第22話 歌姫
ユウリに腹を蹴られて目覚めたレイド。直後に地上からけたたましい声が聞こえてきた。部屋の換気窓に耳を近づけると、声が一層明瞭に聞こえる。
「おはよう! 我が愛しの臣民たち! 今日も太陽が昇った! 充実した一日を過ごしてくれたまえ!」
やたらとハキハキした声且つ、尊大な態度が透けて見えるが、これは誰の声なのだろうか。それにしても、地下にいても聞こえるほど大きな声を出せる人間は見たことがない。
「うーん……レイド、おはよぉ」
「ユウリ起きたか」
「うん。よく寝れたぁ」
ユウリは何度目を擦っても、半開きの状態を維持していた。レイドが何か話しかけても、ギリギリ会話として成立するくらいのことしか話さない。実は、毎朝こんな調子なのだが、レイドはすっかり慣れてしまった。
昨晩のことを受けてよくまぁ図太くもに眠っていられるものだと感心していると、ちょうど、部屋をノックする音が聞こえた。声の主はミーナのようだ。
「おはよう。二人とも起きたかな? せっかくこの街に来たんだし、午前中は街を案内しようかと思うんだ。昼間に私たちができることは限られているからね」
「おはよう。ルリカは起きたか?」
「ああ。昨日の夜は魘されていたけれど、今は元気だよ。朝食をとっているんだ。早く顔を見せてやってくれないかな?」
身支度を済ませ、エントランスに向かうと、ソファに座ったルリカがパンを頬張っていた。口元に食べカスが付いていたが、指摘するよりも先に嬉々として二人に抱き着いた。
「あぁ……っ! よかったです、ご無事で……」
「それはこっちのセリフだよ! ルリカ全然起きないんだもん」
「申し訳ございません。それからミーナさんたちもありがとうございました。助けていただきありがとうございました。他に何と申し上げればいいのか……」
ミーナは照れくさそうに頭の後ろを掻いた。「気にしないでくれたまえ」とでも涼しげな顔で言いそうだが、案外お礼を言われると素直に照れてしまうようだ。一方のアドマイヤは朝からテーブルに足をのせてぶっきらぼうなしかめっ面で煙草をふかしている。
「ちょっと提督! 朝っぱらから煙草はよしてくださいよ。せめてお客さんいる時くらいは……」
「んなモン俺の勝手だろ。それはそうと、そいつらに例のもの渡しておけ」
アドマイヤからの指摘で何かを思い出したミーナは近くの戸棚から三つの仮面を取り出した。口元に管のようなものが付いており、目と鼻も覆われている。
「これは?」
「ガスマスクだよ。これをしておけば、幽霊の煙を吸うことはなくなるんだ。視認性もある程度は保障するさ」
よく見るとミーナとアドマイヤの首にもマスクがかかっている。昨日煙の中からミーナがレイドたちを救出できたのはこのマスクのおかげだろう。詳しい使用方法はまだ教えてはもらえないようだが、探索の一助となるのは確かだ。
レイドも二人を真似、首から下げておいた。ギルドの一員となったようで、無性に心が踊る。
街へ繰り出すと、夜とは打って変わって活気のある様子がありありと伝わってきた。巨大な商船の汽笛も高らかに鳴り響く。グリマーベリーとは全く異なる市民の営みが繰り広げられている。
しかし、道ですれ違う人々の顔は、どこか憂いを帯びている。戦争が終わって間もない、先行きの不透明な時代を乗り越えられるのか不安なのだろうか。その気持ちはレイドにもよくわかる。
「毎日こんな感じなんですか?」
「そうだね。特にここ最近は顕著なんだ」
「そうなんですね」
「ま、全部アイツらのせいだよ」
ミーナは遠くに並び立つ煙突の群れを睨みつけた。黒煙がもくもくと立ち上る光景は、雨雲を作っているかのようだ。
「昔は工業なんてもの、存在しなかったんだよ。でも、千夜戦争が終わった後から、雨後の筍のようにあの煙突が生えてきたのさ」
「あの煙、もしも吸い込んだらヤバそう……」
「その通りだよ。肺疾患、心臓疾患、気管支疾患……色々とあるらしいけど、現王も死者数の隠蔽に走ってるんだ。で、工場の中も中々に酷い。これは私と提督の見立てだけど、昨日君たちが遭遇した幽霊は、元々工場の労働者だったんじゃないか思ってるんだ」
