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第二章 10

世界は

痛みがある限り優しく存在してくれる

そしてそれらの痛みを感じる限り

郁葉は

どこまでも世界を肯定しようと思う


下校の合図が鳴り

部室を閉めて一同は学校を後にする

校門を出たところで

まず元折先輩が手を振って去っていく

痛みが、ひとつ

固いコンクリートに落ちて染みていく

それを郁葉は感じ取る——わずかに、ほんのわずかに呼吸が詰まる

次に深井兄妹と別れる

校門を出てすぐのところにあるバス停で二人はバスを待つ

何人かの生徒たちのなかに混ざりながら

でも

深井兄妹は世界のなかで目立っている

そこに、痛みがあって郁葉は手を振りながら噛み締める

できる限りの笑顔を作りながら

体中に流れる小さな痺れのような痛みを、噛み締める

そこからは、諒と二人で、自転車を押しながら歩いて帰る

軋むような、痛み——もちろんこれは

不快なものではない

諒と自分を繋ぐ、印としての痛み


諒と初めて話したのは

中学二年の冬——文化祭の準備

一緒に行動するようになって

文化祭が終わった後も、二人で遊びに出かけた

たぶん、その頃に、初めてずきんと重たい痛みを知った

諒の声が、仕草が、笑顔が、ギターを弾く姿が

痛みに満ちて郁葉の呼吸を止めた

高揚した血液はいっそう速く全身を駆け巡り

鼓動と呼吸が一致しない日々が続く

好きなんだ、と、思うことは

これまで郁葉が体験してきたどんな痛みよりも強く鋭く

夜、一人になると、痛みに耐えかねて泣いてしまった

でも

気持ちを伝えることはできなかった

痛みの全てが麻痺してしまうような気がして

それは

諒の痛みすら消してしまうような気がして

ただ

郁葉は

笑うことしかできなかった

痛みは彼女をいっそう明るくし

いっそう、痛みは強くなった


「郁葉のこと、好きなんだけど、さ

 よかったら、俺たち、付き合わない?」


それは突然の隕石のように郁葉の胸にぶつかり

一瞬、彼女の鼓動と呼吸を止めてしまった

そして、動き出す血流と横隔膜

飛べるかも、と思えるくらいに体の奥から力が湧き上がり

同時にどこまでも体が収縮していくような後ろめたさがあり

最後には

自分が作ってきた笑顔がどうしようもなく嫌になって

泣いてしまった——


ちくりと、小さく鋭い痛みを感じて

郁葉は我に返る

思い出してしまったなと

今では自然に笑いながら、そう思える

きっと、荒神さんと今堀さんの話をしたからだと思いながら

細かく星のように弾ける痛みを全身に感じる

それは

少しだけ気持ちいい


「荒神さんと今堀さん、うまくいくかな」


少しだけ、痛みの滲んだ自分の声を聞き


「せっかくだから幸せになってほしいよな」


と返ってくる諒の声の心地よい重さに胸の下が疼く

もう一度、笑顔——そして


「そうだね」


と返す郁葉は、体中で血があらゆるものと混ざり合っていくのを感じた

諒が

まっすぐに見つめてくる

笑ってくれて

そこに、風が吹いてきて


好きだよ——と、諒の声が聞こえた


「え、急に言われると恥ずかしいよ」


頰と耳が充血していく

血管が上昇してきて、郁葉は自らの痛みを自らの胸で感じる

——しかし


「え、俺?

 な、何も言ってないよ」

「へ?」


諒は顔を赤くしてそっぽを向く

痛みが、薄れていく感覚——

あんなことを思い出したばっかりに

諒の声を妄想してしまった——と

まだ残っている痛みのなかに郁葉は思いを詰め込もうとする


「ご、ごめん、なんでもない

 なんでもないから!」

「あ、ああ、そうか

 いや、なんでもないよな、はは」


自転車を押す音のなかに

よく分からない痛みを見つけようと郁葉は集中する

——無言

痛みのない、不自然な時間

諒の、顔が見られない

何を言っていいかも分からない

痛みがなければ

郁葉はどうしていいかが分からない——でも

それでも——

諒のあの声は

郁葉にとって存在を疑う余地などないくらいの

確かな愛しい痛みだった

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