第五十二話
52------>>
眩しい光を感じて目を開けると、目の前にはおっぱい。
いやらしさなど微塵もない天使のような……綺麗なたわわ。
でも見慣れているから乳の主が誰かはわかる。
「ん……ててて」
身体を起こそうとして腰の痛みに呻くと、額に手を置かれたよ。
「もうちょっと寝てていいよ」
そうして下ろされる。やわらかく俺を受け止めてくれるのはクルルの膝か。
真横に目を向ければおへそがある。抉れすぎず主張せず、けれど見つめれば確かなへそ。
少し下あたりに浮かぶ紋様の中心にハートが。左右に羽根もある。いかにもめでたい。
つまり……出来たってことか?
その下は……さておいて。
望むままに額の手に自分のそれを重ねる。
冷たくて細くて小さな手。俺の熱を絡め取り、包み込む優しい手だ。
「調子はどうだ?」
「……羽根、なくなっちゃった。飛べて便利だなあって思ってたのに」
「天使なんかじゃない、お前は俺と同じ人なんだ。なくていいよ……羽根なんて」
「そうだね」
見下ろす顔は慈悲に満ちあふれていた。
窓から差し込む朝日を浴びてきらきら輝いていた。
だから……見とれたし。
「ねえタカユキ」
「なんだ?」
すげえ良い気持ちで聞いたんだ。
そしたらもう一つの手で俺の耳に優しく触れて――……全力でつねった。
「いててててて! な、なん――……」
「寝言でクラリス様とかコハナの名前を呼んでたよ」
「えええええ」
そんなん俺の意志ではどうにもできないのでは。
「うそだけど」
「うそかよ! うそなら離してよ!」
「やだ。タカユキが痛がってる顔おもしろいから見てる」
「やめてよして!」
「あ……オカマみたいに愛を囁いてくれたら許してあげるよ?」
くっ。
「なによその今思いつきましたみたいなの! よしてちょうだい! あたしの耳はあんたの耳と同じようにお安くないのよ! もう! 愛してるんだから大事にして! ぷん!」
「ひどい」
あはは、と笑い声を上げてやっと耳を解放してくれた。
ふう……まじで痛かった。
そして許してくれたみたいだからこそほっとしつつぞっとした。
寝言で他の女子の名前を呼ぶとか。
ありそうで怖い。怖すぎる。そういうリスクとも向き合わなきゃいけないのか。
「あ、その顔……たくさんの女子と付き合うことの難しさを感じてる顔だ」
「なにそれ。俺の顔、限定的すぎるんですけど」
「タカユキはもっと自分のこと理解するべきかも。顔に出やすいんだよ?」
さんざんつねったところを優しく撫でられる……いつつねられるかひやひやとする俺。
実に情けなし。
「まあいいや……ん」
ちゅ、と額に唇を当てられてときめく俺です。
「ちょっと……疲れたから寝る。タカユキはみんなにもう大丈夫って伝えてきて」
俺の肩をぽんぽんと叩くクルルに思わず起き上がって彼女を見た。
その背に羽根はない。
けれど髪は……根元は白く、毛先にかけて淡くピンクに色づくような状態である。
「だ、大丈夫なのか?」
「心配しなくてもいいかな。昨日よりも魔力が膨大になってるの」
「し、心配しかできないんだが。それほんとにだいじょう――」
最後まで言えなかった。クルルが口づけてきたせいだ。
「――ん、ふふ。だいじょうぶだよ。身体に渦巻いてる力をなんとか馴染ませるのに時間がかかりそうなだけだから」
タカユキのせいなんだからね? と微笑む。けど理解が追いつかない。
不安な俺の肩口に額を押しつけてきたクルルは、どんどん脱力していく。
「……愛されると、力が増える、っていう……とこ、のこってて……むり、ねる」
そのまま完全に身体から力が抜けたクルルに慌てる俺なんだけど。
「すかー……ぐううう……」
ガチのいびき(それも酔いつぶれたオッサンばりの迫力)だったので、杞憂だと思った。
くそ、もう。心配かけやがって!