労働者の幽霊とは中々珍しい。工場内に充満するガスを吸いこんだことが原因で亡くなった人々が恨みを向けるとすれば、それは工場だろうか、それとも国だろうか。しかし、労働環境が改善されない限り、似たような幽霊が生まれ続けるという事象自体がレイドには不気味に思われた。
それはユウリも同じだったようで、彼女はこれまでの旅で得た知見を混ぜながらミーナに尋ねた。
「でも、これまでわたしたちが出会ってきた幽霊ってほとんどが一人だったような……」
「人それぞれ、恨みは違うから、違った形の幽霊になることが多いのは事実だよ。でも、これまでも集団で一気に死んで同じ恨みを持つ幽霊が生まれたことが無い訳じゃない」
似た環境でほとんど同時に死亡し、同じような恨みを持つに至る可能性。レイドの中には一つの答えが浮かぶ。
「戦死……」
「ご名答だよ、レイドくん。ただ、戦争は滅多に起きるものじゃない。でも、労働はし続ける必要があるんだ。終わりなくね。だけど戦争と違って、労働は私たちの力でも環境を変えられるかもしれないんだ」
ミーナが見上げた先にあったのは、ごく普通の酒場。昼間なので酒は提供されていない。なるほど、情報屋のミーナにとっては、全ての戦いが情報戦に置き換わっているのだろう。
「私の目下の目標は王族とコンタクトを取ることなんだ。王子様は現王と違って労働者の保護を訴えているからね。私の持つすべての情報を渡して、少しでも助けになりたい」
それがミーナなりの打開策のようだ。毎日のように労働者の幽霊を相手にしているのであれば、終わりがないというのは地獄そのものだろう。
酒場の中は船乗りと工場勤務の労働者が大半を占めていた。数は少ないが、レイドたちのような旅人も何人かいる。ミーナに手招きされ、カウンター席に腰掛けるなり、彼女は四つ飲み物を注文した。
「おや? ミーナさん、そちらの方々は?」
酒場のマスターを馴染みの客が見慣れない連中を連れてきたことに驚いていた。レイドも『情報屋』というものは利用したことがあるが、彼らは一人で行動していることが殆どなので、ミーナが誰かと共にいるのは珍しいのかもしれない。
「私の仲間だよ。それよりマスター、『いつもの』お願いできるかい?」
「はいはい、これでいいかな?」
一枚の羊皮紙を差し出された。メニュー表のようにも見えるが『帳の裏を歩く星』『茜色の空の向こう』『雲と城』など本のタイトルか、洒落た酒の名にも見える文字が羅列されていた。
「何かの隠語ですか? 悪いことをしている気分です……」
ルリカは訝しげにメニュー表を睨みつけている。情報屋は決してクリーンな仕事ではないため、神聖な神官が疑うのは理解できる。
「アハハ! 私たちの世界じゃ当たり前のことだよ。中身は買ってからのお楽しみと……」
「余計に怪しいですね」
ルリカは一層怪しんでいるようだが、ミーナは構わず朗らかにマスターに『注文』していく。
「この『夜霧との邂逅』について頼めないかな?」
「最近そればかりですね。まぁいいでしょう。あなたは信用に値する。お値段は22000Rになります」
両目が飛び出しそうな金額だが、それほど価値のある情報だということだろうか。レイドでもこれほどの金額で情報を買おうと思ったことはない。
「うーん、持ち合わせがないなぁ。じゃあ、私が持っている情報と交換といこうじゃないか」
「いいですよ。その価値は情報を聞き入れてからになりますが」
「ンフフ……取引成立だね。じゃあ、ちょっと耳を貸してくれ」
ミーナはマスターにひそひそと耳打ちをした。最初は余裕そうな表情を浮かべていたマスターだが、次第に顔が青くなる。そして、話を聞き終えた直後に一言。
「それは本当ですか?」
「私が嘘をついたことがあるかい?」
「い、いえ、それは……」
「声が大きいよ。それで、私の話の価値はどれほどかな?」
「いや、それは10000Rでどうでしょう」
「ふーん。ちょっと安いな。でもいいか。じゃあ、次はとっておきのネタがあるんだけど……」
マスターとミーナのやり取りを見ていたレイドの服の裾を、ユウリが指先でつまんで引っ張った。気になるものを見つけた子供のように、視線は別の方向に向いている。
レイドも同じ方に視線を向けると、閑散としたステージがあった。楽器も何もなく、ただ台があるだけだ。
