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30時限目・辛亥革命

 授業の時間だぞー


 前回は満州事変についてだったな。


 満州事変の結果、モンゴルが独立した。


 じゃあ、名前の出た張作霖はどうなったか。


 日本はこれ以上満州が荒れることを是とはしなかったので、有力な満州馬賊であった彼を解放し、満州の治安維持を依頼するんだ。


 彼は喜んで帰っていき、アメリカの支援によって大規模な軍閥へと発展する事になる。


 アメリカは4月ウソ戦争の結果、遼東半島が非武装化され、西へ延びる鉄道をイギリス、フランスに奪われてしまったが、北へ延びる鉄道を失った訳じゃない。ただ、遼東半島に軍が置けない以上、満州内の鉄道にも軍は配置できなくなったいた。アメリカ軍は天津や上海などに小規模なアジア艦隊を配置する事は許されていたが、旅順が非武装化した事で、欧州はアメリカにアジア艦隊そのものを縮小する事を突きつけていたんだ。


 アメリカは、アジアに4000t以上の軍艦を配置しない事が、条約にこそ明記していないがイギリス、フランス、ロシアとの間で約束されていた。

 陸軍の規模も同様に制限されていたので、上海租界や天津租界にいくらかの警備兵を置くのみだったんだ。


 じゃあ、遼東半島や満州は丸腰だったのかと言うと、実はそうじゃない。


 税関監視艇と保安官隊が配置されることになったが、その中身は文字通りのものじゃなかった。


 税関監視艇と言うのは、その名の通り税関が密輸の取り締まりなどを行う船のことだが、旅順税関監視艇隊はそうじゃなかった。

 海軍の巡洋艦を白く塗ってそう称しているだけだった。


 ただ、数が少なくどこの国も目を瞑っていたに過ぎなかったんだ。


 そして保安官隊の方も、事情は似たようなものだった。


 アメリカにとって久米銃(リボルバー)と言うのは拳銃弾を使った田舎のライフルというイメージなので、彼らはその通りに久米銃を装備した騎兵を保安官と称して駐留させたんだ。


 もちろん、それでは以前ほどの兵力を満州における訳ではないから、張作霖を頭目とする馬賊を取り込んで、保安官隊としてアメリカ式装備で武装させ、鉄道沿線に配置していった。


 ずいぶんとセコイやり方だが、兵力としてはそこまで多くないのでイギリスやフランス、そして日本も笑って許してしまったんだ。


 

 そんなアメリカの小細工が行われていた頃、大陸ではモンゴル独立を見た各地の勢力が蠢きだしていた。


 その中には、東莞の鄭氏も居た。


 それ以外にも浙江閥と言う勢力が台頭し、国民党と言う勢力を形成していったんだ。


 そうした清国内の情勢の中、1908年秋に皇帝が没し、幼い新帝が立つと軍の要だった袁世凱を失脚させてしまうんだ。

 そして、各地の騒乱が大きな力となった1911年の辛亥革命の際、他に鎮圧できる人物が居ないと復帰させたんだが、普通に考えて、それで以前の様な活躍が望めるわけがないよな。


 翌年、袁世凱の裏切りによって宣統帝は退位し、寝返った彼が国民党首班に就任した。


 蒋介石ら国民党メンバーは帝政を廃し議院内閣制による民主主義国家建設を望んでいたんだ。

 国民党は浙江や河南と言ったイギリスの影響力が強い地域で勢力を伸ばしたのも大きかったんだろうな。

 こうして新たな国が誕生する。


 大漢民国だ。


 そして、辛亥革命の隙に南部で蜂起して建国したのが新明だった。


 新明と言うのは、明国を古明、南明を旧明と称し、新たな朱氏の王朝として名付けた名前だった。


 その領土は広東、広西、雲南、海南。そして、朝貢国として阮を加えた領域だった。


 皇帝として朱氏が即位し、鄭氏が宰相の座に就いたが、実際の政治は孫文が行い、軍事は日本に留学していた劉永福が執る体制だった。


 大漢民国はすぐさま新明の存在を否定し南伐を行おうとしたのだが、日本の支援を受け、近代的な戦法と生来の資質を持った劉永福相手に、民国軍は各地で敗戦一方の状況になったんだ。


