第9話 盲信者
グリマーベリー大聖堂。左右、そして奥にあるステンドグラスの意匠は、教典の一場面を切り取ったものだ。ルリカは大聖堂に入るなりステンドグラスを見上げた。
何か考えに耽っているルリカのことなどつゆ知らずに、一人の神官が声をかける。
「ルリカ。戻ったか。ん? そっちの人たちは? お前が誰かと一緒だなんて珍しいじゃないか」
神官の男は訝しむようにレイドたちに目を遣った。
「お疲れ様です。こちらの方々は護衛です。事件には干渉しないように指示を出しています。調査係を狙うような犯人でしたら大変ですし」
「へぇ……ま、わかったよ。ところで、今回のはどうだった?」
依然といて眉をひそめていた男だったが、すぐに本題に切り込んだ。
「今回の事件の被害者は神官です。レスリー様です」
「えっ、マジか。まぁ神官の被害もこれが初めてじゃないしな。流石にもう驚かないぞ」
「状況は前回の事件と酷似していました。そういえば、貴方は前回の現場担当でしたよね? 前回の被害者について教えていただけませんか?」
彼は最初にルリカに事件の発生を教えてくれた神官だった。自分より高位の神官の訃報を聞いたというのに、どこか軽い感じがする。
「え? 資料読んでないのか?」
「資料に書いていないことで、何か他に思い当たることはないですか? 今思えば……というもので構いませんから」
資料があるのならば、レイドも一目通してみたい。今のところ、過去の事件含めて情報収集が手探り状態なのだ。
「そうだなぁ、前回の被害者は富裕層の爺さんだったな。確かちょっと前に奥さんを水難事故か何かで亡くしてんだ。んで、だいぶ参ってた中、事件が起きたって感じだな」
「今回は神官で、前回は富裕層……そして、私の記憶が正しければ、その前は貧窮家庭の女性でしたね。借金がすごかったそうですが……」
金品も盗まれず、被害者にも共通点がない。
「手口も同じだし、同一犯だろうよ。ま、細かいことが気になるなら大聖堂の閉架にある資料読んでくれ。ルリカも調査報告は書いとけよ」
神官の男性は大きなあくびをして去って行った。この街で多数の人間の命が奪われていることに対して、それほど関心がないように見受けられた。
「なーんか感じ悪……被害に遭った人のことどうでもいいとか思ってそう」
などと言って、ユウリは悪態をつく。恐らく彼女から見た聖槌教会の不信度は相当高まっているに違いない。
今回の被害者は神官であった。遺体を確認した際、ルリカでさえかなりのショックを受けていた。それに比べて今の神官の反応は淡白なものだった。
「確かに、もう少し驚いてもいいかもな。なぁ、レスリー様ってどんな人だったんだ?」
「あの方は……信心深く皆に平等……いえ、自分にだけ不平等を強いる方でした。自分の持つ者が他人の役に立つのなら惜しみなく擲つような。助祭でありながらも人々からの信頼が厚く……」
レスリーという神官は、教会内外を問わず、街の人気者であったそうだ。その尊い命が、無慈悲にも失われてしまった。こう聞くとレイドでさえも神の存在を疑いたくなってくる。
ひとつずつ思い出すようにルリカの懐古を聞いていると、ルリカの表情も次第に和らいでいくように見えた。
「私も、多くのことを学ばせていただきました」
「……その人、自分の未来について何か言ってた?」
それまで口を噤んでいたユウリが、会話を遮るように投げかけた。特に邪魔をする意図は感じられず、自然と衝いて出た様子だ。
「はぁ? そうですね。将来的に自分自身の資財で孤児院を経営したいとおっしゃっていました。戦争で行き場を失った子供たちが大勢いますから。ですが……その資金もすべて免罪符に吸い取られ、本来は孤児院に回そうとしていたお金が全て教会に徴収されてしまったのです……許せません。子供を救うためのお金が、教会の私腹を肥やすような汚い銭に成り下がるような札など……!」
ルリカは声を震わせ、手を強く握った。相当怒りが滲んでいるのがひしひしと伝わってくる。
「なんだか……やるせないな。何なんだ、免罪符って……。人一人を破綻させるレベルの劇物なのか……?」
「そんなの、あんまりだよ。だって、こんな形で死ぬなんて本人も思ってなかっただろうし。最期に、何考えてたんだろう」
ユウリはステンドグラスを見上げた。迫る大波と、雲間から大地に突き刺す雷霆から人々が逃げまどう場面が表されている。
ユウリの顔にステンドグラスから射しこむ光が当たる。とりどりの色が混じった陽光を受け、聖母のような慈愛と哀憫で満ちていた。これほど穏やかなユウリの顔も、中々お目にかかれない。