「昼間はステージは使用していないんですよ。夜は歌手や踊り子を呼んで公演していますが。時折吟遊詩人なんかも来られますよ」
いつの間にかミーナとの会話を終えていたマスターが説明をしてくれた。暫しの間ステージを見つけめていたユウリだったが、何か決心した様子でマスターに面と向かって告げた。
「わたし、あそこで歌ってもいいですか?」
「は、はぁ……ノーギャラでもよろしければ」
ユウリはスッと立ちあがると、引き寄せられるようにステージへと向かって行った。台の上に立つ彼女に、周囲の客の視線も集まる。それまで騒がしかった店内が一瞬にして静寂に包まれる。
「えーっと、ユウリって言います。マスターに許可を戴いたので、一曲歌います」
ユウリは目を閉じて息を吸うルーティンを行うと、独りでに音色を奏で始めた。聞けば聞くほど引き込まれ、いつまでも終わらないでほしいと願いたくなる。
酒場の客も飲食することを忘れ、ユウリの歌に聞き入っていた。
気付いた時には独唱が終わっており、ユウリは舞台上で頭を下げていた。万雷の拍手が巻き起こり、いつの間にか、店の外からユウリの歌声を聞きつけた人まで集まっていた。
「にへへ……こんなに拍手して貰えて幸せだなぁ。やっぱりレイドの言う通り、世界でも通用するのかな」
どうやらユウリは自分の歌声がどこまで通用するのかを試したかったようだ。それにしても、彼女の歌声には聞き入るだけではなく、歌い手と聞き手の感情がリンクするような、不思議な魅力がある。
舞台上には小銭やら金物やらが次々に投げ込まれた。ユウリは受け取れないといった様子だったが、もう誰が何を、どれほど投げ入れたのかわからなくなっていた。
そんなこんなで酒場から出る。ルリカは終始ユウリに教会の楽隊に入ってくれとスカウトされていた。そんな中、ミーナだけは心に引っかかりがあるような顔をしている。
「ミーナ? どうしたんだ?」
「いや、今回仕入れた情報と言うのがね、『夜霧の邂逅』……夜霧っていうのは例の幽霊たちのことだよ。夜になると街にスモークを発生させるからね。邂逅っていうのは、即ち彼らとの接触情報さ」
「あの幽霊の目撃情報だと? メニューの名前からある程度内容を察せるのか……」
「彼らは耳が聞こえないらしいんだ。恐らく、生前は毎日のように工場で働いていたせいで、機械の爆音に耳をやられたんだろうね」
「だが、もしも耳が聞こえないのなら、どうして一体に見つかるだけで何体にも見つかるんだ?」
「それが私も不思議なんだ。一体に見つかると、いつの間にか十、二十に増えていてね。それでも氷山の一角にすぎないというのが恐ろしいところなんだけどね」
似た性質を持つ幽霊同士で交信しているのか、また別の方法で人間の位置を特定しているのか、それは定かではない。どちらにせよ、単に囮を立てるだけでは、一網打尽にできるほどの幽霊を集めることはできないだろう。
「耳が聞こえないのですか……ですが、私は少し不思議に思ったことがあるんです」
ルリカが口を開く。どうやら最初に幽霊に襲われた時に、何か声が聞こえてきたようだ。レイドには何も聞こえなかったが、幽霊と対話できるルリカだからこそ聞き取れた何かのようだ。
「こう……意味のある文ではないのですが、幽霊が集まった時に、全員の声が重なったんです。同じことを言っていました。かなり恨めしいことを言っていたのですが、意識が朦朧としていて内容までは……」
「へぇ、それは興味深いね」
「言葉の意味よりも、声音の方が変化していくイメージでした。まるで調和しているような……」
なんとも不思議なこともあるものだ。レイドはルリカの言葉を頭の片隅に留めておきつつ、遠くにそびえ立つ煙突を見た。もくもくと立ち上る黒煙は、稼働している証だ。
「なぁ、昼間の工場ってどんな感じなんだ?」
「行ってみたいのかい? あまりお勧めはしないね。部外者は基本立ち入り禁止だし……ああ、でも一つだけ方法があった。あまり褒められたものじゃないけど、どうかな?」
ミーナの口から飛び出した提案は、驚くべきものであった。
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