第6話 篤信者
グリマーベリーは大聖堂を中心に円形に街が構成されており、外側に一般人、内側に神官、その間に富裕層が住んでいる。
神官居住区の一角。神官のルリカに連れられ、レイドたちはそこへやって来ていた。神の加護を受けし街にあるまじき気味悪さを醸し出しているのはなぜだろうか。
特に近づくのも躊躇われるほど負の雰囲気を纏っている建物が一棟、そこにあった。
「ここの地下室です」
ルリカはあらかじめ持ってきていたランプに火を灯すと、薄暗い家屋の中に入った。レイドたちも後を追う。
家屋の中は生活感があった。テーブルの上には飲みかけのコップ。皿にもパンが乗っている。そして長方形の紙切れが一枚。木版で刷られた何かだ。特に争った形跡などはないほど、清潔で静寂に包まれている。
ダイニングを素通りし、キッチンの床についた金具を引っ張ると、下層に続く階段が現れた。
「深いし、真っ暗だね」
「行きましょう」
ルリカは迷いなく階段を下りていく。ランプの仄暗い明りだけでは心もとないが、これだけを頼りにしなくてはならない。
「レイド、足元気をつけてね」
「ユウリも注意してくれ。案外急だぞこれ」
「あと5段下れば地面です」
ようやく床に両足を置いた一同。ルリカは正面にランプを掲げ、前に進み始めた。密閉された地下室に、3人の足音が響く。
ルリカのランプが、白い紙切れを捉えた。拾い上げてみると、強く握られたのか変形している。
「これは……免罪符ですか……」
「へぇ……これがそうなんだ」
紙を裏返してみたところ、文字が書かれていた。しかし、ほとんどが赤く塗りつぶされていて判読できない。
「何かついてないか? 赤いシミ? いや、これはまさか……」
免罪符の落ちていた場所から延びている赤い線を辿る。そしてレイドの目に映ったのは、白い壁と、その壁を染め上げる真っ赤な文字だった。
文字は壁に定着せず、細い線が地面に垂れている。ただのペンキではない。この色は人工的に作られたと言うにはあまりにも生々しい。
「これってまさか……」
「うん。人間の血だよ」
ユウリの口からそう告げられた瞬間、視界に飛び込むように、それは姿を現した。
力なく俯いた顔から、白目を向くように前を捉える眼球。レイドは生気を失った目と自分の目が合った。
「し、死体……!?」
「まさか……レスリー様!?」
何者かの名前を叫んだルリカは相当動揺しているようだった。双眸を際限なく収縮させ、息が次第に上がる。
「知り合い?」
「は、はい。レスリー様は……大聖堂の司祭です……」
遺体の周囲に殴り書きされた血文字の隙間を埋めるかのように、二つの角を持った何かを象った紋章が幾つも敷き詰められていた。
「この紋章! わたしとレイドが探してるのと同じだ!」
「レイドさんの剣のものとは細かい意匠が異なりますが、ぱっと見ただけでは瓜二つです」
「でも誰がこんなことをやったんだ?」
「私もそれが知りたいのです。これと非常に酷似した殺人事件が、もう既にこの街で幾度となく起こっています。……神官の被害者は10人目です」
ルリカはレイドたちの方に向き直った。目には懐疑心を宿している。疑われるのは仕方のないことだが、全く持っての冤罪だ。
「待て。俺たちがこの街に来たのは今日だ。嘘だと思うのなら常霧の樹海で起きた事件の報告書を調べてくれ」
「私だって疑いたくはありません。自分たちのシンボルマークを残す殺人犯が、わざわざ神官に話を聞きにくるはずがないですからね。ですが、疑わざるを得ないのです。もしやあなた方が、ある暗殺組織の一員で、偵察も兼ねてやって来た、という推論ができなくはないですから。犯人と断定はしませんが、重要な参考人です」
ランプの炎が弱弱しく揺れている。それに呼応するように、ルリカの肩が上下する。ルリカは考えを変えるつもりはないようだ。
「ねぇ、この文字、なんて書いてるの?」
「……これは古い教典にも使われている文字で書かれた言葉ですが、『神に代わって救いを与える』と何度も書かれています。神の代行者を名乗る不届き者を、野放しにはできません!」
「なるほどねぇ」
ユウリは遺体の近くに寄った。ユウリが見上げるほどの位置に頭があり、足が浮いている。遺体は胸を一突きにされており、そこから溢れた血液で壁に文字が書かれたようだ。
「これ、人間の仕業じゃないかも」
「はぁ!? 何を言い出すかと思えば、人間がやったのではないと言うのですか? じゃあ誰がやったと言うのですか? エルフですか? それともドワーフですか? 狡猾で残忍と言われている魔女だとでも言うのですか?」
「どれも外れ。見て、この遺体、足が地面からかなり高い位置にあるよね? わたしたちが犯人だったとしても、こんな高い位置に人を磔になんてできない」
確かに、仮に台があったとしても、この暗闇の中で乗るのは気が進まない。地面から浮かべるだけならば、わざわざ台に乗るリスクを冒す必要などない。
「それに、壁の文字、おんなじ言葉の羅列ばっか。レイド、樹海で会った幽霊、覚えてるよね?」
