第38話 崩壊の始まり
「泰葉。教えてくれないか?……澪のこと――」
澪との別れ際、率直な疑問を泰葉にぶつける。
どうも泰葉と澪は面識がある。
……一体、泰葉はなにを隠しているんだ。
泰葉は虚な表情で俯きながら俺の疑問にボソッと囁く。
「……知らない、澪なんて、私は知らない」
「そうか……」
嘘だなんて百も承知だがそれ以上に聞けなかった。
これ以上踏み込んでしまうともう止まれなくなる気がして――。
剣呑とした雰囲気の中、俺たちは家路についた。
***
「なんでそんな顔するんだよ。……あんな顔見せられたら、なにかあるって思っちゃうだろ」
部屋で布団に包まりながら去り際の澪の表情について考える。
……頭が痛いな。
正直もう関わりたくないのが本音だが、どうしても澪は運要素のあるブラックジャックを選んだのか――。
なにか仕掛けが――いや澪に限ってそんなこと……。
クソ、なんで俺がそんなこと言い切れるんだよ。
「お兄ちゃんご飯、できたよ……」
泰葉が心配そうに顔を覗かせてくる。
「ごめん。今日は食欲ないしもう寝るよ」
「そう……おやすみなさい」
「おやすみ、泰葉も早く寝るんだよ」
「うん……」
ガチャッと無機質な音が響いた直後に静まり返る。
なにやってんだろ俺、お腹は充分に空いているはずなのにな、どうしてそんなこと言っちゃったんだろう。
俺はそんな無駄な後悔をしながら目を瞑る。
明日で全てが終われと切に願いながら――。
***
「西條泰葉。待ってたよ」
澪は不気味な笑みを浮かべながら、トランプをシャッフルしている。
相変わらず俺の体は澪を見た刹那大きな震えが襲った。
……未だ怖いという感情がある。
「……なにか小細工はしてないでしょうね」
「してないよ。確認してもらっても大丈夫だよ……」
確認のため隅々までトランプに細工がないか調べるが、全くそれらしき細工は見当たらない。
俺は泰葉に細工はしていないという合図を送ると、澪は公演の真ん中にデカデカと置いてある机のような人工物にトランプを置いていく。
場に落ちた最後のカードが、やけに軽い音を立てた。
泰葉は「19」。
澪は「16」。
――止めれば、負けはない。
「……スタンド」
泰葉の声は静かだった。
けれど、握りしめた指が白くなる。
澪は、カードを見つめたまま動かない。
ほんのわずかに、唇が震えた。
「……」
視線が、俺に向く。
一瞬だけ、逸らしたくなるような目。
それでも、澪はカードに指をかけた。
指が止まる。そして口を結んで重々しく、そして呆気なく"それ"を呟く。
「……ヒット」
「……ッ」
空気が張り詰め、めくられた一枚。
――「5」。
合計、21。
澪はしばらくカードを見つめたまま、動かない。
やがて、小さく息を吐く。
「……あーあ」
困ったように笑う。
「なんか……勝っちゃったみたい」
「……そんなの」
泰葉の声が震える。
「そんなの、ただの――」
「運、でしょ?」
澪が言葉を重ねる。
その声音は、やけに軽いのに、指先だけが微かに震えていた。
「……そうだよ。運」
まるで、自分に言い聞かせるみたいに。
「だから――」
言葉が、そこで止まる。
喉に引っかかったみたいに。
澪は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「……約束、だから」
ようやく絞り出す。
その声は、さっきまでの余裕なんて欠片もなかった。
俺に一歩、近づく。
けれどその足取りは、どこか重い。
「……全部、思い出してもらう」
「やめて」
泰葉が前に出る。
その声は、怒りよりも焦りに近かった。
「それ以上、近づかないで」
澪は足を止める。
そして、ゆっくりと泰葉を見る。
ほんの少しだけ、目を細めて。
「……なんで」
ぽつりと落ちた言葉。
「なんで澪がそんな顔するのよ……」
「……ッ」
「……」
唇を噛み、俯く。
……よほど強く噛んだのか、唇の端がわずかに赤く滲んでいる。
だが、澪はそれに気づかない。
「……」
そして大きくため息を吐くが途中で止まり俺の方を向き直す。
笑顔を取り繕うとするが崩れている。
澪は優しい声で囁く。
「……ごめん。幸太郎」
その一言に、なぜか胸が締め付けられた。
“知らない俺”に謝っている。
そんな気がした――。
***
西條泰葉
「お兄ちゃんを"私"から奪わないで!……お願いだから」
懇願するように頭を地面につける。
……もうお兄ちゃんがいるなら私はなにも望まない。
ただ、ずっと一緒にいたい。
思い出したら多分お兄ちゃんは私を避けるようになると思うから。
このままでいてほしかったのに――。
お兄ちゃんは、――琥太郎はおそらく全てを塞ぎ込んでしまう。
「……ッ。私だって"奪われた"側なのよ!あなただけが苦しいみたいなそんな言い方――ないでしょ!」
澪は語気を強める。
わかってる、わかってるよそんなこと。
「……ずっと、探してたんだよ」
「ダメ――」
「私だって幸太郎を――兄ちゃんと一緒にいたい!」
「……は?」
ポカンとその言葉の意味がわからず立ち尽くしていた。
「あぁ、あ……」
溢れる涙を地面が覆い尽くす。
お兄ちゃんはあまりに信じられないからか、……ハハッと苦笑している。
そして幸太郎の足が崩れ落ちる。
「俺が、――お前の兄?泰葉は俺の妹じゃない?」
精一杯、絞り出す声で呟く。
その瞬間もお兄ちゃんの震えは強まる。
「……あなたは、あなたは私の兄。宮内幸太郎なんだよ。兄ちゃん。全部思い出して――」
――言ってしまった。
幸太郎の目が、揺れ、焦点があっていない。
呼吸が、乱れる。
……まずい。
失いたくない一心で一歩、踏み出す。
「近寄るな……やす、は」
その一言で、足が止まった。
――こんな目、知らない。
冷たくて、鋭く、視線が合わない。
……見てしまえば、認めてしまうから。
澪は、顔を上げなかった。
……止めなきゃ、そう思った。
もし、ここで触れたら。
今まで、お兄ちゃんが私に向けてくれたものが。
あの声も、あの時間も、“妹としての全部”が――、
私の手で終わらせてしまう気がして――
足が、動かなかった。
私の知っているお兄ちゃんは、もう――どこにも、いなかった。




