116 バラッサ湿原
「すごい水の量なの!」
「これって進めるの?」
「方法はありますが、時間がかかるかもしれません」
西に向かう俺たちの目の前には、いま大湿地帯が広がっている。
この時期の、この場所の風物詩のようなもので、北にあるバラッサ山脈の豊富な雪解け水が周囲一帯を湿地に変えている。
目の前の膝まである草原はその下にたっぷりと水を含んでいて、清々しさとは裏腹に、馬車にとっては鬼門のような場所だ。
「すみません。馬車用の浮かし袋の在庫が無いようです」
ビースナスが申し訳なさそうに言った。
浮かし袋とは、文字通り馬車を湿地で浮かせるために下に入れる袋だ。
この時期に通行する馬車に、有料で貸し出される物なのだが、使用する馬車が多かったようで、在庫がなくなっていた。
「そうなると、他の馬車が返しに来るまでここで待機なのかな?」
「泊まれる宿はありますので、そうなるかと思います」
浮かし袋の貸し出し所は、こういう事態を予測してか、ちょっとした村くらいの店や宿が並んでいる。
しかし、商品のラインナップも食事処の内容も正直微妙だった。
「ここで贅沢する者はいませんからね。商品を運んでいる商人は長いもしませんし、ここで散財もしません」
(それよりも、浮かし袋を借りてしまうと、ルートが限定しちゃうのもな~。せっかく珍しい景色なのに素通りは寂しい)
「そうだね。流れてきてる森の奥の方の景色も気になるよね」
そう、本当に景色が綺麗なのだ。
広範囲に浅い川が出来て、湿った草が日の光で鮮やかに光る。
色々旅してきたが、こういう自然の力に溢れた景色はやっぱりワクワクする。
(よし、じゃあ試しに俺が馬車を背負う様にして行けるか試してみよう)
馬車の下に入り、底を覆う様に体を大きくする。
ビースナスに馬車を湿地の端まで進めてもらい、体に空気を含むよう膨らんで準備したら、湿地に突入する。
「あっ、浮いたよ。成功だね」
「ティト、大丈夫そうなの?」
(問題ないよ。これなら長時間維持しても、そこまで負担もないみたいだ)
「やったの!」
「助かりました。それでは行きましょう。イリナ様、ノエル様、お乗りください」
これで道の縛り無く進んで行ける。
俺たちは少し離れた位置から、西に向かって真っすぐ進む馬車や、浮かし袋を待つ馬車の列を悠々と見送って進みだす。
「どうせだからもっと山側まで行ってみようよ」
「そうですね。ただ、山の上の方の天気によっては、急に水嵩が増したり、鉄砲水が発生する可能性もあるので気を付けながら進みます」
その後も、慎重に進みながら景色を楽しんでいく。
森の下の方が水に浸かっただけで、普段の森とは違った顔を見せるのが面白い。
複数の川が分かれたり合流したりを繰り返しながら、低い方へと流れていく。
いたるところでピチョンピチョンと音を響かせ、湿り気を含んだ少し冷えた風がゆったりと流れる。
西に向かう以外で目的地があるわけではないので、のんびりと進んでいると俺は懐かしい魔力を感じる。
(おっ、この感覚は自然スライムだ)
「やったじゃない! ビースナス、ダーリンが自然スライムを発見したからそっちへ向うわね。私についてきなさい」
俺が方向をエステルに教えて先導してもらう。
進んだ先には緩やかな斜面に、濃い緑の絨毯が広がっていた。
馬車を手前にある水に浸からない高さの地面に上げてからみんなで降りて確かめる。
「苔なの! フカフカで面白いの!」
「本当だね。しかも、思ってたより足が濡れないよ」
「これは……この苔が水を吸っているのでしょうか?」
皆で苔の上に降りてみると、意外なほどにしっかりした踏み心地だった。
湿っていて滑るかと思っていたが、本当に高級絨毯のような踏み心地だ。
「どこが自然スライムなの?」
(ここから少し下った苔の端っこの奴だね)
シャクシャクと踏みしめる音を立てて近づいてみる。
ビースナスの予想が当たっているのか、端に行けば行くほどに苔が乾いた音を立てている。
端についてからさらに下っている先を見ても地面が濡れていない。
(さっそくスキル鑑定吸収発動!)
結果成功
結果:自然スライム【シリカ苔】
もとは乾燥した地帯に生息していた苔。
大量の水を吸収して蓄える性質があり、繁殖期には背の高い花を咲かせる。
自然スライム【シリカ苔】を吸収しますか?
YES\NO?
(よし! ちょこっと貰うよ~。それ吸収~)
俺の中で新たなスキルが発現した感覚がする。
無事に吸収出来た様だ。
「花が咲いてる!」
「ティト! 見てなの! 凄いの!」
イリナ達の驚いた声に反応して見ると、斜面の上の方の苔から背の高いつぼみが伸び始めていた。
そのまま波の様にこちらに向かって蕾が広がってくると同時に奥から蕾が開いて行く。
あっという間にイリナの背丈くらいの桃色の花が咲き乱れたて埋め尽くされた。
「綺麗なの~」
「本当だね~」
(ちょうど繁殖期だったみたいだね)
俺たちはしばらくその春のサプライズを堪能していた。
くぅ~。
「お腹すいたの……」
「ホントにもう。相変わらず小娘は花より食い気よねぇ~」
「そうですね。ご飯にしましょうか」
(それならいい場所があるぞ)
馬車に戻ってから、俺は魔力探知で見つけた場所に案内する。
そこは臨時で出来た緩やかな渓流のような場所だ。
近くの湖から流れてくるのか、浅い水の中を懸命に魚が泳いでいる。
「これなら掴み取りできるね」
「いっぱい取るの~」
テンションが上がった二人が濡れる事も気にせずに魚を取り始める。
すると、そこに大きな声が響いた。
「コラー! そこのちびっ子、危ないでしょ! ここら辺は危険なんだから水から上がりなさい!」
声の主は冒険者のようだ。
傍らにはカエルのような魔物を従えている。
(おっ? あの冒険者、もしかしてテイマーか?)
二度目のテイマーとの出会いだ。




