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第8話 「お安くしときますよォ」

 昼下がりのグリマーベリーは、再び分厚い雲が日差しを遮り、物体が地に落とす影を殺した。むしろ、これまで晴れていたことの方が、この国では遥かに珍しいのだが。

 曇り空でも、大聖堂の正面から延びるメインの通りは人が溢れていた。


「あの、すみません。聖槌教会の者なのですが――」


 ルリカはあちこち人に何かを聞いて回っている。本人から離れているのをいいことにユウリは小声で延々と呟くように愚痴を並べていた。

 ユウリと二人きりになったレイド。ユウリは機嫌を損ねているようで、これまで理性で抑え込んでいた嫌味を存分に吐き出す。


「なんなのあの子!? わたしたちが最初に声かけた時はフレンドリーだったのにさ! なのに、急に掌返しちゃって! 身勝手過ぎない?」


 散々毒を吐き、なお苛立ちは留まるところを知らない。レイドの側も慎重に言葉を選び何とか諫めようと努力する。


「まぁ、行き過ぎた信仰は盲目的になりがち……っていうのはあるな。でも、幽霊がいるなんて言ったら頭がおかしいんじゃないかって思うやつはいるぞ。なぁ、それくらいは分かるだろ?」


 ユウリの噴きあがる思いは何に起因するのか。それは殺人との関与を疑われたことではないのはなんとなくレイドにはわかる。にわかには信じてもらえない存在を否定されて、何をそこまで気に病むのだろうか。

 レイドからすれば、今のユウリは頑なで子供っぽいと感じられてしまう。しかし、感情の制御が一時的に効いていないだけだろうと高を括っていた。


「……ねぇ、レイドはさ、もし今もお父さんが身近にいたら、何してたと思う?」


 急に声を潜めるユウリ。レイドの適当にあしらおうという態度が見えたのだろうか。


「親父が普通に生きてたら? そうだな。親父の背中追って王国騎士団に入っていたかもな」


「そこに明確な答えがあるんだね。わたしには、ない。わたしには、霊狩りであることしか、ないの」


 彼女の目には微かな輝きがあった。蝋燭の光より弱いが、その中には確固たる意志を感じる。それが具体的に何かまでは本人にしかわからないのだろう。


「だが、ユウリだって呪いを解くって目的があるだろ?」


「わたしは、霊狩りでしかない。だからこそ、呪いを解きたいの」


 何やら曖昧な受け答えだが、ユウリの視線はレイドよりも遥か先を捉えていた。この底知れぬ洞窟に足を踏み入れるべきではないだろう。少しずつ、崩落しないように進んでいかねばならない。


「ごめんね、レイド。なるべく自律するからさ」


 いつもの少女的な面影はいずこへ、今のユウリは凛とした女性の顔だった。背丈も歳も、何一つ変わらないはずなのに、顔つきが違う。一体何がどう作用してレイドにそう思わせているのかは全くわからない。


「俺も少し配慮に欠けた部分はあったのかもな。それは謝らせてくれ。きっと俺たちはまだ互いのことを理解しきっていないんだろう」


 ユウリとルリカも、互いのことを知れば和解できるかもしれない。ただの幻想であっても、このまま停滞するのは心的によろしくない。


「まぁ、気取り直して俺達も話聞きに行くぞ」


「あら、あなたたちは……」


 そこへ偶然通りかかった一人の女性。彼女はレイドたちがこの街に入ってすぐに大聖堂に行くことを勧めてくれた人物だ。


「あっ、ちょっと聞きたいことがあって」


 早速ユウリが女性の前に立つ。僅かに腰を曲げて上目遣い。これが意図してのものなのか、元来の癖なのか。レイドにはわからない。


「何かしら?」


「この街の中で、幽霊を見ちゃったとか言ってる人っていませんか?」


 みるみるうちに女性の眉間に皺が寄る。見ている方の背筋が凍り付きそうなほどの豹変ぶりだ。


「ここでその話をするのはよくないわね」


「都合が悪いなら場所を変える。それでどうだ?」


「あたなたち、旅人よね? あまり余計なことに首を突っ込まない方がいいわ。もしもあなたたちが幽霊を見たと言うのなら、異端よ。今ならまだ更正できるから大聖堂で免罪符を貰ってらっしゃいな。他の人もそうしてるわ」


 最後の最後に女性はもう一度だけ笑顔を見せた。しかし、最初に見せた純粋な表情ではなく、仮面を張り付けたハリボテの顔であった。

 女性は避けるように二人の元から去って行った。全く取り付く島もない。この街の人々は幽霊を信じておらず、実際に見たと言えば罪扱い。それを贖うために免罪符を買うらしい。


