12話 平和の使徒
小生はさもしいので、平和の使徒と言われると眉が寄ってしまいます。
「27、28、29……」
───アンディ こんな早朝から 裸で何をやっているの? 寒くない?
裸ではない。脱いだのは上半身だけだ。
絨毯に敷いた毛氈の上。伸ばした腕を折りたたんで、胸を床寸前まで下ろす。
「……30。はぁ、はぁあ」
腕を伸ばしきると、毛氈の上に仰向けに寝転がった。息が整うのを待つ。
『おまえ。身体を鍛えてなかっただろう。これじゃあ、剣も揮えないぞ』
女の身体には見えなくなったものの、筋力は前世の頃から相当低い。騎乗してよく分かった。
───貴族が剣を振ってどうするのよ それより筋肉ムキムキになるのは嫌なんだけど
確かに、その状況に追い込まれたら、負け寸前だ。
『もう、おまえの物じゃない。口出しするな』
剣を持ち出窓を開けて、外に出る。
───今度は何?
「1、ふう、2……」
ブーンと羽音を立てて、旋回した。
───素振りか その振り方 下品ね
†
「ここにございます」
食事の後、サーメル関に出向くと、ラーゼフに東の城壁内部の一室に案内された。
「東のどん詰まりか」
やや緑がかった地に、ところどころ黒い角閃石が混ざる、安山岩だ。いつの時代かマグマが隆起して、冷えて固まったのだろう。その割れ目のいくつかから、滔々と湯が湧き出ている。それが流れ落ち、太い樋を伝って、巨大な桶に溜まっている。桶はもうもうと湯気を出しており、煙突状になった天井に抜けては行くが、それでもとても暑い。
桶の高さの中程に刺さっている樋で、関の西側へ配られていくらしい。
「この桶、中で泳げそうな、大きさだな」
「御曹司、お言葉ながら……」
「無論、そんな気はない。兵たちの大事な飲み水だからな」
「……はっ!」
「しかしだ、熱っ! このあふれ出していく多量の湯を流れるままにするのは忍びない」
桶の上端を結構の勢いで越えており、それが溝を通じて室外へ流れ出している。望楼で見た流れだ。
「と、おっしゃいますと……」
「入浴施設を作りたい」
「入浴施設ですか……あの、お部屋に盥で湯を運ばせますが」
「いや。我ではなくて、兵たちのための施設だ」
「兵たちにですか」
───ええ?! もしかして ボクのため?
『それもある 恩に着ろ』
「聞いてくれ。あるとき、世界的に奇病が流行した。その病気は蚤を媒介にしていた」
「蚤ですか?」
「うむ。その中で大した被害が出なかった島国があった」
ラーゼフの眉が動く。
「なぜ、その国で流行しなかったかは、詳らかになっていない。他国との違いは、蚤が寄生するネズミを徹底的に駆除したこと。そして、その国の民族には入浴習慣があったことだ。つまり、蚤を人に極力近付けないように身の回りと身体を清潔に保つことが違っていた。住む場所が違う大勢が集まれば、思わぬ疾病が流行る可能性は高い。よって、サーメル関は清潔を旨としてもらう」
「たしかに疾病が流行れば、防衛力が激減し、いかにサーメル関といえども保つことは困難でしょう。おっしゃることはわかります。具体的には」
「清掃については、我よりラーゼフの方がどのようにすべきかわかっているだろうから、一任する。無論防衛が優先だ」
「承ります。入浴施設は、どうお考えでしょうか?」
「この岩盤の高い位置にある伏流水の出口から、湯を溜めて、シャワーを作れ。一時に数十人が浴びられるようにな」
湯船に湯を張ってそこに浸かる方が良いのだろうが、この国にその習慣はない。湯を溜めればあっという間に、汚れが沈殿するだろうし、造るのに時間が掛かる。衛生を保つのも結構労力が掛かる。
「工兵もおりますので、シャワーであれば何とか」
「では頼むぞ、ラーゼフ」
†
シャワーの件を頼んでから2日経過した。
影鷲によると、ベルクの軍勢の移動は大きな荷車を牽く荷駄隊の速度が遅く、ここヘの到着は、明日以降になりそうだと連絡が入った。移動速度を落としてまで、何を運んでいるのか。
ラーゼフは、それまでにと、シャワーの施設作りを急いでおり、既に半分くらいはできていると報告を受けた。既に兵たちは順番を決めて浴びているようだ。
───ねえねえ
『なんだ?』
───兵たちが アンディのこと うわさしているよ 変人だって プププ……
小さい姿のアニーが腹を抱えている。
───貴族が 工場を見に行くとかさ
『全く愚かな考えだ』
製造現場は、労働者が多く集まるため、野卑で下賤なものと見なしているのだ。
敵の到着が思ったより遅いので、少し暇となり、我はサーメル関から少しに東に行ったところにある炭酸水の工場へ赴いた。工場と言っても、ガラス瓶に岩山の近くにある泉に湧いている水を詰めるだけだったが。
───そういえば 砂糖を混ぜたら 旨い飲み物になるって 本当?
