32時限目・二十一ヶ条要求
あー、授業の時間だー
前回は第一次世界大戦の話だった。
今回も第一次世界大戦の話だ。
1914年の攻防についてはそんな感じだが、アジアでの話をしよう。
第一次世界大戦が勃発した際、ドイツは日本の参戦を警戒していた。
当たり前だな。
日本海軍がちょっと動けば、山東半島なんて簡単に封鎖出来るし、攻略だって容易い。
同じ様にイギリスやフランスも恐れていた。
日本は新明や蘭芳公司の支援者なので、ヨーロッパの戦争でアジアが手すきになったタイミングで、サラワク王国や仏印へ攻め込まれたら対処出来ないのは明白だったからだ。
こうして、敵対関係にある国々は揃ってアジアでの不戦を日本へ求めてきたんだ。
日本の中には、それに不満を持つ者がいなかった訳じゃない。
しかし、日本はロシアから声を掛けられ、逆に派兵を打診した側だった。
まさか、ロシアと共に協商側で参戦しながら、アジアでヨーロッパの戦争を無視して動くという訳にもいかなかったんだ。
そもそも、イギリスやフランスが心配した新明や蘭芳公司は客家の国だから、武力覇権よりも経済活動を好んでいた。
この頃、オランダ領東インドやイギリス領東インド、フランス領インドシナの経済がどうだったか。
すでに客家が経済を回し、オランダやイギリス、フランスはその上に胡座をかいているだけだったんだ。
客家からすれば、バカな神輿くらいの感覚しかなかったんだろう。
実際、蘭芳公司はまるでサラワク王国へ攻め込む意思を持たなかったし、新明はイギリス、フランスを相手に戦争し、そこから大漢帝国との全面戦争に発展する事は望んでいなかった。
こうして、アジアでの不戦が成立したんだが、それなのに9月3日、青島では戦争が始まったんだ。
はじめたのは日本じゃない。
大漢帝国にもその意思はなかった。
そこに翻る旗は、星条旗。
そう、アジアの平和を破ったのはアメリカだったんだ。
何でワザワザ、アメリカがアジアで戦端を開いたのか?
事の発端は遼東半島租借問題だった。
4月ウソ戦争の結果非武装となった遼東半島は、大漢帝国にとって奪還しやすいエサになっていたんだが、流石に他の欧州諸国が居る手前、そう簡単には動けない。
だが、ヨーロッパで大戦が始まれば、誰も大陸へやって来ない。
そこで、大漢帝国は慎重に遼東半島奪還を準備し出すのだが、アメリカにも目算があったんだ。
アメリカは、他の国とは違う良心的な国って建前から、租借を15年毎の話し合いで決めるとしていた。
内心では返す気なんかサラサラ無いが、イギリスやドイツが半世紀以上の半永久租借を要求したことに比べて道徳的って見解らしい。
ただ、この場合はそれが仇となり、租借期限が迫る中で大戦が起き、アメリカは焦ったんだ。
ヨーロッパ諸国はクリスマスまでに終わると楽観視していたが、アメリカにはそれすら問題だった。
そこで、袁世凱が動く前に青島を攻略して威嚇と租借継続材料にしようと考えついた。
こうしてアメリカは、袁世凱を助ける為と嘯いて青島へと攻撃を加えた。
この攻撃が可能となったのは、ちょうどパナマ運河が完成して迅速に太平洋へと艦隊が移動出来るようになったからだった。
パナマ運河を使って太平洋へ出た艦隊は、アジア艦隊が青島を攻撃するのに合わせ、ハワイや南洋をかすめ、琉球海峡を抜けて大陸へとやって来たんだ。
袁世凱救援と言う名目は、日本への威嚇でもあった。
青島攻略はひと月かからずに成功させたが、当然だがアジアでの不戦で合意していた英仏独はアメリカへと抗議するが、アメリカは取り合わない。
ドイツはこの事件によってアメリカ船も攻撃対象と宣言し、通商破壊戦を拡大していく事になったが、アメリカはそれでは飽き足らず、ツェンメルマン電報事件を奇貨としてメキシコを批判したんだ。
ツェンメルマン電報と言うのは、青島攻撃を聞いたドイツ外交官ツェンメルマンがメキシコへ送った電報だった。
本来ならしっかり暗号化して送る必要があったのだが、目的がアメリカ牽制だったので、容易に解読可能な状態で送られていたんだ。
当然、それはアメリカの知る所となったが、アメリカはこれを受けてアジアでの戦争を止めるどころか、チャンスと捉え、メキシコがドイツの要請を断ったにも拘らず、イエロージャーナリズムが反墨扇動を行い、それに乗った議会がメキシコ侵攻を決議してしまった。
当時の中米は、パナマ、ニカラグアをアメリカが占領、隷属状態に置いていたから、メキシコが邪魔だったんだろう。
1914年の大戦の状況は、日露が異常に強い事もあってドイツは西部戦線から部隊を東部戦線へ引き抜く事が頻繁に起きており、イギリスもフランスもアメリカはお呼びではなかったんだ。
アメリカ自身、メキシコ征服が最優先だったので、ヨーロッパへは海軍艦艇を派遣して船舶の護衛に当たらせるだけに留めていた。
そして1915年、アメリカは遼東半島租借継続交渉において、火事場泥棒的な要求を袁世凱へと突きつけたんだ。
これを対漢二十一ヶ条要求という。
その要求には、イギリスやフランスへ渡した鉄道敷設、経営権の代替となる平行線承認や満州における経営独占権まで含まれていた。
さらに、袁世凱から各国やメディアに対して山東半島での青島租借や新明打倒まで要求している事が知れ渡ると、各国はアメリカ批判を強めたのだが、当のアメリカはどこ吹く風だった。
日本よりヨーロッパに近い地の利を盾に、支援縮小か対漢要求の承諾かを求め、すべてを袁世凱に一任する合意を取り付ける。
もちろん、日本には何の交渉も無しにすべてが決められたんだ。
実際の要求のうち、新明打倒はアメリカが取り下げた事で事なきを得るが、満州での経営独占権は日本にも関係あることだった。
日本は袁世凱からの働き掛けに応じ、アメリカに対抗して海参崖支線を含む沿海州の寒凍併合を行うんだ。
もちろん、これに対してアメリカは反対し、日本批判を強めたんだが、誰も相手にしなかった。
そりゃそうだろ。
さらに火事場泥棒的な青島租借要求も、ヨーロッパ諸国の圧力で取り下げるに至ったんだ。
こうして、アメリカは満州の経営独占権を得ることには成功したが、大陸への軍事拠点再配置には失敗している。
その後は、商船が犠牲になってもドイツ批判をするばかりでヨーロッパへの派兵は行わず、メキシコ支配に集中していったんだ。
おっと、今日はここまで。




