10話 敵陣を見ゆ
陣地戦は3Kになりがち。
分家の叔父たちが帰ってから、ブランドルの支城を馬に乗って出た。
のどかな風景は変わらないが、街道は寂れたものだ。ゼルガス伯領との交通が遮断されているからな。何かの瓶を積んだ荷馬車一両と擦れ違ったが、あれはどこから来たのか?
───へえ 騎乗が様になっているじゃない 家名持ちなだけあるわね
小妖精が、馴れ馴れしく僕の周りを飛んだ。
『セレマス家は男爵だ。我は庶子だったから、家を出たがな。馬ぐらいは乗れる』
───それで 傭兵ね
『それしか、能がなかったからな。家に居て我慢すれば、歴史家に……未練だな』
近づいてきた。
サーメル関の偉容が見えてくる。高さ6メトばかりの壁が視界を覆ってくる。岩山が途切れた間隙、つまりは馬の鞍状になった部分を壁がずっと埋めている。壁は途切れなく、両端はそのまま岩山に届いて、壁に穿たれた門以外に通ることはできない。
要はこの200メトばかりの壁で、ギュノス-ゼルガスの領地間を遮っている。岩山を大きく回り込もうとしても、東はレーズルの森が、西はウエント湖が行く手を阻む。
ここサーメルの地は、要害の地ということだ。
街道を進みさらにサーメル関に近付くと、簡素な木の柵が設えられている。
兵たちに敬礼を持って迎えられ、関の敷地内に入る。
柵を過ぎると小屋が無数に建ち並び、それでも足らぬと見えて、布製の天幕も並んでいる。常備以外の兵たちがここで寝起きしているのだ。長引けば士気は間違いなく低下する。それは敵も同じだが。
それらの並びが切れ、壁まで100メタ程、何もない荒れ地が開いている。
なるほど。壁に隣接させれば、向こう側から火矢を撃たれて燃え上がるからな。それを避けているのだろう。
いよいよ城壁が近付いてくると、日干しレンガの建物が多く建ち並んでいる、官舎だな。古くは見えないから、サーメル関をギュノスが奪ってから、建てたのだろう。
壁を目前にすると、ものものしさがいや増す。
壁の上にも何十人もの兵の姿が見える。よくこれを攻める気になるものだ。頭上から弓で射かけられるのは間違いない。それを防ぐ手段なしに、仕寄って壁に取り付くのは至難の技だ。
「ここだけは立派だな」
「はい。大門ですので」
視線を下ろす。その先は徒で付いてきている側近たちだ。
大門。
すこし離れた壁面は日干しレンガだが、ここの周りは、石と焼成レンガで作られている。
扉は太さ30セルメトの年代物の乾燥しきった角材が、黒鉄の金具で締結されている。相当に頑丈そうだ。
門の上は倍ほどの高さがあって、小さな楼門になっている。
大門は街道沿いにあるが、岩山に接する手前にも小さい塔がある。
「あれは?」
「小門です。小振りの門がございます。あちら側にも」
左……東側を見ていたが、西の岩山に至る手前にも小さい塔が見える。
「それぞれへ、分家勢に入ってもらっています」
「そうか」
「御曹司。こちらで」
宿舎の手前で、下馬した。
───ん?
『どうした?』
───うぅむ……
木の柵を越えたあたりから、アニーが具合が悪そうな念を送ってきて、我の身体の中に消えている。
ラーゼフと、身形が良い将校だろう者たち10人程に出迎えられて、宿舎に入る。
「こちらです」
廊下を通り、歩哨が控える扉を抜けて、部屋に入る。
2、3人は寝起きできる広さだが、机と椅子、木のベンチがあるだけだ。
「御曹司には、この部屋を執務室として使っていただく予定です。いかがでしょうか?」
「うむ。なかなかの広さだ。悪くない」
「承りました」
ラーゼフが出ていった。
「しかし、いささか殺風景ですな」
マンフレッドの言う通り、調度が少ない。
「突然言い出したことだ。致し方ない」
「支城より、いくつか調度を運ばせます」
質素というか簡素で好感が持てる部屋だが、それでは威信が保てないらしい。
「望楼に登りたい」
「はっ! 少々お待ち下さい」
マンフレッドが執務室を出ていき、1人になった。
『アニー。どうかしたか?』
嫌そうな顔をして出てきて、肩に止まった。
───うぅぅ 臭い 凄く臭い
『はっ? しばらく使っていなかったようだからな。多少埃っぽいが……』
───そうじゃなくて 男臭い……
『なんだと?』
───この部屋は まだマシだけど 廊下とか サーメル関全体が 男臭くて 鼻が曲がるのよ
まあ、軍事施設だからな。
『どこでも、軍の駐屯地は、こんなものだ。我慢しろ』
ここには、多くの兵がいる。兵は、領軍の正規兵だけではなく、国人の私兵も詰めているはずだ。それが、水浴びもできそうにないところで、密集しているのだ。臭うのは当然の帰結だ。
───我慢なんて できないわ 支城に居ようよ アンディ
『ふざけるな! そんなことを言うなら、おまえだけ支城に居ろ!』
───いやよ アンディと離れるのは なんか心細いし
側近たちが、部屋に戻ってきた。
「御曹司。望楼へ参りましょう。その間に、我々が清掃いたします」
マンフレッドに案内されて、大門の上の望楼に登った。
高さは10数メタだろうが、結構遠くまで、支城からは、関が遮っていたゼルガス領が見える。荷車で登るのは辛そうな斜面を下りきると、数百メトは平地があるがあるものの、南へ向かう街道を除いて、背後に森がある。
───はぁぁ よかった ここは臭くないわ
アニーが、我の中から現れ、一周回ると肩に留まった。ここは風が通る。
『臭いと言うが、アニーは呼吸しているのか?』
───していないわ……でも臭うんだもの
難儀なヤツだな。さて、地形は把握できたが。正面を見据える。
「マンフレッドは、ここに来たことがあるのか?」
「はい。父と支城に数週間詰めたことがございます。その時に」
「そうか」
───彼は 男爵の3男坊よ 若いのに剛毅で 膂力もあるのよ
『アニーの好みか?』
───そっ そんなことは 言っていないでしょう!