『そんなことより、我から離れて飛んで行くのは良いが。もう臭くないのか?』
───まだ臭いけど 数メタ上空を飛べば そうでもなくなったわ シャワーは続けさせてね!
まあいいが。
───それより ゼルガスの方から 馬車1台が近づいてきていたけど
馬車? 1台だと。
何やら気になるので望楼に登ると、そこにラーゼフが居た。
「御曹司」
「馬車が近付いて来ていると聞いたが。あれか?」
ゼルガスの陣地から、街道をこちらへ4頭立ての立派な白い馬車が向かっている。
───高位聖職者 たぶん司教様の馬車だわ ちょっと見てくる
アニーは我の肩から飛び立つと、望楼を離れていった。
「あれは、ロヴァル教会の馬車だな」
「むう。教会で、あのような馬車に乗っているとすれば、司教ということになりますが」
5分程見守っていると、やはりゆるゆると関に近付いてくる。ゼルガス陣営から後続は来ないので、教会の馬車でないとしても戦闘目的ではないようだ。
光の微粒子を曳きながら、アニーが戻って来た。
───やっぱり馬車は司教が使う物だったけど 窓から中を見たら大司祭様だった
「大司祭か!」
「御曹司?」
おもわず声に出してしまった。
『どうしてわかる?』
───冠が 2重冠じゃなかった
2重冠が司教もしくは大司教で、3重冠は大主教だったな。
いよいよ馬車が指呼の距離まで来て止まった。
馭者が降りてきた。
「我らは、第4教区ベルネンドより参りました」
望楼まで届く声で叫んだ。彼も聖職者らしいな。ベルネンドはベルクの領都だ。
「司教代理大司祭が、この関の責任者と面談を望んでおります。疾く開門されよ」
「おっしゃった通り、大司祭様でしたか」
ラーゼフが少し訝しんでいるが、うなずいてごまかす。
「どういたしましょう? さすがに偽装ではないでしょうが」
ゼルガス、ベルク、それにギュノスの民は、宗派はともかく、ほとんどがロヴァル教徒だ。120年前でも、国内にいる最高の大司教は国王と同格だったが、王の凋落により今ではその権威が数段上回っているそうだ。司教の代理を名乗る者を、粗略に扱うことはできない。
教徒である兵達も見て居るからな。
「面談する。大司祭以外は身体検査せよ。それと、人数を数えて、意図しない侵入者を許すな」
「はっ!」
ラーゼフが、望楼から降りていった。
司教代理か。何しに来たんだ?
───そりゃあ 停戦の斡旋でしょう 教会は平和の使徒だもの
ふん。平和の使徒ね。
───何よ!
会ってみれば分かるさ。
†
側近が呼びに来たので、望楼を降りると、既に馬車が大門内に入っていた。
黒地に緑の縁取り刺繍した外套を着た者が降りている。頭は、アニーの言ったように1重の冠を被っているが、長い司教杖を携えている。
司教の代理であることを、あの杖が示しているらしい。
ラーゼフが我を指し示すと、大司祭は胸の前で前腕を交差させ、手の平を肩の下に当てた。
40歳代前半ぐらいで目が細い。痩せていて背が高い。口元にはほほえみを湛えてはいるが、何を考えているか読み取れない。
「ようこそ、サーメル関へ。こちらへどうぞ」
関内で最も格の高い応接室へ先導した。
部屋に迎え入れて奥へ導き、扉側へ回り込んで大司祭に近付く。
「父ギュノス伯爵の代理を務めております、アンドレアスにございます」
「はあ、それは、それは。私は第4教区の副教区長を務めております。まだお若いですな。アンドレアス殿とギュノスの民に神の恵みあらんことを」
右手を左肩に当て目礼する。
「お掛けください」
ソファーを進めると大司祭が座り、その後ろに30歳台であろう司祭2人が立つ。
我も正面に座った。
───わあ 大司祭様だ こんなに間近に お目見えするなんて初めてだわ
『修道院に居ても、そんなものか』
───何よ!
「大司祭様におかれては、このようなところまでお運びくださり、光栄に存じます。どのようなご用件でしょうか?」
「単刀直入に申し上げます。司教はこたびの争いの停戦をお望みでございます」
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