38時限目・ニューディール政策
授業の時間だー
1933年4月1日、ドイツ共和国は一隻の軍艦を就役させた。
有名なドイッチュラント級装甲艦だ。
基準排水量1万8千トン、速力29ノット、32センチ三連装砲塔2基6門。
当時のドイツ艦砲は、英仏のワンランク上の威力なんて言われていたから、この時のフランスの慌て様は凄かった。
ドイツを建造中から批判していたが、ベルサイユ条約には違反していない。
フランスは、まさか条約の規定にある「更新艦の建造に際して既存の砲塔数を超えない」をこう解釈するとは思っていなかった節がある。
主砲の32センチ砲も、条約どおり帝政ドイツ時代の戦艦群より小さいセーフのラインを絶妙について来た。
英仏が甘い制限に留めたツケを払っただけの話だった。
これを喜んだのは他でもない、就任間もないアメリカ大統領だ。
当時のアメリカは、中米併合やヨーロッパ貿易の不振で国内は荒れていた。
そこに追い打ちとなったのが、ロンドン海軍軍縮条約だったから、大統領選挙に当たって、当時野党だった民主党は条約の不当性を攻撃材料にしていたんだ。
国民の不満が生み出した大統領は、真っ先にドイツへの援助へ踏み出した。
それは資金的なものに限らず、ドイツが持ち得ない戦後型戦艦の設計技術にまで及ぶ範囲の広いものだった。
そして、国内に対しては、反日を掲げて支持を集めようとしていたんだ。
だが、知っての通り日本には南大孤島という広大な土地があるので移住先には困っておらず、アメリカ合衆国には日本人移民などいなかった。
ただ、彼らからすれば浦前の岬にいる黄色い土人と姿が似通った苦力が西海岸には多く住み、白人や黒人から職を奪っている様に見えた。
アメリカ南部はすでに中米からの流入民が単純労働の主力となり、さらに北へと流れ、カリフォルニアでは苦力が単純労働を担う状態だったから、失業者たちにとっての敵にしやすかった。
だが、そこで漢人批判などする訳にはいかないから、姿の似通った日本人を標的に据えたプロパガンダを発信していく。
さらにアメリカは、ニューディール政策を推進していくんだ。
一見して日本が呂宋や南大孤島で行うインフラ事業と大差なく見えるが、事業を全て政府が統括し、利益や損益に関わらず国が運営する体制を実施していた。
いわゆる社会主義ってヤツだ。
アメリカでは批判も巻き起こるが、ニューディール政策には雇用する人種毎の人数まで決められ、中米併合で失業させられていた白人や黒人も職に就けたので、思想や理想よりも生活が優先する大多数の市民は大統領支持を貫いていた。
反対するのは企業家や弁護士、政治家、学者という上流層が大半なので、大統領支持率は盤石と言えた。
こうして、ニューディール政策によってアメリカではダムや鉄道、高速道路が整備され、さらにメキシコなど南部には、大規模な灌漑設備を建設して大規模農場が拡がった。
ニューディール政策によって失業者は目に見えて減り、停滞していた経済は連邦政府によって計画的に回る仕組みへと作り替えられていったんだ。
これはドイツにも言えた。
ベルサイユ条約によって課せられた莫大な賠償金に喘ぎ、未曽有のインフレが襲ったドイツは、アメリカを範とするヒトラーによって行われるナチディール政策によって急速な回復を見せていた。
ドイツの経済回復は、全てアメリカからの投資や借款に依存していたんだ。
こうして、日本やロシアを上回る経済成長を見せる両国は、世界の学者や一部政治家から絶賛されていた。
フランスはアメリカに見倣えって主張する政党が支持を伸ばしたし、日本やイギリスも似たような声が支持を集めていた。
しかし、日本やイギリスにはあんな経済政策は無理がある。
日本は太平洋に広く国土が広がり、イギリスはインドを中心とする植民地に依存しており、尾張やロンドンの僅かな人数で国のすべてを決め、その通りに運営するなど無理な事が明らかだったからな。
アメリカは、ニューディール政策を満州にも持ち込み実践する事で、満州経済も大きく飛躍した様に見えた。
寒凍から眺めると、それは鞍山を中心とする工業地帯や大連を中心とする港湾に限られ、黒河などにまでは達しておらず、寒凍と黒河など満州北部は従来通りの交易が続いていた。
アメリカがいくら成果を宣伝しても、実際に黒河の現状は何も変わらず、そのウソはバレバレだったが、日本はそこには触れなかった。
そして1936年3月、絶好調なドイツはベルサイユ条約によって非武装とされていたラインラントへと軍を進めたんだ。
よく知られるラインラント進駐というヤツだ。
ドイツは、前年にベルサイユ条約の軍備制限条項を破棄して再軍備に乗り出していたんだが、その次のステップとなったのが、このラインラント進駐なんだ。
これでベルサイユ条約は完全に葬り去られたも同然になったが、フランスは有効な手を打つことなく進駐が行われた。
じゃあ、フランスは何をしていたかって?
実は、ドイツよりもっと過激な社会主義運動が行われて政治も経済も混乱し、とてもではないがドイツに対抗するような政治決断が出来る状態じゃなかった。
さらに、ベルサイユ条約の立役者だったはずのアメリカは、ドイツを支持する声を上げてフランスの意志をさらに後退させていた。
アメリカ大統領は、ドイツが自国の領土に軍を配置するのは民族自決だと言い、フランスが対抗措置を取らなかったことを称賛したんだ。
今から見ればとんでもない話なんだが、当時は誰もその事に反対しなかった。
何でアメリカがドイツを支持したのかって?
それは、アメリカ自身が似たようなことを画策していたからなんだ。
ドイツがラインラントに進駐してもフランスは戦争に打って出ず、イギリスも口先以上の事をしなかった。
それを見て6月、青島で起きたちょっとした暴力事件をきっかけに、アメリカと大漢民国軍が衝突する第二次青島事件が発生した。
青島は英仏日の圧力で租借や軍港化はされていなかったが、アメリカ町であることに変わりはなかった。
第一次青島事件で奪還した後、明確な租借こそ阻止されたが、アメリカからすれば租借地のように自由に扱って良い土地という認識だった。
そのため、山東半島にはアメリカの国内法が適用されており、この時の衝突でも民国軍司令官が保安官隊に逮捕されているんだ。
そうなんだ。
国内ってことを理由に、遼東半島だけでなく、山東半島に駐留するのも保安官なんだ。
アメリカ本土の保安官はショットガンとリボルバー拳銃くらいしか持っていないが、大陸に居る保安官隊は機関銃や大砲を持っていた。
装備に優れた保安官隊が、ちょっとした暴力事件から民国軍の制圧を行い、司令官を逮捕しちゃうんだから、もう、何が何やらって話だ。
ちょうどこの年はアメリカ大統領選挙が行われていたんだが、この事件をなぜか悪辣な日本を退治して大漢民国を助けたってことに歪曲して選挙に利用されたんだから、何が何やらだよな。
おっと、時間だ。




