第16話 兆候
グレイズが放った火球は、レイドに死の覚悟を決めさせた。
まさに直撃しようという時、レイドの心臓がひと際大きく脈打った。剣を握りしめる右手の脈は、特に激しく反応している。
同時に、脳内に声が響く。誰のものか見当もつかない。ただ怨嗟ではない、何かだ。
『狩り尽くせ……世に仇名す悪霊を……片端より……我らは忠義を尽くす者……貴殿に全てを託す者……』
同時に、レイドの剣に赤い電流が走る。レイドは一瞬、剣と己が一体化したかのように感じ、感覚の赴くままに、剣を振るった。
眼前の火球は一瞬で斬り伏せられ、その後も次々と斬りつけていく。
『ば、馬鹿なァ! これほどの剣技は……いや、知っているぞ! この、万物を手に取るかのような動きは……!』
「罪のない人間を弄んで殺した罪、今ここで贖え! ……『断罪の鎖』!」
レイドの剣は紅い稲妻を伸ばし、蛇のように滑らかに、鞭のようにしなやかに、鎖状に代わって正面の炎を一気に薙ぎ払う。
レイドが踏み出すと同時に、グレイズが大量の炎の弾幕を仕掛けてきた。それでもレイドは怯まずに進む。後ろからユウリが援護射撃をしてくれるからだ。
「レイド、そのまま前に突っ込んで! 『フレイム=クインテット』!」
レイドの横には、常に八つの翠炎が揺らめいている。翠と通常の色の炎がぶつかっては弾け、ぶつかっては弾ける。
幾重もの炎の弾幕を躱し、グレイズの眼を捉えた。グレイズは最後の抵抗と言わんばかりに、杖からゼロ距離での火球射出を見舞った。
「そんな『とろ火』じゃ俺は殺せねぇぞ!」
レイドは剣を持たない左手で拳を握り、火球を真正面から殴りつけた。火球はレイドの手を焼きながら煙となって消えた。再びグレイズの眼前にレイドが現れる。
『バカなっ!?』
想定外の事態に見舞われたグレイズは、焦った様子で教典のページをめくった。この一瞬の間に、レイドは剣を振り上げ、グレイズの持つ杖を弾き飛ばした。
グレイズは慌てて後退しようとしたが、その前に剣の先端が鎖に変化し、グレイズの体に巻き付いた。
「テメェの目的は、何だ?」
『儂を斃したとて、この先同胞が立ちはだかる……。我らの計画を、邪魔する限り……そして、その呪われた娘と共にいる限り……』
グレイズはユウリを一瞥した。
「貴様もだ……敗北者が……あれか何百年も経っているというのに……しつこい血筋だ……だが、我が主により、もうじき世は変わる……ウィ、ウィナーフォン王国に……再び……栄光あ……れ……再び……反撃の狼煙を…………」
レイドは思い切り剣を引き抜いた。グレイズの体はたちまち粒子へと変化し、レイドの剣の中へと吸い込まれていった。聞きなれない単語が多く、なぜグレイズがレイドの姓を知っていたのかも謎だ。だが、これまでただの苗字でしかなかった「ロストマン」に対し、何か明確な意味が与えられているように感じた。
もうじき世が変わること、ユウリといる限り何らかの組織に追われること、ウィナーフォン王国という未知の王国……わからないことだらけだが、これ以上は答えてくれそうになかった。
直後、レイドも全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。今になって火傷の痛みが全身を駆け巡る。
※
一体どれほどの時間が経っただろうか。瞼の裏側が赤く染まり、眩しさで目を覚ますと、覗き込んでいたユウリと目が合った。
曇っていた表情が一変、レイドが気付いたのを確認した途端にいつもの満面の笑みに切り替わる。
「あっ! レイドやっと起きたね」
「悪いな。心配かけた」
「本当だよ。ま、私もちょっと前まで横になってたからあまり人のこと言えないけどね」
そう言ってユウリは包帯で覆われた右腕を見せた。レイドと同じく火傷した様子だ。
