第41話 航海
カァカァというカラス独特な鳴き声が海岸に響く。
もし、来なかったら――。
頭の中でふと、そう最悪の想像をしてしまう。
泰葉は海岸にある一際、大きな石の上に体育座りのような形で座っていた。
周りをキョロキョロしてみても聞こえるのはザアザアという波の音と観光客の楽しげな声だけだ。
泰葉はもしものことが頭をよぎってしまい焦燥感に駆られてソワソワと"お兄ちゃん"の姿を探していた。
すると――。
ボーーという汽笛が波の音を一気に掻き消した。
「やばい来ちゃったよ。……お兄ちゃん」
見えた船が海岸に着くのに時間は掛からなかった。
ゾロゾロと降りていく乗組員の中でも色んな意味で大きく、そして"目立っていた"存在が今、砂浜に舞い降りた。
……お父さん。
お父さんの方も泰葉に気づいたようで、こちらをみてニコニコと手を振っている。
泰葉は唇を強く噛み、辺りを見渡したが――。
……お兄ちゃんの姿はない。
お父さんはそんな挙動不審な泰葉を心配そうに駆け寄る。
「泰葉!お前、元気だったって――」
泰葉は一心不乱にお父さんに抱きついた。
「チャンスはあったのに、私がもっとお兄ちゃんを安心させてあげられる言葉を言っていれば……」
悔しさと自分への卑下で思わず声が漏れてしまった。
お父さんはその事について聞くこともなく、ただ単に優しく抱きしめて、優しい声音で囁いた。
「大丈夫だから……、琥太郎は、あいつは必ず来るよ」
お父さんのその表情はその場しのぎの嘘などではなく、本当の"来る"と信じているような、そんな自信に満ち溢れた表情だった。
笑っている顔も、優しい声も、いつもそばにいてくれるようなその表情も、お兄ちゃんと全部似ていた。
全てが不安や恐怖を取り除いてくれた。
「あなたー!」
潮風に乗って、聞き慣れた声が真っ直ぐ届いた。
視線をやると、笑顔で手を振りながら小走りでこちらへと向かってくる。
……お母さんだ。
お父さんは泰葉を丸ごと巻き込むようにして、ギュッとお母さんを抱きしめた。
会った時に言えていなかった事を思い出したように、お母さんとハモりながら言った。
「「おかえりなさい」」
「え……」
すると、お父さんは手を丸くしてキョトンとしている。
お父さんの視線の向く先へと視線を誘導すると……。
"お兄ちゃん"がバツが悪そうに、俯いていた。
グッと飛び出したい気持ちを我慢する。
……みんな気持ちは同じだから。
両隣を見ると、両親共にカタカタと小刻みに震えていた。
お父さんは震えを誤魔化すように小さく深呼吸をする。
そして腹の奥底から叫んだ――。
「よぉおおおおおおし!!!」
「え?」
お兄ちゃんはあまりの予想外の行動に驚きを隠すことができずにあんぐりと口を呆けている。
だが、それはこちらも同じ事で……。
泰葉とお母さんはお互いに視線を合わせることしかできなかった。
そして、再び視線をお父さんの方へと向けると、お兄ちゃんの肩にポンッと手を置いていた。
"なにか"を話しているようだったが、あまりに小さい声だったため聞き取ることができない。
お父さんは泰葉たちに向かって顔を綻ばせると、大きな声で言う。
「琥太郎と二人で出かけてくるから!……あー、夕飯までには帰るから、そこんとこよろしく」
そう言い終わると、颯爽とお兄ちゃんを担ぎ上げて去ってしまった。
お兄ちゃんは困惑した表情でジタバタと足をバタつかせている。
お父さんなら大丈夫……そのはずだが一抹の不安が泰葉の心の隅の隅の方で蝕んでいる。
「うわぁ」
急に肩を寄せられてバランスを崩してしまい、お母さんに抱きつく形になってしまった。
だか、それも想像通りなのか不敵に笑っていた。
「……心配しなくとも大丈夫よ。"あの人は"――さ、泰葉。帰って男たちの晩飯でも作るとしましょう!」
