第35話 逃げの選択
「……おーい、澪。お前も一緒にやろうぜー」
「いやいいよ。私は二人がやってるの見てるだけで楽しいからさ……」
澪は遠慮気味に苦笑する。
翼はムスッと頬を膨らませて頭を掻く。
「……絶対やった方が楽しいのになぁ」
「いいって、翼にぃの高度すぎるボドゲに私がついていけるわけないもん」
「手加減するよ?」
俺はまるで馬鹿にしたように澪を煽る。
澪は「はぁ?」と蛸のように顔を赤くさせて、俺の事をポカポカと叩いてくる。
「わ、私が本気出したらあんた達なんか、あんた達なんか――勝てる、よ?」
「せめて言い切ってくれよ!」
翼がやれやれと肩を竦めて言う。
澪は「えへん」と謎の自信を持ち、俺に指を指す。
「でも幸太郎なら勝てるかも、毎回、翼に負けてるじゃん」
「……ッ、そ、それは」
痛いところを突かれたと、俺は悄然と俯く。
翼は俺の頭をガシガシと揺らし、破顔とした顔で俺の心を落ち着かせる。
「普段、私はあなた達みたいにボドゲを狂ったようにやっていないけど。いざやったら強いから!」
「じゃあやってみるか?」
「……え?」
数十分後。
「うわあああ、負けたぁあああ」
「ふん、甘いよ。澪ちゃん。俺に勝とうだなんて――」
澪は頭を抱えながら地団駄を踏む。
「ブラックジャックなら勝てたのに!もう一回」
今思い出したが、澪のブラックジャックの勝率は翼をも上回るほどに強い。――いや、運がいいって言った方がいいか。
俺は勝ち誇ったように澪の頭をポンポンする。
「澪ちゃん、真剣勝負に二回目など存在しないのだよ」
「クソォォォォ」
澪の雄叫びが地区センター辺りを響かせる。
「全く、誰に似たんだか、この負けず嫌い……」
「「お前だよ……」」
俺たちは顔を見合わせてゲラゲラと大笑いする。
あぁ、ずっとこんな毎日がいいなぁ――。
その刹那、頭の隅々がズキっと痛みに支配される。
目の前にあった光景が一瞬にして変わってしまった。
辺りには雨が降りしきっていて、救急車のサイレン音がうるさい。
俺は雨の暗い中で倒れて俯いた一人の男を見つける。
ズキズキと近づく度に前に進むことを"俺自身"が自然と拒絶反応を起こしていた。
前に進んだら、一気に"自分"が自分じゃなくなってしまう――そんな気がする。
だが止まらない――止められない。
まるで誰かが俺を操っているみたいに――。
やけに重い。靴の裏に絡みつくみたいな、嫌な感触。
だが俺はその痛みの中よろめく体をどうにか制御して、男の元へ向かう。
暗くて顔がよく見えない。
俺はやっとの思いで男の顔を見る――。
「……え?」
俺はあまりの衝撃に腰を抜かす。
それは高校生ぐらいだろうか、顔立ちが整った美少年が顔をほこらばせて――死んでいた。
なんで気づかなかったのか、この目の前にある水溜まりが水だと思い込んでいた。
赤が靴底にまとわりついていたことに今しがた気づいた。
見ると、鉄パイプのような物があたりに突き刺さっていた。
どす黒い血が跳ねて全身が濡れる。
腹のあたりが、やけに重い。
濡れている。
違和感だけが、やけに鮮明だった。
触れる。
ぬるい。
指先が沈む。
引き抜くと、糸を引くように赤が伸びた。
ポタポタ流れる俺の掌から流れているのは雨なんかじゃなかった。
熱が止まらない。
流れ落ちてくる。
震えた手で血を振り払うようにする。
その一瞬、男は俺の足を強く握りしめる。
「……ッ」
「お前が俺を殺したんだよ」
高校生とは思えないほどの冷たく、ドスの効いた声で囁かれた。
「翼が死んでるんだ……」
見覚えがないはずなのに――。
その瞬間視界が真っ白に弾けた。
***
「うわぁあああああ」
朦朧としていた意識がこの叫びによって一気に覚める。
見覚えのある天井、このフカフカなベット――。
消毒液の香りが辺りに充満していた。
病院か――。
その刹那、俺を抱きしめる人影に押し倒されてしまう。
……この匂いと、勢いよく抱きしめてくる感じ思い当たる節が二人しかいない。
今回は――。
「か、母さん……」
母さんは俺を見るなり、その瞳から大量の涙を溢れていた。
「……生きてた、生きてたよぉ」
耳元で、かすれた声が零れた。
涙で濡れた声。
ゆっくりと視線を落とす。
「勝手に俺を殺さないでよ」
「あんた合宿の帰りに気を失ってから四日は寝てたんよ」
「四日間。そう、なんだ」
妙に自分の中で納得してしまった。
「泰葉に連絡して今来てもらうから――」
「待って!」
「え?」
母さんはキョトンと目を丸くして、動きが止まった。
「暫く、一人にしてくれない?」
「……そう、分かったわ」
母さんはそういうと悲しそうな表情をして病室を出ていく。
泰葉が来てくれるのは勿論嬉しい。
が、今は――まだ心の整理がついていない。
幸太郎という呼び方が、頭にこびりついて離れない。
翼という人物は――。
もうこの世にはいない……。
これからどうやって"宮内澪"という人物から逃れるか。
今までは朧げなフラッシュバックだったのに、澪という人物に会ってから"それを"さらに鮮明に思い出してしまった。
アイツの顔が、離れない……。
――アイツにさえ、会わなければいい。
それだけで、全部なかったことにできる。
……できるはずだ、