 こうして、新明は貴州や湖南南部も手に入れることになった。


 もちろん、新明と蘭芳公司の関係はずっと続いていたから、資金提供が行われている。


 この頃には蘭芳公司もコメに加え、サラワク王国から入って来たゴムのプランテーションも始まっていたので、資金は潤沢だったからな。


 こうして、優勢な新明に対する大陸での感情が大きく揺らいでいくんだ。


 そりゃあそうだ。


 大漢民国は民主制とは言いながら、とても貧しく外国に蚕食されている。


 対して新明はと言うと、豊富な資金力と経済力を持ち、日本から最新の武器を購入していて、フランスを退けた劉永福が軍を指揮している。


 どっちに味方したいだろうか?


 こうして、さらに福建や広西の軍閥が新明に下って来る事に繋がったんだ。


 それを見た袁世凱は、民主制といっても君主が居ないのはやはりダメじゃないかと言う事で、自身が新皇帝となって帝政を敷く立憲君主国となる事を望み、名を改め大漢帝国としたんだ。


 ただ、蒋介石らはそれを望まず、国内の混乱は収まるどころかより激しくなってしまうんだ。


 そんな時に起きたのが、第一次世界大戦だった。


 ちょうど、辛亥革命で大陸が騒乱状態にあった頃、ヨーロッパとアジアの接触点、バルカン半島でも戦争が起きていたんだ。


 バルカン半島にあった国々とオスマントルコが戦った戦争だが、オスマントルコを相手にしたのが、第一次バルカン戦争。そして、その結果に不満を持ったブルガリアが起こしたのが、第二次バルカン戦争と、ここの戦争もちょっとややこしい。


 その後、1914年6月、サラエボ事件が起こり、オーストリア=ハンガリー帝国とバルカン半島の小国セルビアで戦争が勃発しそうになった。


 日本は全く無関係に思えるんだが、ここでロシアが日本に声を掛けて来たんだ。


「お前は後ろから攻めて来る気じゃないだろうな?」


 って。


 当時、バルカン半島にあったセルビアと言う国は、民族的にロシアと同じスラブ民族だったんだ。


 そこで、ロシアはセルビアを支援するために動員を行いオーストリア=ハンガリー帝国を牽制したんだが、問題はロシアの背後に日本と言う不倶戴天の敵が存在する事だった。


 自分が起こした満州事変の事もあるから、日本がいつ、どのようにロシアと戦端を開くか分からない。


 そんな警戒心のこもった問いかけに


「んな事すっかよ。お前じゃねぇんだから」


 と、日本は返すが、それでロシアが納得する訳が無い。


 日本、というか寒凍(シベリア)軍は常にイルクーツクまで侵攻する計画を持ち、それを実行できる軍備を怠らなかったからな。


 日本としても、こんな事でロシアに攻め込んでも利益が無い。


 なにより、オーストリアに肩入れする謂れが何一つなかったんだから。


 そこで、逆提案をしたわけだ。


「そこまで心配なら、うちの騎兵をヨーロッパに貸し出そうか?」


 って。


 まさか、それを承諾するなんて思ってもなかったんだが、8月1日に事態が急変してしまった。


 なんと、オーストリアへの牽制と思われていた動員に対し、ドイツがマジでロシアに宣戦布告してしまった。

 ロシアはそれからすぐ、日本側の提案に乗って寒凍軍6万人の派兵を求めて来たんだ。


 まさかこうなっては拒否する事も出来ず、秋山好古元帥を司令官とする日本軍騎兵がヨーロッパの戦場へ向かう事になったんだ。


 おっと、時間だな。

 

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― 新着の感想 ―
この世界線では嘘戦争、満州事変と米露を連続で相手にしてるのに余裕ありますね。 流石は東はバンクーバー、西はシベリア、南はオーストラリア、北はアラスカに広がる大帝国です。史実とは桁違いの国力です。
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