「うん!お兄ちゃん。頑張って……」
***
西條琥太郎
「ちょ、やめてってば!とう――」
俺は不意に出かけた言葉を一気に引っ込める。
「父さんって呼んでくれないのか?」
「……ッ。と、父さん。一体、どういうつもりなんだ!」
俺は少し語気を強めて父さんに言う。
担がれた俺はジタバタと体を揺らしてたり、暴れれば暴れるほど、肩に食い込む腕の力が強まる。まるで巨大な岩に組み伏せられているような、圧倒的な『大人』の質量。
俺の抵抗なんて、波に消える泡みたいなもんだった。
「どういうつもりって……」
父さんは暫く言葉に詰まる。
その間もクゥークゥーというカモメの鳴き声が俺たちの沈黙の時間を埋める。
担がれていて父さんの表情は視認できないが、俺を傷つけないような言葉選びに悩み耽っているに違いない。
俺はもう一度、強く名前を呼ぼうとした時――。
「ドライブ、かな?」
「はぁ?」
言っている意味がわからず、そっけない返事を返してしまう。
だって、父さん――。
「車の免許なんか持ってないでしょ……」
車は持っているが、運転するのはいつも母さんだ。
いつも父さんとどこか行く時は電車だったり、バスを使っていた。
そんな人がドライブなんで……。
父さんは少し苦笑しながら呟いた。
「ごめんな、お前が苦手な乗り物でドライブだ」
「……え?ちょ、それって――父さん!」
俺は逃げようとより一層体を揺らそうとするが、父さんはガッチリ体を固定して身動きが完全に取れなくなる。
父さんはハハッと悪魔みたいな笑いをしてからステップしながら、"乗り物"に足を運んだ。
***
「だから、本当に無理なんだって!」
俺はなんとか船に入るキャビンの取っ手にしがみつく。
父さんが必死に引っ張ってくるが、関係ない。
「琥太郎!漢を見せろって……」
「……と、父さんは俺が昔から船が無理だってこと知ってるだろ?」
「ただ酔うってだけだろ?……いけるだろ」
軽い感じで言うけど、全然違うから!
父さんは酔いを舐めすぎだ。
……そもそも、俺は父さんの迎えにきただけのはず。
なんで俺が船に乗る事になっているんだよ。
父さんの引っ張る力が徐々に強くなるにつれて、ドアノブがギギギと金属音が大きく鳴る。
父さんは思いついたように"魔法の言葉"を俺に囁く。
「壊したら弁償だぞー」
「うがぁ」
急に離したせいで一気に地面に叩きつけられる。
「うんうん、それでいい。さ、さっさと乗れよ」
いつも俺の一枚上をいかれてしまう。
それは俺を知り尽くしているからか、単純にそう言う能力が長けているからか、どちらにしてもこの手のことでは父さんには敵わない。
俺は渋々船に乗り込もうとする。
小型の船で俺と父さんでキツキツだった。
船のことは知らないけど、乗った瞬間にぐわんぐわん揺れるもんで、性能を疑いたくなる。
……うぅ、もう酔ったかも。
エンジンの重低音が内臓を直接揺さぶり、胃の底からせり上がってくる何かを必死に飲み下す。まだ港を出てもいないのに、視界の端で水平線が不気味に傾き始めていた
「お、来たか。そろそろ準備できるから待っててな」
俺は大きなため息を吐きながら、近くにある椅子に腰掛ける。
辺りを見渡すと、海が夕焼けに染まり反射して綺麗な橙色になっていた。
その海の姿に思わず見惚れてしまう。
別に船が嫌いなだけであって、海が嫌いなわけじゃないし、むしろとても好きだ。
こういう、綺麗な海だって合宿にも見たもんな……。
俺は合宿での思い出を思い返す。
……ボドゲ部には本当に見せる顔がないな。
その刹那、ぐわんと一際大きな揺れが俺を襲った。
「琥太郎。準備できたぞ。そぅら、行くぞ!!」
「ちょ、待ってよ。まだ心の準備が――」
だが、父さんはもう止まらない。
「行くぞ。漢二人旅の出航だ!!!」





