第23話 工場
昼下がりの工場地帯は澱んだ黒煙が地面に満ちていた。昼間からガスマスクを着用し、盗人のような風貌のレイドとミーナ。工場の裏に怪しげな影が二つ。ユウリとルリカには先に帰ってもらった。
レイドが工場の中の様子が気になるといったところ、ミーナがこっそりと侵入する案を出してくれたのだ。そしてレイドはそれに乗った。
「いいかい? あの窓から工場の中に侵入して中を覗く。それだけだよ」
「これやってること泥棒と同じじゃないか?」
「何も盗らないなら泥棒にはならないさ。じゃ、行こうか」
ミーナは懐からグラップリングガンを取り出すと、工場の階上にある半開きの窓目掛けて放った。見事に窓の縁に爪が食い込み、レイドはミーナの体にしがみついて共に引き上げられていく。
窓の中に入る前から漏れていた機械の稼働音が、中に入るとより一層大きく耳を劈いた。今聞いているだけでも心臓から全身に響き渡り、耳を塞ぎたくなるような轟音だ。一日中聞いていれば気が変になるだろう。
ミーナと共に、工場の天井裏に忍び込み、隙間から階下の様子を確認する。機械は重苦しい蒸気機関。更には耳を劈く轟音。こんなところに一日中いれば聴力が狂うこと待ったなしだ。そして何を生産しているのかはわからない。
「見えるかい? あの子」
ミーナの指さす方向には、子どもの労働者がいた。まだ年齢は一桁だと推定されるが、手際良く機械を動かしている。一歩間違えれば命を落とすような大惨事にもなりかねない。他にも、いかにも体力がなさそうな男性や女性も働いていた。それでも子どもがいること以上の衝撃はない。
「あんなに小さいのに、働いてるのか? 親の手伝い……のようには見えないな」
「あの子はね、戦争で親を亡くしたんだよ。それで借金を返すためにここで働いてるんだ」
子どもが働かなくてもよい国にしていかなければならない、と思うのは綺麗事だろうか。少年を見つめるミーナの声は震えている。
この工場の機械は素人が見ても危険だと察知できるほど、騒々しい気配を放っている。しかし、あれだけの数の幽霊が出るとなると、その全てが事故死だとも考えづらい。
そう考えていると、レイドが観察していた男性が、何の前触れもなくその場に頭から倒れた。ピクリとも動かない。もしや死んでしまったのかと息を飲む。他の労働者も男性の様子を伺っていると、工場の入り口の扉が開く音と共に、怒号が飛んできた。
「おい! 何やってんだ! サボってないで働け!」
散り散りになっていく労働者の中に一人残った子供。彼だけは倒れた男性から離れようとしない。少年が対峙するのは小太りの中年。少しいい格好をしていて、一瞬でここを支配している人間だとわかる。
「で、でも、おっちゃんが!」
「口答えすんな!」
工場長が子どもの頬を一切の手加減もせずに殴り飛ばす。
「貴様、次この俺に歯向かったら機械にぶち込むからな。お前らの代わりはいくらでもいんだよ! ブッ壊れるまで体に鞭打って俺のために働け。おい、テメェもいつまで寝てんだ」
工場長は持っていた杖で何度か倒れたまま動かない男性をつついた。何度か呻く声がしたのを確認すると、弄ぶように男性の体を転がす。
「まだ生きてるならとっとと立て。死ぬまで働け」
中々に酷い人間だ。あの腹についた贅肉は、苦労を知らない証と言っても差し支えないだろう。
ミーナが息を荒立てる。肩を激しく上下させていた。怒りに震えているというよりかは、発作のようなものが起きているといった様子だ。
「はぁ……はぁ……」
「どうした?」
「あ、い、いや、平気だよ」
「ここの労働環境はずっとこんな調子なのか? 確かにありゃ死人も出るな。働きすぎで死ぬなんて俺は生まれてこの方聞いたことないぞ」
「……そうだね。でも、これが現実なんだ。あの工場長が幽霊たちに殺されないのが不思議なくらいなんだけどね……って霊狩りがこんなことを言ってはいけないね」
