第13話 聖女
レイドの剣が命中し、幽霊の分厚い化粧が仮面のように割れて下の素顔が露わになった。
焼け爛れたような皮膚。瞼は動くことを許されず、円の形をした眼球が見開かれている。唇と皮膚の境目も曖昧で、鼻の先端はドロドロに溶けていた。
『ア……アア……』
「なっ……!?」
不自然にまで綺麗だった白い化粧が剥がれ落ち、そこから現れたのは見るも悲惨な爛れた顔であった。だが、それ以上に目を引いたのは、その頬に刻まれた焼き印である。皮膚が爛れても残るほどの印。形はユウリの呪いの紋にそっくりだ。
『憎イ……』
レイドは人の形をしたものを傷つけることに対する心苦しさを押し殺し、朽ちゆく霊体にもう一度剣を向けた。旅の仲間を傷つけた者に、容赦はない。かつて国を守るべく戦った父も、敵に容赦はなかった筈だ。
抵抗していない相手にトドメを刺すというのはこれほどに怖いのか。この幽霊はきえても、その幻影は永遠にレイドの心に影を落とすように思える。
「待ってください」
止めたのはルリカだった。ユウリの腕には折り目が残っているシルクのハンカチーフが巻かれていた。ルリカのものだろう。
「少し、お話をさせていただけませんか?」
「大丈夫なのか?」
「人間でいえば致命傷レベルだから、もう襲う力はないと思うけど……」
ルリカは幽霊の前で膝を折った。
「貴女は……なぜ人を殺めるのですか? なぜ、それが救いであると、思っているのでしょうか?」
『穢レタ信仰ヲ正ス為……私ハ神ヨリ「穢界の信仰は腐っている。故に、正しき信仰心を持つ其方が正さねばならない」ト、オ告ゲヲ賜リ、一人、人々ニ正シイ教エヲ説イテ回ッテイタノデス』
様子を眺めていたユウリは何やら驚いている様子だった。ルリカの問いに、幽霊は丁寧に答えていく。
『シカシ……一神官デシカナイ私ハ、正シイ教エヲ説イテイタ筈デアルノニ……異端デアルト言ワレ、魔女トシテ火刑ニ処サレ……ウ……ウゥッ! アアアァァアァ! 憎イ!』
幽霊は頬の烙印を搔きむしった。余計に顔の形は崩れていく。しかし印はまるで触られていないかのように張り付いたままだ。炎の攻撃を過剰に恐れていたのは、火刑が原因だろう。
『今モ昔モ……コノ教エハ間違エテイル! 正シイ道ニ人ヲ導コウトシテイルダケナノニ……ドウシテ……ドウシテマタ罪ヲ犯スノカ! 神ニ救ワレタクバ、神ノ代行者ニヨッテ罰スルホカ無イ!』
「落ち着いてください。もしや、貴女が殺人を犯している理由は、神に代わって神罰を与えているということですか?」
『ソノ通リデス。許シヲ買ウナド言語道断……。神ノ鉄槌ヲ下スニ相応シイ……』
幽霊はレイドの方を睨みつけた。黒目は完全に消えているはずだが、刺されるような目つきだ。耐えかねたレイドはたちまち外套を脱ぎ捨てる。地面に落ちた外套の内側には、正常所からくすねてきた印刷された免罪符がビッシリと敷き詰められていた。
『コレハ……』
「レイドさんが貴女をおびき寄せるために考えた案です。免罪符を持っている人間に対して執着を示す幽霊であれば、多く所持していれば、あなたは必ず目の前に現れる……そう考えたのです」
『自ラ……穢レノ象徴ヲ纏ッテマデ私ヲ斬ロウト……?』
「違います。貴女のしていることは大罪です。いいですか、神罰とは、死した肉体から離れし魂に、神が直接下す罰です。ただの人間である貴女に、人を裁く権利はないのです! ですが、正しい方向に導いてあげることならできる筈です。それが私たちの仕事じゃないですか」
『ダメダ……教エヲ正スノハ、モハヤ言葉ダケデハママナラナイ……』
「では、生者である私が貴女の意志を告ぎます。この腐った教えを根本から浄化する。もちろん、暴力はナシです」
『貴女ニ何ガ出来ルノ?』
「これです」
ルリカはレイドの脱ぎ捨てた外套から免罪符を抜き出すと、その場で文字の識別ができなるほど細かに破った。安い紙に乗った安いインクが、安っぽい音を立てて引き裂かれる。
「こんなものは、到底存在していていいものではありません。高値で売りつけ、救われたいがために借金をしてまでこれを買う……邪教に侵された信徒の目を覚ますのは、私です」
『ア……アァ……聖女様ノヨウニ、曇リナキ目ダ……』
「私は貴女を許します。そして、貴女の想いは引き継ぎます。ですので、どうか安らかに……」
『ア……アア……アリガタヤ……』
「……レイドさん、お願いできますか?」
ルリカの呼びかけに応じ、レイドは再び幽霊の首筋に剣を当てた。生身の生き物の肌に触れる時と同じ感触が鉄を通じて伝わる。結晶龍核は死者を生者にたちまち変えてしまう悪魔のような道具だ。
