第六十六話
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微笑みながらコハナが「そろそろかな」と呟いてすぐ、俺に「今すぐつかないと、間に合わなくなる」と切り出してきた時には悩んださ。
けどあいつの目は笑ってなかった。だからどうするのか聞かれてパンツをもらい、鎧の力を借りて全力で来た。馬車に乗るよりも早く……おかげで間に合った。
『おまえ――ッ』
「お前に用はない」
追いついてくるナコには悪いが、躍りかかってくる馬の身体を真横に分断した。
戦闘に時間をかける気はないんだ。クラリスを抱いて走る。
「クルルが、クルルが――っ」
涙目になって訴えるクラリスを見れば、どんな悲惨な状況が待っていたとしてもおかしくない、と。焦燥感に駆られながら途中に現われる魔物を倒して走る。走る。
コハナのパンツを通じて感じる。クルルの力を。
地下層に到達してすぐに目にした分厚い石の壁を切り裂いて、中へ。
据えた……嫌な匂いに包まれて、クルルが倒れていた。
その周囲を多う鉄格子がひしゃげ、中から豚男たちがクルルに殺到しようとしている。
当然、許せるわけがない。
怒りと衝動を喰らい、変形する鎧の力をありったけ引き出して跳んだ。
クルルに覆い被さろうとした豚男を切り裂き、群れを成す連中をぶちのめす。
大鎌を手にした腕を伸ばして回転を止め、周囲を見渡した。
もう――……敵はいない。みな、倒した。
「クルル!」
俺の胸にしがみついていたクラリスが離れ、クルルを抱き上げる。
けれど彼女の瞳は茫洋として、現実を捉えておらず。
唇から垂れ落ちた涎は、まるで壊れた人間のようで。
今日、全身に初めて嫌な汗がにじんだ。
「あ、ぅ――」
震わせる身体が何を感じているのか、わかってしまう。
あの馬が何をしたのか、想像してしまう。
泣きながらクルルを抱き締めるクラリス。
けれど俺は動くことさえできなくなっていた。
間に合わなかったのか――……。
大鎌を落としかけた俺の腕にコハナが触れた。
「失礼しますね」
いつの間に追いついたのか。それともそんなことに気づかないほどに自失していたのか。
泣き叫んでクルルを離そうとしないクラリスをなだめて、コハナがクルルを抱き上げる。
「ちっ……こういう後に残るやり方は嫌いなんだよな」
本気で苛立つ声をこぼして、コハナがクルルの頭に手をかざした。
途端、青白い炎がクルルの頭を包む。
何かが奇声を発するような、音が……クルルの頭の中から聞こえた。
「クルル、クルル……ッ」
泣きじゃくるクラリスをナコが抱き留めていた。
あー……うー、と惚けた声を出すクルルを抱いて、コハナはまっすぐ俺を見つめてきた。
「余計なものは焼きましたが……正直、コハナでは元には戻せません」
「な……なにか、手は、ないのか」
首を横に振るコハナに膝から崩れ落ちる。
その絶望は、コハナの意図しないもの。
「治すためにはあのちっちゃな聖女さまの力が必要です」
「治る、のか……?」
「精密な調査をしないと、なんともいえませんが……彼女が虫を植え付けられて、どれくらいたったのか」
一日です、とクラリスが呟くとコハナの顔が歪んだ。
「汚されなかった、その代償として……心が壊れるのに十分なだけの時間を一人で過ごしたことになります」
「そ、そんなのペロリに治せるのかよ!」
「クラリス様に薬を作っていただく必要がありますし……なにより」
クルルを抱き上げて、俺の前へと歩いてきて。
コハナからそっと差し出された彼女の身体を抱き締めた。
「あなたの愛情が必要です。コハナの術も使う必要がありますし、清浄な場が必要なのでナコさんの力も必要です。あとは……いえ、とにかく条件があるんです」
「なんでもする!」
「では急ぎましょう。もって三日……それが元に戻せる日にちの限界値です」
教会を探しましょう、とハッキリ口にしたコハナの振る舞いは、彼女らしからぬものだった。
けど……初めて、心から信じて良いと。コハナに対してそう思った瞬間だったのだ。
◆
馬車に戻る道中で悩んだ。南下しても教会のあるだろうブリフトに戻れるまでは日が足りない。なによりコハナがだめだと言うんだ。
「必要条件に満たないので、オススメできません」
「じゃあどうしろって――」
「北だ。昔、行商人から聞いたことがある。常闇の街があるって。そこなら、もしかしたら」
ナコの提案にコハナが頷いた。
クラリスは涙をこらえてクルルの世話を見てくれている。
俺は祈るような気持ちで手綱を握った。
数えて二日目の昼。
あたりを暗闇に包むほどの分厚い雲に覆われた道を進んでほどなくその街に辿り着いた。
ケモミミフード付きのローブで顔と身体を隠した人々が出てきて迎えてくれたが、悠長に話している余裕はない。
さっそく教会へ行き、有り金をはたく……のでなく、馬車に積んだ物資を差し出す代わりにペロリを生き返らせてもらう。
ペロリはすかさずルカルーを復活させてくれて、その勢いでクルルも、と思ったのだが。
「まだいけません」
やけにはっきりとコハナが断言した。
「宿にいきましょう。ただちに手配しますので」
そこで手順を話します、という彼女に意見を言えるものは誰一人としていなかった。
◆
「今度は俺がクルルと契約しろ、って?」
どういうことだ、と唸る俺にコハナが説明してくれた。
「あなたの記憶と愛情を繋いで心の治癒薬にするんです」
それだけでは足りません、という彼女にルカルー以外の全員の視線が集まる。
「ダメージを受けた脳と神経の治療にペロリさまに。失われた記憶を元に戻す時の薬をクラリスさまに。魔力が強大な彼女に悪い精霊が近づかない場をナコさまに。そして」
落ち着かない顔で俯いているルカルーをコハナが見つめる。
「それだけの治療に耐えうる力を授ける神獣の生き血を……ルカルーさまに取ってきていただかなければなりません」
ご存じでしょう? と告げたコハナの声にルカルーがびくっと震えた。
「確かセブレビあたりで合流したんですよね……おおかた、勇者さまがたには北から逃げたと説明したんでしょうね。けど、あなたなら神獣の居場所をご存じのはずですよ。そうでしょう?」
青ざめたルカルーの手を「おねーちゃん?」ペロリが不安げに握る。
けれど顔色の悪いルカルーは、俯いたままベッドに座っていた。
「ねえ……ルカルーさま。いえ」
酷薄な笑みを浮かべて、コハナが断ずる。
「魔王に滅ぼされしルーミリア帝国の姫君、ルナティカ・ルーミリアさま」
その言葉を彼女は否定しなかった。否定しなかったんだ。
つづく。




