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第2話 片道切符

 常霧(とこきり)の樹海。その名の通り、常時霧が発生していて滅多に晴れない森。樹海というだけあり、かなり広大な土地である。ここを抜けた先に何があるのかは誰も知らない。

 霧の水分でほぐされた土を踏むたび、靴が茶色く汚れていく。樹海に入って少し歩くと、鼻が萎むような強烈な異臭に見舞われた。ずっと嗅いでいると喉奥が酸っぱくなってくる。背後からは首筋を撫でる冷えた風が撫でつける。


「キッツイ臭いだな……鼻がひん曲がりそうだ……」


 周囲を見渡していた時、樹海の雑草が揺れた。咄嗟に剣を抜くレイド。茂みをキッと睨みつける。剣を体の前に懸命に突き出すが、持つ手は震えている。やがて、茂みから黒い影が飛び出してきた。


「うわっ!」


 地面に水風船が落ちるような音がする。思わず目を瞑ってしまっていたが、いつまで経っても体に痛みも衝撃も無い。ゆっくりと目を開くと、そこには半透明の球状の魔物。


「す、スライムか……ビビって損した……」


 肩透かしを食らった。全身の力が抜けて膝を折るレイド。


 スライムは基本的に大地から水分を吸い上げて活動しているので、人を襲ってくることはない。それでも、視界の悪い霧の中から突然目の前に飛び出してくれば、驚かない人間はいない。


「ああダメだダメだ! 切り替えろ! にしても気味悪いな。こりゃ、幽霊が出るなんて噂が出るのもわかるな……」


 しかしながら、歩けど歩けど、出てくるのは小型の魔物ばかり。人の形をした大型の魔物については、その痕跡さえ見つけられない。


「はぁ……歩き疲れたし、少し休むか」


 老いて朽ち、倒れた巨木に腰を掛ける。その樹木からまた小さな芽やコケが生えていた。


 レイドは一息つくと、腕に巻いた包帯を解き始めた。白い布をはがすたび、下側の布が赤みを帯びていく。これはすべて潰れたマメのせいだ。

 少しでも父親に近付きたくて、日々の鍛錬を欠かしたことはなかった。食事と睡眠以外の時間の全てを、剣の鍛錬に費やしているが、実力はあまり向上しない。


「親父までは程遠いな……あいたたた……」


 包帯を巻きなおしている間にも、スライムが寄って来る。倒木の上に乗せてやると、チウチウと倒木に沁み込んだ水を吸い始めた。

 指先でつついただけでスライムの全身がゼリーの如く右に左に震える。


「こんな見た目でも生きてるんだよな。お前もあの戦争のことは何もわからないよな。俺も物心つく前だったし」


 言葉が通じることのない軟体生物は、満足したのかその場から去っていった。後ろ姿を目で追うと、スライムが通り過ぎた樹木が目に付いた。


「傷か? 魔物が爪とぎした痕ってわけでもなさそうだな」


 その横の樹木は、なんと幹の中腹から上がバッサリと切り落とされていた。どう考えても人為的に斬られた痕跡だ。水分を大量に含むここの木は、伐採して利用するほどの価値もない。


「な、なんなんだよこれ」


 さらに見回すと、今度は焦げ跡のようなものを発見した。この湿り気の中、水分を含んだ樹皮を焼けるのは相当な大火か、極めて強力な魔法のどちらかだ。


「誰かが意図を持ってやってるのは間違いないな。でも、肝心の意図がわからない……」


 少しだけ焦げ目に触れた瞬間、木の上から草をかき分ける音がした。レイドが見上げたのも束の間、黒い影が天上からさした。

 重力に任せるがままに地面に何かが落下したのを察知したレイドは、咄嗟に身を引いた。本能が激しく警鐘を鳴らしている。見たらいけないと。しかし、退けないレイドはソレから目を背けずに向き合った。


 刹那、言葉を失った。すっかり生気を失った顔が、こちらを睨みつけていた。肌は青白くなり、作り物のような皮膚へと変貌している。だらしなく口と目を開いているが、虚空を覗く目は、どうしてか恨めしそうにしているように見える。


「信じられない……誰がこんなことを……」


 纏っているのはレイドと同じ軽装備だが、肩から脇腹に掛けて思い切り抉られていた。胸を守る鎧が意味を成していない。


「おい! 大丈夫か!?」


 大丈夫なわけがない、既に息絶えているに決まっていると解りながらも、レイドは亡骸を揺すった。


「狂気的だ……斬った上に木の上に乗せるなんて」


 目の前の遺体は手に剣を握ったままになっている。真っ向から応戦した相手に斬られたのだろう。

 これだけ正確に急所へと一撃を叩き込める存在。魔物の仕業とは考えにくい。人為的な傷害としか思えないありさまだ。


「他の地域から迷い込んだ魔物か? もしくは人の仕業……じゃあどうして木の上にいたんだ?」


 考えれば考えるほど疑問が浮かぶ。しかし、歩みを止める訳にはいかない。加えて、臭いも強くなっている。今こうして触れ合ったことで分かったが、この臭いの正体は死臭だ。

 幼い頃は常に自分の隣に漂っていた臭い。一歩間違えれば自分もこうなっていたかもしれない。

 一層気を引き締め、レイドは剣を持つ力を強めた。包帯で巻かれた掌が、脈打つように痛む。


 臭いは段々と酷くなっていき、レイドは信じがたいものを多く目にした。先ほどの人はまだマシな方だ。臭いの強い方へ進むと、人間の手足が転がっていたり、上半身の無い死体が倒れていたりしていた。

 臭いも相まってレイドは吐き気を催すが、必死に堪えて先へ進む。


「自殺志願者がここで殺し合ったのか? いや、それにしては相手に容赦がなさすぎる。それに、殺し合いが目的なら、腕や脚といった急所以外の部位は狙わない筈だ」


 この辺りに生息している魔物の中には、人間の胴を両断できるほど広い刃渡りの部位を持つ魔物も生息していない。酒場での情報収集でそれは調査済みだ。


「これは、あまりにも凄惨だ……」


 もうしばらく進むと、少し開けた場所に出た。ぼんやりと明るいが、今日はもともと曇天のため、青空は拝めない。


「いかにもなんか出そうだな」


 先ほどから、幾つもの視線を感じている。一つや二つではない。森そのものに、見つめられているような感覚。背中から刺すような、殺意に満ちた視線。振り向いたら最後、次の瞬間には自分は首が飛んでいるのではとさえ思う。


「気味が悪い……」


 木々の隙間を気にしていると、つま先が何かに触れた。見下ろしてみると、毛の生えた球体が転がっている。

 つま先から脳天にかけて悪寒が一気に駆け上がった。直接触れることには抵抗を感じ、回り込んで確認してみる。


「う、嘘だろ……」


 その正体は、先ほどレイド自身が想像していた『首が飛んだ』状態の頭だ。

 生首は真っ黒な瞳でレイドを見つめている。目が合った途端、レイドは周囲の視線が増えたような気がした。生首から離れるように、一歩、二歩と後ずさる。


『……ィ』


 今度は何かの声が聞こえた。いよいよ呼吸の頻度が上がる。それに伴い、心臓が脈打つ速度も速くなる。


『……シイ……』


声が徐々に徐々に、近付いてくる。近付いてくる。近付いてくる。……かと思えば静かになった。


「き、気のせいか?」


と、油断した次の瞬間――


『恨めシイ!』


 レイドの悲鳴が樹海中に響き渡った。


第2話を読んでいただきありがとうございます。

プロローグ部分は残り2話ありますのでよろしくお願いします。

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