「ずっと『殺す』と『斬る』を繰り返してたな。なぁユウリ、ここで幽霊の仕業って言うのは――」
レイドの中には、この地に訪れるよりも前からある懸念があった。それが今、最悪の形で現れようとしている。
ユウリはレイドの言葉を遮って意気揚々と続けた。
「幽霊になってから長い時間が経ってると、同じことしか言わなくなるんだ。例外もあるけどね。だからね、ルリカ。これは幽霊の仕業だよ」
ユウリは自身らの疑いを完全に晴らすことができたと信じているようだった。しかし、レイドにはこの後の展開が読める。聖槌教会の教えに照らし合わせれば、修羅場を避けることはもうできない。
勝ち誇ったかのようにユウリが断言した直後、ルリカが声を荒げた。
「『幽霊』!? 益々聞いて呆れますね……そんなものの実在を信じるなんて異端ですよ異端。殺人と同等の重罪です。宗教裁判に突き出せば、グリマーベリー大聖堂の高位の神官の皆様から神に代わって裁きを受けることになります。今ならまだ間にい合いますから、まともなことおっしゃってください」
やっぱりこうなってしまったかとレイドは頭を抱える。ルリカの熱弁は止まらない。
「我らが聖槌教会の教えの中では死者の魂は『等しく天の園に昇る』と記されています」
ルリカはひとしきり言い切ると、鼻息荒めに肩を上下させた。ユウリはぽかんとしている。確かにこれだけまくし立てられれば茫然としてしまうのも無理はない。あるものをないと主張されても、おいそれとは受け入れられない。
「でもわたしたち、霊狩りだよ? 幽霊を狩るのを生業にしてるの」
「幽霊を……狩る? ご自身の罪から目を背けようとそのような戯言まで……全く、幽霊を信じる方がいるなんて、世も末ですね」
この一言を聞いた瞬間、震えを抑えていたユウリが遂にルリカに噛みついたのだ。掴みかかる勢いを止められず、レイドは手どころか口を挟む余裕さえなかった。
「……わたしたち、まともだから。幽霊はいるし! わたしたち真面目に霊狩りやってるし!」
「いいえ! 幽霊なんて存在しません。全ての魂は神の手によって等しく天の園に導かれて幸せに暮らすというのに、貴方がたと来たら、死んだ者の霊魂が園下に縛り付けられ害を成す可能性があると宣って……。貴方がた所業及び思想など我々聖槌教会からすれば言語道断の大罪です! いいですか? 人が亡くなっているのです。それを……幽霊の仕業などという馬鹿げた理屈で茶化さないでください!」
ルリカの言葉を聞いたユウリ。次はどう言い返すのかとレイドが思っていると、想像のはるか上を行く剣幕を見せた。目を大きく見開き、絶叫にも等しい怒鳴り声をあげた。
「茶化してなんかない! 見たこと無いからいないとか言ってんの!? だったらルリカは神サマ見たことあんの? ないでしょ! 自分の信じてるものだけいるって言って、そうじゃないものは異端!? ふざけんなよ!」
レイドもこの目で見なければ、幽霊などいないと断じていたであろう。普通の人間の感覚であれば、ルリカのように思うのは当然だ。一体何が、ここまでユウリを昂らせたのだろうか。単なる否定だけではなく、罵倒も入ったからであろうか。しかし、ユウリはその程度で声を荒げて反論しようとする人間ではないはずだ。
しかしながら、ルリカの方も様子がおかしい。幽霊がいるということを主張するのは確かに異端だが、元々ユウリが聖槌教会の信徒ではないということは分かっている筈だ。それにもかかわらず、この反応は過剰すぎる。
「み、見たことはなくとも、神の存在は教典ではっきりと書かれています」
それ以上言い返せなくなったユウリとルリカが無言で睨み合う。レイドは霊狩りとして、また、ルリカほど敬虔ではないにしろ、聖槌教会の一員として間に割って入った。
「二人とも一旦落ち着いてくれ。幽霊の仕業かどうか確かめるためにも、一緒に調査しないか? というか、俺たちの仕業じゃないってことを俺たちの手で証明させてくれ。そしたら疑いも晴れるだろ? 俺たちもこの紋章を追うのを冤罪で打ち切られるのは嫌なんだ。自分にかけられた疑惑は自分で晴らす」
「そういうことなら……わかりました。ですが、その気になれば異端審問官に突き出しますよ。はぁ……久々にホンモノに会ってしまったようですね……」
「ホン……!?」
「よせユウリ」
今にもルリカに掴みかかりそうな勢いのユウリを羽交い絞めにして抑え込む。常に人の裏側を覗き込むかのような語り口のユウリが、ここまで表層の感情をむき出しにするのはやはり異様だ。
「……ちぇ。しょうがないな。レイドの言う通りにするよ」
何とかその場を抑えたが、ユウリとルリカの間に走った深い亀裂を修復することは困難だろう。
ふと、視線を感じたレイド。気配の方に目を向けると、空しくなった骸の眼球がこちらをジッと見つめていた。
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