34時限目・ベルサイユ条約
おー、授業の時間だぞー
前回も第一次世界大戦についてだったが、ようやく戦争も終わりだ。
1914年8月に始まった戦争は、1918年にようやく終わる兆しを見せたんだ。
ドイツもオーストリア=ハンガリー帝国も、ロシアと日本の優勢な戦いぶりに疲弊しつくし、もはや戦争どころではなくなっていたんだ。
イギリスも、あまりに強すぎる日露連合軍を脅威に感じ、さっさと戦争を終わらせようとしていた。
ドイツはこの時、レーニンと言う革命家をロシアへ送り返す事を画策するんだが、密入国に失敗してしまっている。
最近の研究だと、仮に密入国が成功してもロシア国内が混乱するような革命には至らなかっただろうと言われているから、ドイツのやったことは骨折り損でしかなかったんだがな。
ロシア国内の問題について触れておくと、坂本商会との邂逅が大きな転換点になっている事が分かる。
龍馬在りし頃の坂本商会は、積極的にロシアでの事業を展開し、著しい近代化を成し遂げているんだ。
何というか、龍馬あっての日露の対立みたいな面が無きにしも非ずなんだが、交渉能力に優れた龍馬がロシアの抱える問題に改善の道筋をつけていたと言って良いだろう。
坂本商会自体、イギリスやフランスから警戒されるような組織って陰謀論は枚挙にいとまがないほどだよな。
ロシアの歴史を改変してしまったなんて話もあるほどだ。
イギリスやフランスの思惑通りであれば、ロシアは1920年代には亡国が訪れるはずだったのに、龍馬がそれを覆したとかって陰謀説まで出ているよな。
そう言われるだけの発展をロシアにもたらしたのは、まぎれもなく坂本商会だった。
寒凍における日露の対立は、坂本商会の陰謀なんて話まであるが、歴史を見ればそうではない事が分かる。
言ってしまえば尾張織田政権の失策であり、徳川幕府の落ち度だったんだ。
ロシア人探検家はレナ川沿いに東を目指し、北極海からチュクチ半島まで到達していたことが分かっている。
ロシア人は寒凍中央山地も発見していたから、清とネルチンスク条約を結んでいた。
ロシアからすれば、日本は後からやって来て東寒凍を掠め取った泥棒って認識だから、日露の対立は坂本商会以前の問題なのが分かるだろう。
陰謀論好きの夢を壊すような話だがな。
さて、こうして戦争の終わりが見えた頃、疲弊しきったドイツで革命騒ぎが起きるんだ。
キールの反乱と呼ばれる騒乱だ。
この反乱によってドイツは西部戦線の維持が困難となり、とうとう講和の席に着くことになった。
こうして、フランスのベルサイユで開かれた講和会議は荒れに荒れ狂う。
何と言っても、戦争の終盤になって強引に西部戦線への派兵を押し付けて来たアメリカが、我が物顔で荒らしてまわったからだ。
たしかに、最終的にドイツを追い詰めたのはアメリカの物量だったが、正直、誰にとってもその参戦は要らぬおせっかいだった。
アメリカさえ介入しなければ、ドイツはもっと早く有利な条件で講和交渉をはじめられたし、フランスは犠牲を減らせたかもしれなかったからだ。
さらに、自分の中米での所業などどこ吹く風で民族自決や平和原則などと意味不明な供述まで始めてしまう。
だが、政治家たちとは違ってヨーロッパの一般的な人々は、アメリカのスローガンに拍手喝采だったんだ。
たしかに、ヨーロッパには大国のパワーバランスによって潰された小国と言うのが多かったからな。
こうして、火事場泥棒しかやっていないアメリカがスポットライトを浴びる会議は、欧州政治家たちの思惑外で勢いづいた人たちに押され、オーストリア=ハンガリー帝国の解体、キールの反乱を認めドイツ皇帝の退位などが華々しく決められていったんだ。
イギリスやフランスは、押しつけにも等しい援助の負債によって口を挟めなくなっていた。
明らかに二十一か条要求に介入した事への報復だったが、認めるしかなかったんだ。
そして、その矛先はロシアや日本にも向いた。
ロシアは東プロイセンを得たにもかかわらず、民族自決の名のもとにポーランドの独立を認めることになり、東プロイセンの大半を独立するポーランドに差し出したんだ。
そして、事もあろうに平和原則を理由にケーニヒスベルクはドイツへと返還されることになった。
日本に対しても、山東半島へ関わらなかった事を理由に、大漢帝国への不干渉を求めて来たんだ。
アメリカから見れば、自分は悪のドイツから山東半島を奪い返し、大漢帝国へ還した正義の味方って事だったらしい。
日本は特に大漢帝国に干渉する気もなかったので、沿海州編入以外の問題は全て受け入れる姿勢を見せた。
この後、イギリス、フランス、ロシアは八つ当たりのようにドイツへと賠償を求め、金と技術を毟り取る事になったんだ。
アメリカはどうしたかって?
まるでドイツの味方を装って、莫大な融資を約束している。
日本はここで、欧州特許に絡んで輸出が出来ない平賀機関の権利問題を持ち込み、ようやくヨーロッパでも平賀機関を売ることが出来るようになったんだ。
もちろん、アメリカは合意を拒否したからそこには入っていないんだがな。
こうして、ヨーロッパには新国家が多数誕生する事になる。
アメリカは平和の使者として勝ち誇ったような顔をしていたが、ベルサイユ条約が結ばれて数年もすれば各地で紛争が発生したんだから、どこが平和なのか訳が分からないよな。
おまけにアメリカ大陸がどうであったかと言うと、民族自決どころかアメリカ合衆国がメキシコや中米諸国を併合しているんだから、やっている事と言っている事があまりにも乖離しすぎた二重基準国家だったんだ。
アメリカでは、これからはアメリカの時代って気運が盛り上がっていた。
戦争景気もあって好景気だったし、領土も増えてさらに景気が上向くってみんなが喜んでいたんだ。
対してヨーロッパは、それまでの国境線が変わって争いが各地で頻発し、荒廃からの復興に多額の費用が必要だった。
そこに乗り込んできたのは、当然ながらアメリカで、金は必要だからドル攻勢による経済蚕食を嫌とも言えなかったんだ。
ここで少しマシだったのは、ロシアだろう。
人的損害は大きかったが、戦場の殆んどは国土の外だったので大きな荒廃はなく、戦時中にシベリア鉄道が補強され、新たな工業地帯も建設されていたんだから。
さらに農業の機械化も一気に進んでいたんだ。そのせいで貧富の格差も広がったが、それ以上に景気が良かった。
もちろん、増産された農産物はヨーロッパへ輸出されたから、中東欧の農業に打撃を与えることになったのだが。
日本も戦争が終わって景気後退が訪れたんだが、それまであまり力が入れられてこなかった呂宋や南方開発へと余剰となった人員、資材が振り向けられたことで、景気の悪化を最低限にとどめることが出来た。
呂宋では大規模な開拓と用水設備の整備によって大水田地帯が出現し、常夏島や熱雨諸島にも近代化の波がやって来て、砂糖生産が一気に機械化の時代を迎え、生産量が急増した。
おかげでコメも砂糖も安価に手に入れる事の出来る時代が訪れることになったんだ。
おっと、時間だ。




