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19時限目・朝鮮編入

 授業の時間だー


 さて、前回はボルネオ島の話だったな。


 今でもそうだが、事件や戦争はターン制ゲームじゃない。


 あちこちで同時多発するもんだ。


 1856年から3年の間に、ボルネオ島問題を解決する傍ら、日本は朝鮮へと使者を送っていた。


 日本として、アヘン戦争を見て次は朝鮮だと危機感を持ったんだ。


 日本としては、ボルネオ島、寒凍(シベリア)の問題解決でなんとか周辺情勢を整えたが、スッポリ抜け落ちていたのが朝鮮だった。


 朝鮮は当時、清の冊封国だったんだが、対岸の上海がアヘン戦争でイギリスに租借され、次に手が伸びるのは時間の問題と見られていた。


 先に日本が手を出さなきゃ、イギリスやフランスの植民地になる。


 だが、日本が恐れたのはそこではなかった。


 アメリカ東インド艦隊を率いるペリーが、朝鮮へ開国要求を突きつけたんだ。


 それが1854年の事だった。


 当時のアメリカは、太平洋で盛んに捕鯨を行い、奥千島(アリューシャン)やハワイに現れていた。


 もちろん、そこには鎮北水軍や鎮南水軍が居たので、薪や水を補給するとさっさと帰って行った。


 アメリカからすれば、さらに西へと領土を拡げたかったし、日本が邪魔だったんだ。


 ブルネイで騒ぎを起こした理由も、それだ。


 さらにこの頃、アメリカキリスト教会やそれに連なる商人たちが、天津から清内陸部へと布教と商売のために入り込んで行った。


 天津は寄港地ではあるが、拠点となる租借地や植民地じゃない。


 アメリカも、イギリスやフランスの様にアジアに租借地や植民地を持ち、清という大きな市場の獲得に憧れていたんだ。


 この頃の欧米諸国の心情を、日本人が知っていたら「止めとけ、最後に身ぐるみ剥がされんのはお前らだ」って忠告しただろう。

 いや、実際にしていたかも知れない。


 攘夷保守って、これも理解してないお花畑だからなぁ


 日本は、援明出兵で嫌というほど大陸を理解させられた。

 だから、鄭氏支援以上の事をしなかったんだ。


 援明出兵で敗戦しなければよかっただけって考えてる攘夷主義者が多いが、そもそも日本は援明出兵 数が少なく圧倒されたのは事実だが、誰に負けたかというと、清ではなく明に負けた。

 ここを理解しないで騒ぐと見誤る。


 せっかくの援軍を得た後明だったが、そもそも後明そのものが一枚岩ではなく、援軍に対して批判的な人々が多数居た。

 鄭氏すら、大臣にのぼり詰め朱姓を授かっているのに排除対象とされていたほどだ。


 分かるか?


 漢大陸というのは、他人を利用する事は良しとするが、決して仲間とは思っていないし、不利になれば簡単に裏切る。


 客家がボルネオ島に国を持っているのも、彼らが元は中原と呼ばれる黄河中流域から流れた地で差別、迫害を受け続け、大陸に居場所がなくなったからだ。

 それでも漢人には違いないから警戒は必要だが、漢大陸に比べれば付き合いが出来る人々だ。


 攘夷主義者たちはそこを勘違いしている。まるで大陸の人々が叫ぶ言葉が真実かの様に受け取っているが、あれは利用しようと誘っているだけだ。騙されたら後に待っているのは、援明軍と同じ末路って事になる。


 さて、余談はともかく朝鮮の話だな。


 朝鮮はペリー来航を跳ね除けた。


 親書受け取りを拒否したんだ。


 だが、ここで間違いを犯した。


 単に朝鮮として拒否しただけならよかったんだが、あろう事か清の名前を出してしまったんだ。


 ペリーは失意のうちに帰国するが、交代した新司令官アボットは、さらに強硬な姿勢で朝鮮を脅したが、まったく揺るがなかった。

 

 強硬っても、まだ理性が働いていたんだろうな。


 下手を打てば日本が出てきてイギリス艦隊の二の舞になる。くらいの頭はあった。


 だが1858年、アメリカ東インド艦隊は中立を破りアロー戦争へと参戦したんだ。

 時の司令官タットノールは、参戦にあたり「血は水よりも濃い」って言ったそうだ。

 その余勢をかって、清の一部だからという理由で朝鮮へ侵攻し、砲台を占領した。

 いわゆる江華島事件の勃発だ。


 アメリカの侵攻に、朝鮮は清へと救援を求めたが、そもそもアロー戦争を戦いながら太平天国の討伐をやっている清にそんな余裕なんかない。


 救援要請を断られた朝鮮は、それまで一貫して交渉すら拒否していた日本へ支援を求めて来た。


 まあ、その中身がアレ過ぎて助ける気を失わせてしまったんだが、朝鮮がアメリカの植民地になっては困る日本は、助ける事にした。


 と言っても、朝鮮近海に待機していた艦隊を江華島へ向かわせただけだが。


 日本艦隊を見たアメリカ軍は、そそくさと撤退していったんだ。

 そりゃそうだ。僅か2隻のスループと200人足らずの陸戦隊では、4隻の日本艦隊に敵うとは思わないもんな。


 だが、問題はそこからだった。


 この時、日本艦隊を率いていたのは、鎮南水軍の牧野克実という人物だ。


 朝鮮と交渉しようとしたところ、朝鮮側が攻撃して来て亡くなってしまった。


 牧野克実は奥南洋(ミクロネシア)出身で、日本列島よりも肌が浅黒かった。

 その事で、朝鮮側は牧野を日本艦隊を偽るナニカって判断したらしい。


 その後、日本は事の次第を朝鮮に問い質したが、その返答は支離滅裂過ぎて話にならなかった。


 分かるだろう?


 アメリカを追い出せと日本に命じたら、違うナニカが攻めてきた。日本は何をしてくれているんだコノヤロー!って、助けた相手を罵倒した挙句、賠償しろって言い出すんだもんな。

 こうして1859年、李氏朝鮮は滅亡し、日本に編入される事になったんだ。


 あまりに迅速な行動に、アロー戦争を戦っていたイギリス、フランス、アメリカは対処出来なかった。

 気が付いた時には、李朝の王侯貴族が北京へ送られていた。


 今でも救朝恨日(きゅうちょうはんにち)って言葉が大陸にはあるが、その由来は朝鮮編入に由来しているんだ。

 

 勢い編入してしまった日本は困ってしまった。


 朝鮮国内はあまりに酷い搾取に溢れていたんだ。

 そこで、漢城にいた主要な王侯貴族を北京へ送還した。

 彼らが、自らを「我らは大清貴族だ!」って叫んだからだ。


 今の朝鮮地方で教えられている地方文字なんだが、李氏朝鮮の王が漢文の読めない下々のために作ったらものしい。

 なのに、大陸で救朝恨日を唱える人達は支配文字って忌み嫌うらしいぞ。

 しかも、朝鮮地方の人達に恨日を訴えてるらしいが、まるで相手にされていないんだ。

 そりゃそうだ。賢王が創り出して広めようとした文字を、彼らが醜い文字なんて不要と普及の妨害をしてたんだから、誰も旧主復帰なんか望む訳ないもんな。


 おっと、時間だな。 

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― 新着の感想 ―
一番いいのは時間と金を多少かかっててもいいから朝鮮半島全住民を宗主国である中国におくることだね
朝鮮て、今も昔もめんどくさいね
取る予定のない場所を勢いで取っちゃうと、その後に「どないしよう」て悩むよね。
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