25時限目・龍馬、北極海航路を夢見る
ほーい、授業の時間だー
前回はスペインとの関係についてだったな。
先へ進め?
いやいや、この時代、そう簡単には行かんのだよ。
時を戻して1865年、太平天国の乱を平定した清だったが、南からフランスがちょっかいを掛けてきていた。
インドシナの植民地化だ。
狙われた阮朝は、南部を失い北部へと追い詰められていた。
清はそこに援軍を送り込んだんだ。
その援軍というのが、劉永福率いる黒旗軍だ。
劉永福は鄭氏の影響下にある広東の生まれだ。それもあって、黒旗軍の軍備は東莞からの支援によって非常に充実していたんだ。
そんな黒旗軍相手に、さしものフランス軍も度々敗走している。
時には壊滅した事だってある。
当時、清の統治下にあった紅河一帯へとフランス軍が侵攻して来たんだが、黒旗軍には歯が立たないので清朝と直接交渉を行ったんだ。
交渉は不調で、さらにフランス軍は指揮官が独断専行で攻撃する事も多かった。
さすがに、こんな統制の取れていない国を手本には出来ないだろう?
日本は織田政権が徳川幕府や鎮南将軍に軍権を与えていたが、だからと言って出先の侍大将や大名が勝手に動く事はなかった。
勝手に動いていたなら、水野衆や本多衆はヤクーツクはもちろん、イルクーツクまで落として寒凍東部全域は日本の領土だっただろうけどな。
もちろんその後、インドシナのフランス軍の様に統制が取れずにコサックに各個撃破されていた可能性だってある。
独断専行したフランス軍司令官はふたりも劉永福の黒旗軍に倒されているんだから。
こうして黒旗軍は大活躍していたが、肝心の阮朝は退潮著しく、王の崩御などもあってフランスの要求を呑んでしまう。
それでも北部、清からすれば南部での防衛は続けられていたが、1883年、ソンタイ川の戦いで黒旗軍はただひとりで戦わされ、阮や清に愛想をつかせたんだ。
それ以後、阮朝はフランスの植民地となり、清もそれを追認するようになった。
だが、フランスはそれで止まるお人好しではなく、さらに北進し続けたんだ。
この頃の欧米諸国なんて、どこもそんなもんだよ。
そこで清軍から手痛い反撃を受けたフランスは逆ギレし、清との戦争に突入したんだ。
フランス軍もさすがに東莞を攻撃しようとはしなかった。
そこは自治領だと理解していたし、オランダやスペインが関わる地だったからだ。
そんなフランス軍は福建へと向かい、清国南方艦隊の拠点を襲撃し、1時間余りで倍する敵を討ち果たしたんだ。
高山国の対岸の出来事でもあり、羽柴家は日本海軍の統一と艦隊近代化をいち早く進める決意を固める事に繋がった。
フランス海軍が清国沿岸で暴れている頃、陸軍も紅河デルタの平定に乗り出していた。
だが、そこには黒旗軍がおり、まったく勝利に繋がらない消耗戦が続けられていたんだ。
この頃には黒旗軍の後ろに東莞がいる事にフランスも気付いていたが、オランダ、スペインと戦う事を避けたいフランス海軍は、東莞への攻撃が出来なかった。
結局戦争は泥沼化し、フランス国内では戦争を進めた内閣が倒れ、天津条約によって戦争は終結した。
この条約では厄介な黒旗軍の解散が盛り込まれており、劉永福は解任される事になったんだ。
その後、鄭氏の誘いに乗って来日し、近代戦について学ぶ事になる。
インドシナは、あまりに不甲斐ないフランス陸軍の惨状にフランス国内で撤兵論が吹き荒れ、僅差で撤兵案が可決され、阮朝は命脈を保つ事が出来た。
そこへ支援を申し出たのは、やはり鄭氏だ。
阮朝が支配する紅河デルタでの稲作は日本向けの日本米ではなく、華南、華中向けのコメが生産される事になる。
鄭氏はチャッカリ日本と競合しない経済圏構築に動いていた。
さらに、蘭芳公司との連携も忘れておらず、そこに阮朝を加えた漢経済圏構築を行っていたんだ。
その上、南大孤島からの小麦や大豆輸入も盛んに行い、大陸各地へ売り捌いていた。
こうして巨万の富を得る鄭氏は、その資金力と長年の中華思想から脱却させた広東周辺地域の工業化も推し進めていた。
東莞鄭氏自治領という小さな枠を超えた経済圏がそこには出現していたが、清はそれを脅威とは認識出来ていなかった。鄭氏は慎重に事を進めており、まさか清の混乱に乗じるなんて考えられなかったらしい。
そんな大陸南部情勢の中で、北では欧米諸国が清を貪っていたんだ。
さて、そんな頃、ヨーロッパでも大きな出来事があった。
その中心に居たのは坂本龍馬だ。
彼は北極海航路の開拓に思いを馳せ、実際に北極海を渡りコラ半島まで辿り着いた初の日本人となったんだ。1889年の事だった。
龍馬はそこに港があり、不凍港だと知ると、さっそくサンクトペテルブルクへと向かったんだ。
いつもの事ながら、龍馬の行動力は常人離れしている。
当時の坂本商会は寒凍から南大孤島まで股に翔る商会となっていて、アメリカやメキシコ、さらにインドにも進出していたんだ。
その規模はもはや大店や鎮南将軍すら超える勢いだった。
そんな龍馬が新たに目を付けたのが、北極海航路によって日本から最短距離でヨーロッパと貿易する北極海貿易の確立だった。
そのヨーロッパ側の港として白羽の矢を立てたのが、陸の孤島だったムルマンスクなんだ。
なんでこんな最北を選んだかって?
それは誰も注目しておらず、開拓し甲斐があったからだ。
龍馬は粘り強く交渉を重ね、1892年にはサンクトペテルブルクからムルマンスクまでの鉄道建設を勝ち取るんだ。
そして、自ら巨費を投じて建設に参加した。
この時、坂本商会は日本製缶詰を大量に売り捌き、販路開拓まで成し遂げているんだから、誰も勝てないよな。
龍馬はムルマンスク鉄道の利益を独占せず、ヨーロッパ諸国にも出資を募り、1900年にはまず単線での運行が開始されたんだ。
こうして誰にも邪魔をされない港を得たロシアは、北極海に北方艦隊を置くことになるんだが、ムルマンスクへの造船所建設に関わったのも坂本商会だった。
この頃のロシアは、外海への出口を求めて清へと接触していたんだ。
もし放って置いたら、アメリカと手を組み近いうちに日本と戦争になっていたかも知れないが、知ってか知らずか、寒凍鉄道建設についで、またも龍馬はロシアとの戦争を止める役割を果たしているんだ。
日本がこの事実を知るのは半世紀近く先の話で、当時の坂本龍馬はそこまで評価されてはいなかった。
残念な事に、龍馬はロシアの脅威を退け、商会を発展させる事には成功したが、北極海航路の確立だけは成し遂げる事なく終わっている。
ちょうど地球の気候が北極海航路の開拓を許さなかったんだ。
定期航路として、北極海航路が運行可能となったのは最近の事だ。
おっと、時間だな。