図星らしい。ギィとはしごの軋み音が聞こえた。下から誰か来た。
「御曹司。こちらでしたか」
「ラーゼフ。敵の配置だが、中央はゼルガス兵だな?」
正面の下り勾配斜面。中程までは石畳となっているが、さらに下って平地と境、矢の届かぬ500メタばかり離れて木の柵が立っており、その向こうに歩兵の姿と陣幕などが見える。そのなかで、中央は首元に黒色が見える。ゼルガスは黒スカーフを揃って巻くと聞くが、あれらしい。
「左様です。ああ、御曹司。あまり前にお出になりませんように。伏兵からの狙撃の恐れがあります」
「敵兵の数は?」
「3千余りかと」
今は、我が方が少し上回っているか。
しかし、攻め込んで兵力を減ずれば、いずれ攻め寄せるベルクに対応ができなくなる。
眼下も見る。壁のすぐ外は、逆茂木で固めてある。
大門の櫓は、壁面から数段を掛けて敵前へ突き出ている。壁面の延長線上から出っ張った部分は、石の色が新しい。ラーゼフが奪取してから増築したのだろう。
なるほど、横矢か。
───横矢?
『壁面に取り付いた敵兵を攻撃するための形状だ』
───へえ よく知っているわね それも傭兵の常識ってヤツ?
いくつもの弩。それと投石器で飛ばすのであろう拳大の石が積み上げられている。後で質したところ、兵が腕で投げる方が主力らしい。準備は万端というわけだ。ラーゼフは堅実だな。
「あれは?」
東の塔になっているところの壁の下、その北側から、結構な勢いで小川が流れ出ている。
「あれは、投石用の材料で、あれを割りまして……」
小川の横に堆く岩が、積まれている。その先の岩山から採ってきたのだろう。
「それではない。その横の水だ」
「失礼いたしました。あの流れは、東の崖から伏流水が出ておりまして」
「伏流水か」
「はい。近くに炭酸水を産する泉に瓶詰め工場もあるぐらいで、ここの伏流水も飲めまする。おかげでこの地形でも、飲み水には困っておりませんが」
ん? 微妙な顔だ。
「飲み水以外に、何かあるのか?」
「はい。水圧で壁を壊すことがございまして」
ふむ。痛し痒しか。
「湯気が出ているが」
「人肌より少しぬるい程度の温度です」
その向こうは深い森と、うっすらと噴煙を上げているレーズル火山が見える。
地熱か。
「御曹司。そろそろよろしいでしょうか。領軍に分家と国人の隊長が待っております」
「わかった」
下に降りて、執務室のいくつか手前の広間に入ると、軍服の男たちが何人も待っていた。支城で会った分家の2人に、後は惣領家の隊長と皮鎧の者たち。
───皮鎧は国人勢ね
「皆々に紹介する。今回の戦を総覧される、御曹司。アンドレアス・ギュノス様だ」
皆が軍令を返した
「では、訓示をお願いいたします」
「アンドレアスだ。敵軍との対峙は、既に1週間となると聞いている。各位、ご苦労である」
少しざわついた。
───ちょっと! 貴族は無闇に麾下を労わないで 対面が……
『修道院に居た割には、思考が貴族そのものだな』
───そうじゃなくて 変人って言われるし ボクでないと疑われるわよ
『それがどうした。変人結構! 我の好きなようにやる』
ラーゼフが咳払いをして、隊長たちは居住まいを正した。
「我が着任したからといって、敵との間ですぐに何かが変わるわけではない。敵は我が方を挑発して関から誘き出して叩く。それを助けに行った隊をまた叩く。それが狙いだ」
唸っているが反論はない。
「よって、ラーゼフの許可がない限り、どの隊であろうと、関から打って出ることを禁止する。出た者は味方といえど、頭上から投石と矢が降り注ぐことを覚悟せよ」
辺りを睨み付ける。
「さて。こたび、ネメシア、アナベル両家の兵が加わった。国人勢も増えた。それ自体はめでたいが、放っておけば別の隊の兵同士で諍いを起こすであろう」
120年経ったかどうか知らないが、人間がやることにさほど変わりはない。
隊長たちが顔を見合わせた。
「言っておく。諍いを起こした者は厳罰に処す。ラーゼフ」
懐から用意してきた紙を取り出し、こちらを振り返ったラーゼフに渡した。
「読み上げよ」
「はっ。陣中およびの集落の者共との諍いを許さず。如何な家中といえども、惣領家の目付が捕らえ、裁判にかけて、厳罰に処すものなり。ギュノス伯クリストフ代理アンドレアス」
皆がこちらを向く。
「同じ文言で、高札を立てよ。いかなる家とて容赦はない。領軍、分家勢、国人勢の区別はない。徹底せよ。文字が読めぬ者には、言って聞かせよ。読めなかった、知らなかったでは済まさぬとな。取り締まりは、各隊から選抜した目付が実施する。目付には腕章を巻かせ、目立つように歩かせよ。よいな」
「「「「はっ!」」」」
「訓示は以上だ」
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ブクマもありがとうございます。
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