だが、これ以上放置してしまうと、かえって辛いだろう。レイドは彼女に致命傷を与えている。きっちりと引導を渡す責任があることは、その時既に生じていたのだ。
「後のことは任せて、どうか安らかに眠ってくれ」
レイドは剣を振り抜いた。確かに骨を断つ感触が手に伝わる。だが幽霊は血の一滴に至るまでを、青白い光に変え、龍核の中に吸い込まれて行った。
「終わった……」
急に全身の筋肉が緊張を解き、それに伴って開いた血管から血が流れる。この程度の出血には慣れている。
しかし、頭がグラリと揺れ、眩暈を起こしながらバランスを失った。自分でも何が起きたのか分からない。朦朧とする意識の中で、ユウリの懸命な呼びかけだけが、頭の中に何度も響く。
「レイド! いっ……」
ユウリも手の怪我が災いし、レイドに触れることができない。鞭打たれた右手は、腕の先まで骨が砕けていた。
「あの、手を出してくださいませんか?」
ルリカはレイドの手を引っ張り、今度はユウリの元へ向かう。ユウリにも同じように手を差し出すように促すと、ユウリは躊躇うことなくすぐに手を取った。ルリカは右手でレイドの右手を、左手でユウリの左手を取ると、ずっと抱えていた教典を開き、祝詞を唱えはじめた。
「……我が主よ、かの青年らに治癒の祝福を――『フリュイドデネディグション』」
誰の手にも触れぬまま独りでに聖典のページが捲られ、ぴたりと止まった。
そこから漏れだした春の陽気のような暖かな光がレイドの全身を包んだ。見る見るうちに折れていたような肋骨や膝の骨が修復されていく。
「はぁ……はぁ……」
いつのまにか閉じられている聖典。その前で、ルリカは息を乱していた。
「手の怪我が一瞬で治っちゃった……」
ユウリは掌をしきりに開閉している。ねじっても捻っても、もう痛みはない。レイドも脇腹の痛みが波のように引いていく。
「これは応急処置に過ぎませんから、数日は絶対安静です。私の治癒の奇蹟は不完全なので……」
「た、助かった……ありがとう」
「ふふ……お礼、有り難く存じます」
これまで一貫して険しい顔つきであったルリカが、初めて笑みを見せた。まさに聖女と形容するに相応しい、優しさに溢れた顔つきだ。
「それで……」
ルリカはユウリと視線を合わせた。
「ユウリさん。私のことを庇ってくれていただき、ありがとうございました」
ルリカが突然名を呼んで礼を言ったことにユウリは驚きを隠しきれていなかった。大きく目を見開き、二、三度瞬きをした。
「そして、これまでの非礼、お詫びします。確かに幽霊は存在します。私のこの目で、確と目撃しましたから。それに、お二人が人として素晴らしい方々だと解りました」
「そ、そんな急にしおらしくならないでよ。その……私もあなたの信仰を軽視するようなこと言って、ごめんね。ちゃんと幽霊のこと受け入れてくれて驚いちゃった。でも、まさか幽霊と対話する力があるなんて……」
「そんなに珍しいことなのか?」
確かに、幽霊は恨みに任せて暴走している印象が強い。霊狩りの仕事は荒ぶる御魂を武力で抑制することであり、対話で解決できるような存在を相手取っていない。
「うん。龍核がなくても幽霊が見える人はいるんだけど、対話できる人は極少数。私のおばあちゃんがそんなんだったかな。でも習得に数十年かかったとか言ってたっけ……」
「私にもよくわからないのですが……あの方の恨み言の中に、『救いを求める思念』のようなものを感じたのです」
ルリカに秘められた不思議な力を見たところで、次第に空に赤みがかかってきた。そのまま眩い光線が、レイドたちを祝福する。
「私は私の信仰を曲げるつもりはありません。幽霊が生まれてしまうのは、たった1柱の神が審判するにはあまりにも多くの死者が出てしまっているから……都合がいいと言われても構いません」
「今はそれでいいんじゃないかな」
「ああ。少なくとも、幽霊が見えるだけで異端扱いってことにはならないか」
「あの幽霊との約束を果たすためにやらなければならないことがあります。あの、烏滸がましいことは重々承知なのですが、お手伝いいただけませんか?」
この街に蔓延する免罪符を排除する。これがルリカの目的だろう。このままでは殺された人々の幽霊が出てきてしまう恐れもある。そうなってしまえば、さらなる犠牲者を生み出すのも、時間の問題だ。
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