそうさせたって見方が多数の意見だ。
当時のアメリカは、ニューディール政策によって非常に好景気に沸いている様に見えた。
経済統計上は、大軍拡の実施でさらにそれが持続するんだが、事を民需に限れば話は違って来たんだ。
アメリカは対日政策を重視するあまり、旧本土の経済をあまり考えていなかった。
メキシコやパナマなどの中米地域を植民地として搾取する気でいたはずが、気が付けば大工廠をカリフォルニア湾へと建設した事で、経済の中心が北米から中米へと移り、利益を享受する経営者や政治家ならともかく、中流層の労働者には新たな仕事がない状態になっていたんだ。
これでは、アメリカ経済が数字上でいくら上昇しようと、公共事業が完了すればアメリカ旧本土の経済は停滞してしまう。
消費の大半がカリフォルニア湾へと流れるのだから、そうなるしかない。
当時の民主党政権では、ルーズベルトから順調に大統領を代替わりしルーズベルト院政へ移行する計画への黄色信号を示す経済報告が上がり、急遽、事態打開策としてドイツからの資金引き揚げが決まったって流れなんだ。
アメリカでも、まさかヒトラーが暴走するなんて予測出来なかったって意見もあるが、多数の意見は将来予測されるドイツ経済破綻を前倒しし、民主党政権の延命を図る為に画策したって見方だ。
こうしてヨーロッパで戦争が始まり、まんまとルーズベルト三選への批判は掻き消されてしまった。
このアメリカの動きに対し、日本は当然の様に浦前の岬の警戒レベルをマックスまで引き上げた。
1940年4月、ヨーロッパではとうとうドイツがポーランドへと宣戦布告し、ポーランド回廊問題も戦争へと発展したんだ。
これに対しイギリス、フランスもドイツへと宣戦布告する事で対抗し、第二次世界大戦が始まる事になった。
そんな状態だが、浦前の岬周辺はとても静かで戦争の気配さえなかった。
まだアメリカの準備が整っていないのではって見方が多かったが、事態は夏に急展開を迎えるんだ。
1940年8月15日、突如としてハワイのカメハメハ湾や沙萌夢へと攻撃が行われた。
アメリカの狂気って奴が始まったんだ。
この時、アメリカ海軍はそれぞれ4隻の空母を中心とする機動部隊を編成し、一隊がハワイから南洋、そして彩帆を次々襲撃してまわった。
もう一隊は沙萌夢を爆撃した後、さらに進んで天国島まで襲撃したんだ。
この奇襲で日本海軍は南洋艦隊の主力を失ってしまう。
カメハメハ湾には8隻の戦艦が前進配備されていたし、沙萌夢にも東天竺艦隊の主力巡洋艦が配備されていたからだ。
こうして完全に隙を突かれた日本海軍は防戦一方となり、アメリカ艦隊を取り逃してしまった。
唯一の救いは総督府が中立を宣言した事だろう。
マッカーサーはアメリカ艦隊による襲撃を知るとすぐ声明を出し、遼東半島総督府が中立であること、配下の保安官隊やコーストガードにもそれを守らせる事を表明したんだ。
こうして、アジアに残されたアメリカ軍は、アジア艦隊と海兵隊だけとなり、8月20日までに沈むか降伏する事になった。
アメリカがどんな理由で奇襲したかは有名だよな。
シアトル事件という、一隻の哨戒艇沈没事故を日本による攻撃って事にした訳だ。
だが、事故が起きたのが8月10日だ。
たかが5日で8隻の空母を動員する大規模作戦なんか可能か?
誰が見ても言い掛かりにしかならないんだが、事故現場のシアトル以外じゃ、こんなウソがまかり通ってしまったんだ。
散々に反日機運を高めてきた成果と言えただろうな。
この奇襲攻撃がアメリカで報じられると、各地で黄色人種を襲撃する事件が多発した。
とくに漢人の多かったカリフォルニア州は酷く、チャイナタウンが廃墟と化したほどだった。
そんな熱狂が支配するアメリカにおいて、シアトルだけは静かに事態を見守っていたんだ。
アメリカは、日本の戦艦をいきなり8隻も破壊した事で行動の自由度が上がっていると理解し、浦前の岬へと三度侵攻を始めるんだ。
猛烈な爆撃を三日三晩続け、海岸線から建物を一掃した後、さらに三日に渡る徹底した掃海を行い、ようやく上陸を始めたんだが、上陸開始1時間で海岸線が血で染まる。
さらに轟音を轟かせる多数の小型機が上陸艦艇へと体当たりを行い、辺り一面が炎と黒煙で覆われてしまう。
そこに追い討ちを掛けるように集束爆弾が投じられ、上陸開始3時間でアメリカ軍は5万の犠牲を出す事になったんだ。
遺体や遺品がシアトルの海岸にまで多数流れ着く様な事態となり、作戦は三日で中止される。
北部を目指した上陸船団はさらに悲惨で、潜水艦や阿羅斯加から飛来する日本軍機によってすべて沈められている。
あまりに凄惨な事態にシアトルでは反戦運動が始まったのも仕方がない。
シアトル市民にとって、浦前の岬は触れてはいけない禁忌とされていたくらいだからな。
三度目ともなれば、そりゃ当然そうなるだろうさ。
とは言っても、シアトル周辺以外じゃそんな事にはお構いなしの反日が盛んだったから、終戦までに30万ものアメリカ青年が浦前の岬周辺で犬死してしまうんだ。
まあ、開戦ひと月でシアトル周辺から出港出来なくなったから、シアトル市民はあまり犠牲を見ずに済んだのは幸いだったかも知れん。
おっと、時間だ。