「ルリカがすぐに応急処置してくれたから、後遺症とは無いだろうってさ。痕も暫く残っちゃうけど、いずれ消えるって」
「そうか……」
「レイド、浮かない顔だね」
レイドの心の中には、未だにグレイズが残した言葉が淀みとなって引っかかっていた。印象的な台詞を脳内で反芻しても、どれも物騒なものばかりだ。
そして何よりも、あの幽霊はユウリの呪いについて何かを知っているかのような素振りだった。ユウリといる限り、狙われる。その言葉の意味するところとは一体何なのだろうか。彼女の呪いが解ける時、狙いは外れるのだろうか。
「大丈夫だ。ただ、グレイズが俺たちに濡れ衣を着せようとした理由がわからなくてな」
「そりゃ、免罪符が売れるきっかけだった幽霊を討伐したからじゃない? 下手すれば自分が危ないから、今のうちに対処しようって」
「だが、冷静に考えてみると、幽霊が現金を搔き集めて何するんだ? 目的がわからない……」
グレイズの言う計画とやらが密接に関わっていることは確かだ。しかし、詳細が分からない以上、免罪符販売の終着点も不透明である。
「とりあえず、無事でよかったよ。もう、また無理してさぁ」
「だから悪かったって。だが、俺は後悔なんてしていない。これでこの街の事件は片付いただろ」
免罪符は人々の信仰心を裏切るものであることは証明され、幽霊の存在も知らしめた。少なくともこれだけやって変化が無いとは考えにくい。
「じゃあ、次は例の紋章についてだね。なんで古い教典の内容と一緒に書かれてたのかも知りたいね」
「そうだな。ところで司教は無事なのか?」
「だいぶ深い昏睡状態に陥ってるよ。半年は取憑かれてたっぽいし、目を覚ますかどうかはギリギリかな……」
ベッドで眠る司教に、ルリカは付きっ切りのようだった。当然だ。司教はルリカにとって、家族同然。否、唯一の家族そのもの。ここでお別れと言うには、あまりにも残酷だ。
レイドはおもむろに立ち上がった。ユウリは止めようとしていたが、レイドは司教の肉体に向かって思い切り柄頭を打突した。生身の人間の体に攻撃を仕掛ける感覚は、二度と経験したくないものだ。
父は刃で、何人もの人の肉を切り裂き、返り血と断末魔を全身に浴びてなお、止まることを許されない立場にあった。その豪胆さが、恐ろしくも羨ましい。
※
グリマーベリー聖職者居住地区。レイドたちが最初に遭遇した殺人事件の現場もこの地区内にあった。ここの一角に、司教の家があるようだ。グリマーベリーで最も権限の強い人物の家というだけあって、さぞかし立派なものを想定していたのだが、実際に訪れてみると、周りと比べてもひと際小ぢんまりとした庵であった。
「お邪魔します」
「レイドさん……! お目覚めになられたのですね」
玄関ではルリカが迎え入れてくれる。少々不安が滲む表情だが、まるっきり衰弱しているようでもないようだ。
「ああ。おかげさまでな。……ところで、俺たちの処刑が始まるまで謹慎していたのはこの家なのか?」
「はい。別に監視がいるわけでもなかったので、抜け出すのは容易かったです。既に神官である者は後から絆すのも易いと思ったのでしょうね」
「なるほどな。ところで、司祭の具合は?」
司祭はベッドで仰向けに眠っていた。一定の感覚で胸が上下しているので、息はあるようだが、目覚めるかはわからない。
「レスリー様……どうか、どうかお目覚めになってください。あぁ、どうか我が主よ、私の義父をお救いくださいませ……」
ルリカが家の中に置かれた小さな蝋燭と聖槌教会の名の由来になっている槌の像に向かって祈る。ルリカは幽霊の存在を知ったことで教義に疑念を抱いたようだが、神の存在そのものは、信じてやまないようだ。
果たして、レスリーは目を覚ますのだろうか。固唾を飲んで見守る中、レイドも心の内で祈り続ける。それは、「本来の彼」を知りたいからであった。




