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22時限目・新選組の奮戦

 授業だぞー


 前回は物語の予告みたいな終わり方になってしまったな。


 さて、その続きだが、先ずはそこに至る経緯からおさらいしよう。


 日本は北アメリカ大陸に領土を持っているな。今、アメリカ領となっているシアトル(北の浦)カリフォルニア北部(南の裏)も、日本が持っていた土地だ。

 1849年2月、尾張織田政権がアメリカへ800万ドルで売却してしまった。

 それが原因で5月の政変に至るんだが、話はそれで終わらない。


 売却によって土地を失った人々を移住させる必要があった。


 多くは常春諸島(ニュージーランド)へ渡る事になるが、せっかく取り込んだ先住民たちを置き去りにする訳にもいかず、日本への帰属を望んだ8万人を浦前の岬(バンクーバー島)へ移住させる事にしたんだ。


 浦前の岬を日本が得たバンクーバー条約は、日本とイギリスの条約。北アメリカ西海岸の国境策定を英米で取り決めたのがオレゴン条約だな。

 

 オレゴン条約では、日本を無視して領土策定が行われ、浦前の岬はイギリス領とされたんだ。


 そこに鎮北将軍が異議を挟み、バンクーバー条約によって浦前の岬を得たのだが、この事にアメリカが文句を言ってきた。


 浦前の岬も売れってんだ。


 その頃、鎮北将軍は阿羅斯加(アラスカ)の国境策定をイギリスと進め、1854年には阿羅斯加(アラスカ)条約によって西海岸の大半が日本領となった。


 ここでさらにアメリカは阿羅斯加売却まで持ち掛けてくる。


 当時の日本は、海産資源の枯渇した北氷海(オホーツク)に代わる俵物産地と期待していので売却に応じるはずも無いが、アメリカは無茶苦茶な理由を言い募るんだ。

「カリフォルニアで金を盗んだ賠償をしろ!」ってな。


 バカとしか思えないイチャモンだが、連中は至ってシラフだったんだ。怖いだろう?


 要求は年を追うごとにエスカレートしていき、ハワイ売却なんて話まで持ち出してくる。

 もはや、侵略意図を微塵も隠す気が見られない姿に呆れ返るしかないんだが、アメリカはシラフだったんだ。信じられるか?


 そんなアメリカだが、さすがに鎮北水軍、鎮南水軍相手に戦争を起こそうとはしなかった。


 その代わりにボルネオや朝鮮で領土獲得に動いていたんだな。

 それがボルネオ領事館火災事件であり、江華島事件だ。


 それらも全て失敗に終わったんだが。


 日本は、再三の売却話に一切応じなかった。


 当たり前だ。


 イギリスを巻き込もうとするアメリカの行動は逆効果となり、北アメリカにおいて1867年にカナダの独立によってその期待は潰えてしまった。


 それでアメリカが大人しくなるなんて考えなかった鎮北将軍は、浦前の岬へ軍備を増強していったんだ。

 だが、目に見える要塞は建設しなかった。


 やはりというか、アメリカは南北戦争が終わり、国内が落ち着いた1869年、浦前の岬へ侵攻して来たんだ。


 いずれそうなると考えていた鎮北将軍は、住民たちの居住を出来るだけ北部に制限していた。

 そして、南部で開拓に励んでいたのは、全て鎮北軍だった。


 主力となっていたのは、関東に居場所がなかった牢人たちで構成された新選組や彰義隊。さらに東北から樺太に移り住んだ者たちで構成された白虎隊も居た。

 後に言う屯田兵って奴が主力としてそこに居たんだ。


 アメリカから見れば、若い入植者による開拓風景に見えていたんだろうな。

 最初のアメリカ侵攻軍は2千人の海兵隊だったが、1日で勝敗は決してしまう。

 水野衆や本多衆を知っているロシアなら、そこで戦争止めるレベルでヤバい戦いだった。

 アメリカ海兵隊の生存者はなく、ロシアが怯えたクビカリがそこに居た。


 これがアメリカ大陸だったなら、騎兵隊の登場となっていたのだろうが、湾を隔てた島での戦いだったからそんな簡単ではなかった。


 アメリカは占領の合図がないにも関わらず、翌日さらに4千人を上陸させようとしたのだが、そこには数百の晒し首が並べられていた。


 その光景が余計にアメリカ軍を油断させてしまうんだ。

 晒し首は時代遅れの風習に過ぎず、近代的な軍隊なんか居ないってな。

 ロシアが知ったら間違いなく止めていただろう。


 アメリカ軍は勇敢にも4千人を上陸させた。


 明らかに無謀な蛮行に過ぎなかったが、南北戦争直後のアメリカには、戦争麻痺があったからさらし首なんか気にもしていなかったんだ。

 そして、その大半は再び帰っては来なかった。


 さらにアメリカ軍は逐次投入という愚策を半月に渡り継続し、最終的に2万人もの犠牲を出した。

 日本側は千人に満たない犠牲に対してだ。


 それでも戦況を理解しないアメリカ軍は、逐次投入の愚だけは反省し、一気に1万人を上陸させる大作戦に出た。


 これまで水際で戦っていた日本軍は内陸へと逃げていったものだから、アメリカ軍は勢いに乗って3日後には上陸を終え、進撃に移ろうとした。


 だが、夜明けと共に日本側から砲撃が行われ、そこに近代的な軍が居る事を悟ったアメリカ軍だったが、もう遅かった。


 2時間に渡る炸裂弾による砲撃で陣地は目茶苦茶になり、各所で指揮が乱れた所に、青と白のダンダラ模様や白装束のヤバい連中が槍や刀を振りかざしてなだれ込んで混戦となってしまう。


 後はこれまでの繰り返しだった。


 その日の夕方には、アメリカ軍は組織的な行動が出来ないまでに追い詰められていた。


 対岸の指揮所も昼を過ぎる頃には戦況の不利に気付いたが、あまりに時間をかけ過ぎた事で海には鎮北水軍が現れていた。


 こうして、浦前の岬戦争でアメリカ軍は2万5千人余の戦死者を出し、鎮北水軍が現れた事で停戦に合意するしかなくなったんだ。

 と言っても、この時アメリカは日本側の損害を数万人と見積もっていたんだ。まさか、2千人ほどの犠牲で2万5千人を倒したなんて知らなかった。


 それでも、たったひとつの島すら奪えなかった事は衝撃を与えていたのは間違いない。

 対岸の戦争にカナダはただ沈黙を貫いたが、探検家たちが北方で出会う連中のヤバさが本物だと認識したのは間違いなかった。


 こうして、イギリス、カナダは日本のヤバさを再確認する機会となり、素直に貿易を行う事にしたんだ。


 だが、アメリカはそれを理解しなかったし、ロシアやイギリスが言う事も信じなかった。

 ただ、クビカリたちは首を斬り落として晒し首にはしたが、素直に遺体返還を行ったので、アメリカ軍の認識は東海岸の政治家とはまた違うものになっていたらしい。


 この戦争で、浦前の岬は日本の領土として正式に認められる事になる。

 

 さて、ちょうどよく時間だな。

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― 新着の感想 ―
抜刀隊の成功と同様に、白兵戦特化の日本軍が育ちそうですねw 何故かREDという漫画を思い出しました。この世界のネイティブアメリカンも悲惨なのでしょうか。一部救われた様で何よりです。
水野や本多がタタールの軛ばりにロシア人のトラウマになってて草
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