これでは幽霊を斃しても、また新しい幽霊が生まれてしまう負のサイクルなのではないだろうか。そうであるのならば、今レイドたちがやろうとしていることには何の意味があるのか。
「工場がなくなれば、幽霊はいなくなるかもね」
ミーナの顔から陽光が外れた。うっすらと陰を落とし、その顔は何か暗い覚悟を決めたような様子であった。
その日の夜、レイドは中々寝付けずにいた。どうも気持ちがざわめいていて、眠ることに専念できない。部屋の小窓から見える外景は、うっすらと煙がかかっていた。
ユウリと同じ布団で寝た日以降、流石に緊張で眠れないのでソファで寝ていたレイドは、水を一杯口に含もうと立ち上がると、ベッドの中から声が聞こえた。
「……レイド?」
「起こしたか。悪いな」
「寝れないの? あ、また子守歌歌ってあげる!」
「いや、何というか、嫌な予感がするんだ。……隣の部屋に行ってもいいか?」
ユウリを連れ、ミーナとルリカが寝ている部屋の扉を叩いた。
「寝てるんじゃない?」
「頼む……出てくれ」
次第にノックの勢いを強めていく。廊下全体に音が響き渡るようになった時、扉が軋みながらほんの僅かに開いた。
「……こんな夜更けにどうしたんですか?」
「ルリカ、ミーナいないか?」
「ミーナさん? ……ちょっと待ってくださいね。……い、いないです。どうしましょう私が気付けなかったばかりに」
「ルリカは悪くない。ミーナの居場所については心当たりがあるんだ。ついて来てくれ」
眠っているアドマイヤを必死にゆするも、彼は微かに寝息を立てるだけで起きる気配が無かった。時間が惜しい余りアドマイヤは放置してリビングを抜け出し、深夜の街にランプ一つで繰り出した。
月の明かりも薄雲に遮られている中、一行はレイドを先頭に工場を目指す。レイドは既に腰の剣に手を置いていた。いつでも引き抜けるように。
「うっ……気分悪いかも」
「視界は狭まってしまいますが、ガスマスクしましょう」
工場に近付くにつれて、次第に霧が濃くなる。幽霊も大量にいるのだろう。やがて周辺はすっかりと濃霧に包まれた。これを吸った時の影響は計り知れない。
「ここが工場地区だ。幽霊だらけだな」
「ミーナ……どこ?」
工場地区と一口に言っても、その広さは見渡す限りというほどある。だが、レイドには明確な心当たりがあった。
「今日の昼間見に行った棟にいる気がする」
脇目もふらずに走り出すレイド。それを追いかけるユウリとルリカ。
レイドは行く手を阻む幽霊を一心不乱に斬り続けた。背後から「待って」と静止を呼び掛けられるが、聞き入れることはできない。
やがて、霧の中に人影を認めたレイドはガスマスクを外して大声で叫んだ。周囲にはわらわらと幽霊が寄り、腕から白いガスを放つ。
「ミーナ!」
「ちょっ! ……マスク取ったらやばいって! もう!」
ユウリが杖を取り、魔法で幽霊と霧を薙ぎ払った。晴れた霧の隙間から、倒れた人影が見えた。短い髪にキャスケット帽。間違いない、ミーナだ。
レイドはすぐさま彼女の傍へと駆け寄り、彼女の腕を自身の肩に回した。
「ミーナ、しっかりしてくれ! ルリカ、祝詞じゃよくならないのか?」
「悪夢を払う祝詞は扱えないのです……。申し訳ございません」
「クソッ……工場の扉が開いてる……? まさかミーナが壊したのか?」
「とにかく今は、この場からの退避を優先しましょう!」
ミーナをおぶって、一同はその場から逃げ出した。ギルドまで駆け抜ける最中、レイドの耳元では呪詛めいた寝言が絶え間なく囁かれ続けていた。
「ぐっ……モロに吸ったせいで意識が……」
レイドの頭に響き渡る声は、どれもレイドを絶望の淵へと叩き落さんとする憎悪に満ちていた。レイドは頭を振って必死に振り切り、ただギルドに戻ることだけを考えて走り続けた。
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