「なんか免罪符って怪しくない?」


「俺もそう思う。事件の被害者も免罪符を持ってたみたいだしな。たぶん、死ぬ瞬間まで握ってたんだろ」


 レイドは血が沁み込んだ免罪符のことを思い出していた。同じ白に染まる赤でも、包帯と紙では真逆の情緒になる。他人の血だけは、いつまで経っても見慣れない。


「ねぇレイド。だったらさ、試しに一枚買ってみようよ」


 などといいつつユウリは既に財布を取り出している。なけなしの金で紙切れを買う。これ以上の屈辱をレイドは未だ知らない。


「確かに買えばわかることもあるかもな。だが、とんでもなく高くなかったか?」


「一枚2000R(レイル)だっけ? 安い宿の素泊まりが120Rとかだよね?」


 見るからに貧しそうな財布。北風に飛ばされてしまいそうなほど軽い。あまり期待せずに中身を二人で覗き込む。


「今の所持金が1940R……足りない!」


「参ったな……街に落ちてる小銭でも搔き集めるか」


 ここは露店が立ち並ぶ通り。行商の耳心地が良い甘言にほだされ、皆財布の紐が緩くなる。そうとなれば、うっかり小銭を落としても、気にしなくなるものだ。


「気は引けるけどな」


「うげーマジで拾うの? そこまでしなくたって……」


 ユウリは乗り気ではないようだ。確かに、人の世で生きていくために人であることを捨てるような行為だ。

 やはりやめようかとレイドが言いかけた時、背筋を撫でるような、気を引こうとして、人に媚びる声がした。


「そこの方、ちょいとよろしいですかな?」


 声の主は露店を開いている行商人のようで、二人を手招きしている。彼の左右には効果不明の魔道具、用途不明の家具、出所不明の骨董品などが並べられている。


「胡散臭い」


「行商人は信用するなってお袋が言っていた」


 長い前髪で目は見えないが、口元は一定の角度を保っている。仮面でもつけているのかと思うが、確かに口は動いていた。


「おや、出会い頭から信用されていませんねぇ。あなた方、旅の方でしょう? お話、お聞きしましたよ。こちらをお求めで」


 行商人は懐から一枚の紙切れを取り出した。聖槌教会のシンボルが書かれているその紙は、間違いなく免罪符だ。


「今ならなんと一割引! 1900Rでお売りいたしますよォ」


「買えなくはない、が……もう少し安くならないか? せめて一日分の飯代だけでも残るように」


 行商人はこれを待っていましたと言わんばかりに口角を釣り上げた。いつの間にか、レイドとユウリは露店の目の前に立っている。


「そうですねぇ……では、1500Rでいかがでしょう? それとも、もっとお安くお求めしたいですか? 400Rでいかがでしょう」


「えっ、急にめっちゃ安くなった……。ていうか400でも売ってくれるなら定価ぼったくりじゃん」


「ニヒヒ……超サービスですよォ。あッ、これ、一応はお土産用のレプリカですからねェ。本物と見紛うような代物ですが」


 行商の身でありながらお土産を揃えているのは奇妙にも思える。行商人は外部の物を内部の人に売る。だが、お土産は内部の物を外部の人が買う。


「なーんだ本物じゃないのか」


「まぁまぁ、『本物と見紛うような』と言ってますから。効果も実物と大差ないですよォ」


 やけに含みを持たせた発言がレイドの中に引っかかっていた。そもそも露店形式の販売気式だが、この男が売ろうとしている免罪符は懐から出て来た。


「なぁ、これって本当に売り物なのか? あんたの私物じゃないのか?」


レイドの疑問に行商人の口元が僅かに動く。


「ハァ……看破されちまいましたか。あっしもまだまだです。確かに私物ですが……実を言うと、あっしもとっとと手放しちまいたいんですわァ」


「どういうことだ?」


「これ、あっしがここで買ったモンなんですよ。なんか上手い商売してるってんで来たんですが……信仰心を逆手に取ってるとはナイスビジネスだなァと感心しちまいました。あっしも早速一枚買ってみたんですが、その日の夜からどーも寒気が取れねんです。もう嫌で嫌で……ですから、曰くつきの一品を求めてる方がいるなら、安くお譲りしようかと。ただ、建前上『本物』としては売れんのです」


「そういうことか……」


 ユウリは何かを理解したかのように何度も頷いている。行商人は不敵な笑みを絶やさずにレイドたちの足元に視線を向けていた。


「これ、買わせてください」


「イヒヒ……毎度ォ!」


 400Rを支払い、免罪符を一枚交換。しかし、行商人は金のことなど二の次と言った様子だった。彼は免罪符を手渡すと、「肩の凝りが取れた」と言い、嬉々として別の商品の呼び込みを始める。数秒後には客が群がって来た。


「離れよっか」


「買ってよかったのか? アイツのこと胡散臭いって言っていただろ」


「まぁね。でもこれ、つまり本物なんでしょ? ちょっと気になることがあるんだ」


 ユウリにとってはかなり大きな手ごたえがあったようだ。レイドには何も分からない。ただインクがかすれた紙切れ。これに救われる人とは、本当に神の祝福を受けているのだろうか。


「こちらは有力情報なしです」


「俺たちは免罪符を手に入れた。現場にもあったが、血だらけだっただろう? だから綺麗な状態のものを買ったんだが……」


 ユウリがルリカに免罪符を見せると、ルリカは黙って紙を凝視した。


「ルリカ?」


「あっ……ごめんなさい。大聖堂の方に向かいましょうか」


 ユウリの呼びかけでルリカは我に返った。すぐさま踵を返すと、足早に二人から離れていく。途中行商人の樽に足を引っかけてしまったりと落ち着かない様子だ。

 レイドはユウリと顔を見合わせ、小走りで神官の背を追うのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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