「犯人は必ず、捕まえます。未来ある子供たちを守るためにも」
ユウリの言葉を受けたルリカは、宣誓とも決心とも取れない静かな呟きを発した。ただ一つ確かなのは、小さな声の中に確かな力強さがあったことだ。
「ルリカ?」
どこか神聖な空間に水を差すかの如く、柱の陰から一人の老人が現れた。しわがれた声ではあるが、優しさと荘厳さを感じさせる。薄く開かれた目は妖しく翠に揺れている。
「きゃぁっ!? し、司祭様!?」
「ああ、驚かせてすまないな」
レイドたちに近付くにつれ、人物の顔を明瞭に捉えることができた。深い皺が幾つも刻まれた肌に、口を完全に覆い隠す白髭を蓄えている。一方で頭皮の方は荒野と化していた。
「司祭……だと!?」
最初にこの街に来た時、彼の姿は遠目からでしか確認できなかった。長椅子よりも脚一本分ほど高い教壇に立っていたからか、実際に近くで見ると随分と親しみやすいご老体だ。日陰に出てくると、目も黒くなた。
しかし、レイドは素直に笑顔で挨拶することができなかった。ユウリも思わず身構えてしまったようで、レイドにこっそりと耳打ちしてきた。
「ねぇ、この人いつからいた?」
「俺にもさっぱりだ。剣士たるもの、人の気配は気付けるものなのだが……」
やはり高位の聖職者というだけあり、常人には感じ取れないオーラでも纏っているのかもしれない。
「あの、どうしてこちらに?」
「なに、娘が思い悩んでいるように思ったのだよ」
「流石、お見通しですね」
「ちょっ、ちょっと待って。あなたたち、親子なの?」
不意に飛び出した『娘』というワードに対する、ユウリのスルースキルはなかったようだ。かくいうレイドも状況が違えば真っ先に尋ねていたであろう。
「おや、こちらの方々は?」
「護衛です。捜査中に襲われたらたまりませんから」
「そうかい。年も近そうで仲良くしてやってくださいな」
そこにいる魔法使いとの険悪な関係をさっさとどうにかしてほしいとレイドは願っている。
「申し遅れました。儂はハルトリス。この大聖堂を護る司祭です」
ハルトリスは至って落ち着いた口調で恭しく頭を下げた。頭頂部にステンドグラスの光が反射する。
「ルリカは儂の娘なのです。比喩的な意味ではありません。かつて大聖堂前に捨てられていた赤子を儂が広い、皆で世話をしたのです」
「司祭様、その……あまり私の身の上は……」
「あっと。これは申し訳ない。今の話は聞いてないことにしておくれ。やれやれ、儂もまだまだ精進が足りんなぁ。まぁ、よろしく頼みます。では」
司祭は半歩ずつくらいの歩幅でゆっくりと下がっていった。遅く、ゆったりとしているが、一歩一歩がしっかりと大地を踏みしめており、老年の余裕を感じる。
「聞かなかったってことには……」
「まぁ、できないよな。だが、本人が触れられたくないなら俺達も胸の中にしまっておこう」
「うん。そうしよう」
ユウリがルリカを見る時の表情から、少し血が引いたように思える。一見変わらないようにも思えるが、きっと彼女なりに思うところがあるのだろう。
ルリカは本当の親を知らない。レイドも半分似た境遇だが、周囲からあることないこと言われるのは珍しいことではない。司祭の発言はデリカシーに欠けると、漠然とした感想を抱いた。
「ルリカ、さっき言っていた資料とやらに、もう一度目を通してみるのもいいんじゃないか?」
「わたしも見てみたいかも」
「……構いません。おそらく書庫にあるでしょう。ですが、かなり迷いやすいので気を付けてください」
書庫を目指して大聖堂の白黒のタイルを歩いて行く。脇道に逸れ、似たようなアーチ状の扉が幾つも連なる中、ルリカが歩くたび大聖堂の中に寂しげな足音が反響する。迷うことなく、一点を目指して進んでいった。
「思ったんだけど、ついでに紋章のこととか調べられないかな?」
「俺も同じことを考えていた。だが、これが片付いてからでもいいだろう。疑いが晴れれば、俺たちの話を真面目に取り合ってもらえるだろうしな」
教会の書庫は相当な大きさを誇るそうだ。聖槌教会に関する記述のある写本をあちこちから取り入れており、未だ厳重に保管されている。
いよいよ、ルリカの足が止まった。つられてレイドたちも足を止める。
「こちらです」
ルリカが古めかしい木の扉を開くと、中から暗闇が現れた。ランプを少し入れてみると、そこにはどこまでも続く螺旋階段があった。
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