……ほんと、心配「ぐぉおおおお」か、かけやがっ「すぴいいいいい」……うん。
そっとしておこう。
◆
クルルの面倒をペロリとルカルーに任せた俺はお願いされて、街の有力者たちを集めた館にクラリスといた。
俺たちに付き従うのがコハナだというんだから、正直な話……俺には不安しかない。
とはいえ話し合いは順調に進んでいた。
「北の帝都に黒い闇の柱がたち、国が滅びた今……あなたがたの交易の提案は正直助かります」
町長さんいわく、物資が滞っているわ、商業も壊滅しているわで死ぬのを待つような状況なんだそうだ。
クラリスは速やかにジャックとリコに指示を出して、再興に手を貸すことと避難するなら民を受け入れることを約束した。
ぶっちゃけこのあたり、マジでダイジェストなんだけどな。
いやだって……ほぼほぼ愚痴と悲嘆の数時間なんだもん。
やれ獣がいない、獣がいないせいで肉が、皮が。やれ海は海蛇のせいで大荒れで魚もとれなくて飯といえば草とささやかな野菜だけだの。他にもあれやこれや。
破綻した生活をどうにか伝えきり、それをまるっとどうにかしてくれという泣き言なんだよ。いやまあ……それくらい壊滅的な状況だと人は弱るって話なんだろうけど。
俺にはどうすることもできない話ばかりだ。
だから一つ一つ丁寧に受け答えをして、騎士や城で見かけたじいさんに指示を出すクラリスは本当にすごい。ただのお飾りなら、ぽんぽんと指示なんて出せないだろう。
日が暮れて、館の一室を与えられたクラリスに誘われて彼女の寝室に行く。
コハナも笑顔でついてくるのが解せないが、まあいい。
どうせクルルの話だろうと理解していたんだ。
扉を閉めたコハナの笑顔に不安を感じながら「こほん」と可愛らしい咳払いをしたクラリスに向き直る。
「それで、タカユキさま。わたくしのことはお捨てになりますか?」
……おっと。
「ど、どうした急に」
「昨日のクルルの宣戦布告、確かに聞き届けました」
「それは、つまり」
「ええ。クルルが魔法を使うまでの一部始終を聞いておりました」
まじかー。
クルルの予言通りになったな。
次はクラリスの番か。まじでそうなるとは。
「わたくしのことはもう……毛ほどにも思っていらっしゃいませんか?」
うるる、とした涙目の訴えよ。この罪悪感よ。まじで死にたい。
「子供つくっといて捨てるなんて、勇者の風上にもおけませんよねえ」
きっ!!!! とコハナを睨んだけどにこにこ笑顔で「何か?」なんて聞かれたら「何も!」と言うしかない。
「いや、あの……クラリス、俺は」
お前のこと、と言う前に抱きつかれた。
クルルがいなきゃ困る存在なら、クラリスはいなくなったら困る存在だった。
どっちも……好きなんですよ。
最低か。でも真実そうだ。
この世界は重婚が許されてるわけなので、罪ではないはずで。いや王家の血筋を相手に重婚が許されるのか? って話はあるけども。
「捨てる気はない、というかお前に捨てられる気しかしてない」
「そんなの、ありえないです」
ぎゅう、と。胸のあたりの布地が掴まれる。
見てほっとするのがクルルなら、俺を一途に見上げるクラリスは……どきどきする。
「クラリス……謝る。クラリスもクルルも幸せにするなんて都合の良いことしか、今の俺には言えないんだ」
「……それで、十分です。わたくしは、それだけで十分」
折れそうなほど華奢な腰を抱いて、内心で絶叫する。
ああああああ。あああああ。ああああああああああ!
結局こうなっちまった! いやこれしかないけども!
何せ二人ともお腹に俺の子供がいるんだろ? 無理だよ! もう逃げ場なんてとっくにねえよ!
ペロリの言う通り、みんなまるっと幸せにするしかねえの!
なんだけど、この罪悪感!
きっと俺が元いた世界じゃあり得ない選択なんだろうなああ!
ああああ! すみませええええええええん!
「でも、このまま待っていたら……タカユキ様の心にわたくしの居場所はなくなってしまう気がして」
健気に泣きそうな顔で言うの。もうね、罪悪感がやばい。
「なのでついていくことにいたしました」
「え」
「わたくしもお力になりたいのです」
ん? なんだ? なんだなんだ? 物凄い速度で嫌な予感がするぞ。
「というわけでぇ」
ああああああ。やっぱりだ。やっぱりコハナが口を開いたああああ……。
「昨夜決意を固めたお姫さまはあくまで死神のコハナに願ったのです」
くるくると踊りながらクラリスの背に回って、肩にぽんと手を置き寄り添う。
「嫌な予感的中感やばい……けど一応聞こうか。何をだ?」
「わたくしの血筋は王家のものですが……古くは錬金術の家系です。けれど、その術は年々失われていくばかりでした」
俯くクラリスの背中、ドレスのボタンをコハナが外していく。
「けれどもし……もし、賢者の石を作りだし、もしこの身に宿したのなら?」
するんと落ちるドレス。肌着にしては豪華すぎるレースとリボンと宝石のビスチェの胸元にコハナの翼と同じ紋様が刻まれていた。
