31時限目・第一次世界大戦
ほーい、授業の時間だぞー
とうとう第一次世界大戦だ。
日本は、まさか参戦する事になるなんて思いもしなかったんだが、ロシアに提案した一言がきっかけで参戦が決定してしまったんだ。
しかも、運が良いのか悪いのか、秋山軍団6万は即応可能な状態にあった。
こうして、8月10日にはイルクーツクに到着するという早業でシベリア鉄道によってヨーロッパへと渡っていったんだ。
ロシア軍は北のドイツ、南のオーストリアに対応する二正面作戦を強いられていた。
秋山軍団が送り込まれたのは、激戦が予想される対ドイツ正面だった。
そこの第一軍司令官は、なんとレンネンカンプ。あの満州事変の因縁の相手だ。
豪胆で大胆だったレンネンカンプは、満州事変で日本軍と言う異常者集団と戦った後は慎重になっていた。
そして、共に軍を率いる第二軍司令官は、水野衆という超常現象を相手にした経験を持つサムソノフ。
彼らが援軍として秋山軍団が来ると知らされ、真っ先に反対したのは間違いない。
「俺たちに戦功を上げさせないつもりか!」
そう怒鳴ったと言われている。
ただ、6万と聞いて、何とか落ち着いたらしい。
こうしてレンネンカンプは日本軍と言う難物の到着を待つようにじっくりと前進させていた。
当時のロシア軍は、日本軍と寒凍で常に戦っていたおかげで世界で最も近代戦を熟知する軍隊になっていたんだ。
装備と言う面では、やはり優れた工業力を有するドイツには劣る。
それでも、日本と言う敵と交戦する中で久米銃による連射攻撃に晒され、後に軽砲や機関銃まで加わった戦いを経験し、対処法を模索し、自らも連発銃や軽砲、機関銃の運用に熟達していった。
ロシアは、特にコサックは無自覚に、水野衆や本多衆という世界屈指の強敵に伍する精鋭と化していたんだ。
そんなシベリア軍団で軍務についていたレンネンカンプやサムソノフは、ヨーロッパ方面に戻り、寒凍の常識で軍を鍛えていた。
結果は、彼ら自身が予想だにしないものとなった。
寒凍では少数が迅速に移動しながら敵の補給線を叩く、或いは、夜の闇の中でほんのわずかな違和感から敵を暴き出す。
それを常識としてドイツ軍と相対してみると、どうも相手は無駄に大規模で動きも緩慢な事に気が付いた。
浸透させた偵察隊をドイツ軍はまるで発見できず、有力な情報が多くもたらされる。
日本軍相手であれば侵入出来ないか、帰って来ない事の方が多いが、いともたやすく偵察が行える。
だが、ふたりは慢心しなかった。
そりゃあそうだ。
水野衆や本多衆だって、そうやって誘い込んだ事がある。
そして、会敵しても敢えて追撃を遅らせる。
島津と対峙して得た教訓だった。
釣り野伏への警戒を怠らない。
補給線への攻撃を過剰なほど警戒し、前線部隊がヨーロッパ基準で過小なのも日本軍への戦法そのものだった。
ロシア軍はじっくり前進していた。
寒凍におけるロシア軍は、無線機が登場すると素早く飛びついたんだが、なぜか分かるか?
伝令がマトモに着かない可能性が高かったからだ。
だからと言って無線機を多用しすぎ、過信したせいで痛い目にも遭っている。
江戸湾が無線機を作っていない訳が無いからな。
無線傍受を警戒して符丁や暗号、難解言語の利用を試行錯誤していたんだ。
ドイツ軍から見れば、ロシア軍は異様に遅くて無線を多用している。
そこが狙い目と無線傍受を盛んにおこなったのだが、まんまと罠にはまってしまった。
まさかロシア軍に傍受がバレているとは思っていなかったドイツ軍は、傍受内容通りに動くロシア軍の行動を信じて第二軍の包囲に全力を挙げた。
第一軍が東から、第二軍が南から東プロイセンへ迫っていたんだ。
そして、双方の連携があまり巧くいっていない事を見て取ったドイツ軍は、南から迫る第二軍を包囲する作戦を実行しようとしていた。
レンネンカンプはこの時、長躯偵察で東プロイセンの状況をつぶさに知っており、ドイツ軍が何をしようとしているかが手に取るように分かっていたらしい。
それに、第二軍にはもうすぐ日本軍と言う増援が到着する情報も入っていたんだ。
秋山軍団のうち、僅か5千だったが、この場合は十分だった。
ドイツ軍はまるでロシア軍には連携が無く、第一軍はそのまま西進するという風に思っていたんだ。
当時、東プロイセンに居たドイツ軍参謀は、満州事変の際に青島に居た人物だった。
レンネンカンプやサムソノフの事を知っていたんだ。
ただ、その事が災いしているんだから、運命と言うのは分からないな。
レンネンカンプの蒙古攻略は上手くいったし、その事を観察していた参謀の観察眼も優秀だったんだろう。
ただその後、レンネンカンプがチタ方面のシベリア軍司令官として、散々に本多衆や島津に弄ばれたことは知らなかった。
純粋な頃のレンネンカンプしか知らなかった参謀は、今でも彼は純粋なままだと信じていたんだ。
ところが、本多衆や島津と言う悪魔によって闇墜ちさせられていた。
参謀の知っているサムソノフなんて、まともなロシア人だったのに、水野衆によって変人に変えられてしまっていた。
青島にドイツ軍は駐留していたが、彼らと接点がある日本軍は列島や半島の軍が主だ。寒凍という別世界を知るのは、第一次大戦が初めてだった。
こうして起きたタンネンベルクの戦いは、当初はドイツ軍の思惑通りに推移していたんだ。
ところが8月28日、まず異常が起きたのが、包囲している筈のドイツ軍の西方だった。
兵站が荒らされ、後方部隊に被害が出たという報告を受ける。
次の日にもやはり西方で同様の被害が報告され、攪乱部隊が浸透していると判断したドイツ軍は騎兵を向かわせたんだ。
当然、音信不通になるよな。
さらに翌日も西方で被害が出たことで、包囲を続けるかどうか悩むことになった。
そして、9月1日、ロシア第一軍が包囲網の北方に現れてしまったんだ。
もはや包囲どころではなくなったドイツ軍が西へ向きを変えたとき、各地の鉄道が破壊されていく。
レンネンカンプからすれば予定通りだった。
早々に到着した日本騎兵は即座に東プロイセン西方へと向かい、後方攪乱を開始していたんだ。
負けて集まっている様に思われた第二軍も逆襲を始める。
こうして、9月4日にはドイツ軍が撤退し、ロシアの勝利で戦いは終わる事になったんだ。
その一月後、満を期して反転攻勢をかけたドイツ軍だったが、そこに揃った6万の日本騎兵が防衛線を放棄して潰走する姿に油断し、追撃戦を行った事でロシア軍の大包囲を受けて壊滅する。
このケーニヒスベルクの戦いの後は、後に前線が膠着してしまったが、ムルマンスク鉄道によってイギリス経由で物資が届けられていたロシアはかなり楽な戦いが出来るようになったんだ。
日本も6万人もの派兵を行っているからシベリア鉄道もフル稼働だったし、簡易の軽便線が泥色川経由でバイカル湖まで繋げられ、さらに坂本商会の音頭でシベリア鉄道の拡張工事が東西から進められ、イルクーツクまでの複線化が戦争終結までに達成されている。
おっと、時間だ。




