第42話 漢、二人旅
「本当に吐きそう」
喉まで迫り来る胃液を、澄んだ海をじっと見つめることで必死に抑え込む。
その間にもグラグラと揺れる船に若干の苛つきを感じながら、父さんのここまでして連れてきた"本当の意味"を考えようと、チラッと父さんを一瞥する。
「え……」
……寝ていた。
いや正確には胎児のようにゴロンとして、ぼんやりと海を眺めていた。
あまりの無防備さに、呆れを通り越して言葉を失った。
それと同時に、ここにきた意味のわからなさと船の酔いの苛つきで強い口調で言ってしまう。
「一体何してるんだ。父さんは……、父さんはこんなことをしに俺を船に乗らせたのか!!」
自分でも言いすぎたと、自重する。
父さんは態度をまったく変えることなく、むしろ体をグッと縦に伸ばして俺の方を向いて微笑んだ。
「まあまあ、琥太郎。まだ"その時"じゃないぞ。気楽に待ってこうぜ……」
「……」
「それともなんだ、久しぶりに俺と話したいのか?……可愛い奴だなお前」
「違うし……」
俺は呆れ半分で父さんを見ると、不思議な事に真剣な眼差しで俺を見ていた。
その迫力に少々、萎縮しながらも俺は視線を父さんから外す事なく真正面で向き合った。
「泰葉から聞いてるんでしょ。俺が記憶を取り戻したってさ――」
話すか話すまいかと来る前にあれだけ逡巡としていた俺が、スッと何事もないように言い切った自分に驚いた。
俺にとってこの問題は自分の自己形成に関わるセンシティブな内容のはずなのに、これほど迷いもなく言えたのは父さんの雰囲気というか、どんなことでも包んでくれるような感じが俺にとって話しやすかったのかもしれない。
父さんはふっと短い息を吐くと、力強く頷いた。
「あぁ、聞いたさ。何度も口酸っぱくね。で、それがどうしたんだ?」
「は、はぁ?どうしたって、俺はてっきりその事について父さんから何かあると思ったんだけど!」
父さんは表情を崩さずに淡々と答える。
「別に、俺はお前を慰めとか、何かを語ったりなんかしないぞ?……ただ単に琥太郎と一緒にドライブしたかっただけだ」
「それだったら、船じゃなくてよかったじゃないか」
俺は静かに問いかけると、父さんはハハッと笑いかける。
「……お前に見せたいもんがあんのよ。だから、その時まで大人しく待っとれって」
父さんは指を空に突きつけながら、ニコニコと笑う。
俺はその様子に嘆息を吐くと、父さんの言った通りに壁にもたれかかりながら、ひたすらに船の底を見続ける。
***
何時間経っただろうか……。
さすがに数十分とかじゃないよな。
だか、それを否定する材料に肌を刺す潮風の冷たさと、重くのしかかる闇の深さが、陸を離れてからの長い時間を物語っていた
寝ていたせいか酔いが少しだけだが、取れたような気がする。
父さんの方を見やると、目を子供のようにキラキラと輝かせていた。
父さんはこの神聖な場にそぐわない大きな声で叫ぶ。
「琥太郎!!!来たぞ、来たぞ。あれを見ろ!」
指を指す場所は海のさらに上。
暗さから俺たち照らす綺麗な円を描いていた満月だった。
ぐわんと揺れる船によってやっと、自分が見惚れてしまっていた事に気づいた。
「うあ……」
周りが見えなかったからか、父さんがガシッと俺の肩を手で掴んでいる事に気が付かなかった。
不意だったため、抗えず父さんの体に寄りかかってしまう。
恥ずかしさで父さんの体をグイッと、押して離れようとするが、離れまいと強く掴まれていたので諦めて父さんの方を見る。
「違う。……琥太郎、満月じゃない。本当に見るべきなのは"海"だ」
俺は言われた通り、海に視線を向ける。
……海が光っていた。
その言葉に嘘偽りなどなく、本当に青白く海が光り輝いていた。
船首が波を蹴立てるたび、そこから火花が散るように青白い光が弾けている。
ゴクリという唾を飲み込んだ音を皮切りに父さんが言った。
「すごいだろ?これは夜光虫って言ってな、プランクトンが波の刺激を受けて青白く発光してるんだ。……いやー、"これは"見れないって諦めてたけど、運がいいな俺たち……」
「これはって――、」
「あれだよ、満月に綺麗に照らされてるだろ」
「あ……」
「ムーンロードって言って、月の光が海面に反射し、まるで道が自分に向かって伸びてくるように見える。珍しい現象なんだ。……お前に見せてやりたかったんだよ。この悩み一つないこの静謐な海を――」
これが父さんの見せたかったもの……。
俺は考えるより先に言葉に出ていた。
「父さん、知りたいよ。澪のこと、自分自身のことを。じゃないと、俺。ずっとこのままだから……」
俺は父さんに琥太郎という存在について問いかける。
これまでずっと拒み続けていた俺の過去。
知らないと俺は泰葉と、澪とずっと分かり合えないから……、向き合うんだ。
父さんはふっと微笑んで、そっぽを向きながら一人でに呟いた。
「俺は語らないって言ったからな。だから、これはあくまで独り言。琥太郎に話してるわけじゃないぞ……」
「なんだよそれ」
その父さんの言葉に思わず吹き出してしまった。
……久々に笑った気がする。
俺は父さんの話を待つように耳を傾ける。
「まあ、なんだ。俺は今琥太郎の"全て"話してもいい。……けど、それじゃダメだろ。それじゃあ、お前の中のモヤモヤがずっと残るだろ。だから、お前の目と足でしっかりと"真実"に向き合うんだ」
父さんは俺の方を見ようとしなかったが、その代わりに俺の手を、体を強く抱きしめる。
それだけで父さんの言わんとすることがわかる。
父さんの言う通りここで真実を聞いても俺は心のモヤが取れないと思う。
俺の手と足で、か。
父さんは俺の目をジッと見て、破顔して言う。
「最後に言わせてくれ。……俺は今でも琥太郎を愛してるからな。義理の父だっていい。お前は俺の息子なんだ。……これだけは忘れるなよ」
「父さん。それって独り言なの……」
俺はふるふると体を震わせながら、父さんに微笑みかける。
父さんも俺の姿を見て、視線を逸らす。
「ば、バカ。漢なんだから泣くんじゃない」
自分を抱きしめる父親の腕が、微かに、けれど激しく震えているのが伝わってきた。あんなに巨大だった肩が、今は泣きじゃくる子供のように小さく見える。父さんの啜り泣きは、夜の海鳴りに溶けて、切なく響いていた。
「いや泣いて、ないから。父さんこそ泣いてるじゃん」
これでもかと溢れる涙を抑え込みながら、父さんに抱きつく。
俺と父さんは一生に一度の光景を目に焼き付けながら、港へと戻っていく。