「……知識をいただく契約をしたのです。神に連なる者の知識を用いれば、きっとお役に立てると」
クラリスの必死さはひとえに俺のせい。安心させてあげられてたら、こんなことはしなかったに違いない。だから俺が否定するのはまずい。
とはいえ……困った。
「コハナ、何が目的だ」
「強い魔法使いは作り出せたんで、次は失われし錬金術の復活かなーって」
「……代償は? あるんだろ?」
「くふ」
俺の腕からクラリスを引っ張って、その腕に抱き締める。
背中から生えた翼、赤く燃える髪……いやらしく首筋を舐める舌。
「あなたが彼女に注いだ精の分だけ彼女に知恵をあげます。でも……注がなければ」
「ぁ……」
クラリスの胸元の紋様から黒い染みのようなものが微かに広がる。
「彼女を悪魔に変えてしまおうかと。知ってました? 彼女の王家の血筋は元々天使と人に繋がっていると。そんな人を堕天させるなんて、コハナ……興奮しちゃうますぅ」
はあ、はあ、と。
荒い呼吸でコハナの手がクラリスの胸と股間に伸びた。
クラリスは抗えないみたいだ。されるがままになっている。
「お察しいただけましたぁ? コハナの言いなりなんですよ、この……あなたしか知らない、無垢な皇女さまは」
「んっ……」
思わず眉間の皺を指で摘まんでしまう。
「……お前その、なんなの。いちいち俺の大事な女子をエロい目にあわさなきゃ気が済まない病気かなにかなの?」
「バレちゃいましたぁ」
「欲求不満か」
「そうですよぉ?」
胸をいじめる手をクラリスの顔に当て、その舌を指で蹂躙しながら微笑む。
「淫蕩の悪魔になってますからぁ。飽きたら……死の運命に導いちゃいますけどぉ」
「……はあ」
腰に両手を当てて、長く息を吐き出す。
「クラリス……君くらい出来る女子ならわかると思うんだが」
「らふぁふひはま……」
俺の名前を呼んだのかな? ま、まあいい。
「悪魔と契約するのはよした方がいいと思う」
「……ふひはふぇん」
謝ったのかな? いいんだけども。
「まあ……コハナが暗躍するのはきっと、これからいつものことになるんだろうからいいさ」
目を見開く悪魔に指を突きつけて言ってやる。
「お前とヤるターンは減るぞ。いいんだな?」
「あらぁ? もしかして……喜ばせちゃいました? それは誤算かもぉ」
「一瞬でばれる嘘を吐くな」
「あは!」
ったく……。
「他にも何か企ててるんだろうが……クルルの時のように乗り越えるからな」
「んー……期待してます★」
頬が紅潮するクラリス、つらそうだ。
……まったく。
「じゃあクラリスを離して出てなさい」
「おっ、さっそくやる気ですかあ?」
「抗ったらお前がクラリスにひどいことをするのは目に見えてるからな」
頭をがしっと掴んで、ひょいっと通路に投げた。
乱暴な扱いなのに、その羽根と身のこなしで軽やかに着地する。
まあ目に見えていた結果だな。
「出て行きなさい。覗き見も禁止な」
「はぁい」
楽しそうに笑って手を振ると、素直に扉を閉めて離れていった。
やれやれ……。
「クラリス、大丈夫か?」
ぺたんと腰を落とした皇女を抱き上げる。
「……ごめんなさい」
「どうした? 急に」
「ぜんぶ、わたくしのわがままなんです……契約も、旅についていきたいというのも」
クラリスがなんでそんなわがままを言うのか……わかるだろ?
不安なんだ。こいつがそんなわがままを通そうとするの、多分そうそうなくて。
それくらいには……いつもの自分でいられないくらいには、俺を想ってくれているんだ。
当然だよな。お腹に俺の子供がいて、そうなるよう意識して俺としたんだから。
これで「子供が欲しかっただけでお前には興味ねえから」とか言われる方がつらい。
だからいいんだ。
「連れて行く」
「え……」
自覚して口に出そう。
もう逃げ場はないのだから……先へ進むしかないのなら。
「俺の女だ。クラリス……確かに俺とクラリスが積み重ねたのはまだまだ短い時間だけど、それでも俺はお前を愛した。クラリスは俺を求めてくれた。なら、俺が幸せにしないとな」
「……っ」
泣きそうな顔でしがみついてくるクラリスと一緒にふかふかのベッドに腰掛ける。
あれしてほしい、これしてほしいとわがままを素直に口にして「すごくいい」と甘えられるクルルはもちろん可愛い。
そこへいくとクラリスは、健気に俺に尽くしてそのたび「いいですか?」と不安がるか弱さがある。だから……クラリスがしてほしいことを一つずつ積み重ねる。
甘やかして欲しい、と。さんざんしてからやっとそう言えたこいつを、大事にしない理由は俺にはないのだ。
不安も嫉妬も、怒りもすべて。
二人の感情を背負う覚悟をいい加減決めよう。
その上でクルルもクラリスも、そのお腹にいる子も。
仲間もまとめてみんな幸せに出来るだけの力を手に入れよう。
それだけ大きな男になれりゃあ、あのコハナとももっとうまく付き合えるだろ。
つづく。




