第34話 盤狂わせ
夢を見ていないはずなのに、目が覚めた瞬間から疲れていた。
"あの夢"を見た訳じゃないが、なんだか今日は嫌な予感がする。
大きなため息を吐きながら、部屋から出る。
泰葉から勢いよく言う。
「お兄ちゃん、もう準備しないと。三十分後に出るバスに遅れちゃうよ!」
「うん?」
俺はゆっくりと時計に視線を移す。
あと十分……。
そうかあと十分で帰るのかぁ。
俺は少し憂鬱としながらも、ゆっくりと部屋に入る。
「十分、普通に間に合わないんだけど……」
俺は部屋を見渡すと荷物が散乱している光景が広がっていた、勿論、全部俺のです。
***
「琥太郎くん、遅いって!」
「はぁ、はぁ、ごめんって……」
藍川さんにグニャッとつねられながらも見事間に合わせることができた。
正直、置いてかれるのも覚悟したものの、みんな優しく駅前で待ってくれていた。
俺は幸いにも電車が遅延してくれていたおかげで案外、余裕で間に合うことができた。
疲れ切ったみんなはスヤスヤと眠りこけていた。
一呼吸おいて、目を瞑る。
この合宿での出来事を色々と思い返す。
楽しいことも、勿論嫌なこともあったけれど、それも全部ひっくるめて――。
……楽しかったな。
***
「うぅ、ん」
いつの間にかに寝ていたのか……。
俺は大きく欠伸をすると、もうすぐで川崎というアナウンスが流れる。
目をゴシゴシと擦りみんなを探すと、それぞれぐっすりと眠っていた。
危な、俺が起きてなかったらどうなってたんだろ。
俺は肩に寄りかかる泰葉を揺らし起こす。
ガコンッという地鳴りと大きく揺れた電車はみんなを起こすアラームとなった。
「まもなく川崎〜、川崎〜」
俺はゾロゾロと立ち上がる。
……見知った場所が増えていく。
帰ってきたんだな、家に帰れる嬉しさもありつつ、合宿が楽しかった分少し寂しいという気持ちもある。
俺は川崎駅を降り改札を出る。
溝の口まで長いな。
「……ね、え」
「え……」
誰かに声がかけられたような……。
俺は辺りを見渡すが、それらしき人物がいない。
俺は再び歩みを進めようとするが――。
「……ねぇ」
今度はしっかりと俺の耳に届くような声で、それも背後にいる。
なんだろう、普通はここで振り返るのに――振り返りたくないな、妙に心臓の鼓動が早まっていく音がはっきりと聞こえる。
「どうしたのお兄ちゃん……」
俺が過呼吸だからか、泰葉が心配そうに顔を覗かせてくる。
「……あぁ」
ギュッと背後から手を握られる。
やばい頭が回らない。
周りの人間が、まるでこの状況を“認識していない”みたいだった
だってすぐ後ろに……。
「後ろを向いて琥太郎……」
耳元で囁いてくる。
しかも俺の"名前"を――。
「あれ、琥太郎だよね。確かそうだったよね。……でも前の方が私はいいと思うよ」
「だ、誰だ!!」
思わず後ろを振り返ってしまった――。
そこには見覚えのない、長い黒髪を靡かせて、こちらに微笑んでくる。
明らかに空気が変わる。
冷たくドロリとした空気だ。
「……はぁ、はぁ、誰なんだよ、お前!」
俺が声を荒げると、何事かとみんなが駆けつける。
「ど、どうしたの琥太郎くん。そんな大きな声出して」
藍川さんの声が遠い、それよりもこの目の前の人物から目が離そうにも離せない。
焦燥する頭の中で記憶を辿るも、思い当たる人物が見当たらない。
どこか絶対に"聞いたこと"があるのに……。
もしかして――。
「知りたい?知りたいよね。そうだよねぇ、でもねまだ教えられないかなぁ。今日は"まだ"その時じゃない。折角、楽しい雰囲気だったのにごめんなさいね」
「……教えろ、お前は誰なのか、お前は俺の記憶喪失になる前に俺に出会っているはずだ!」
ニタニタと不気味な笑みをする。
「そうだねぇ、じゃあ名前くらいは教えてあげるよ――私は宮内澪っていうの……」
「やめて!」
珍しく泰葉の声が荒く、焦った声だった。
俺の鼓動の音がうるさい。
宮内、澪?
思い出せない、俺はその家族と深く関わっていた気がする。
それに、今思い出した――。
こいつ夢の中で聞こえた声と似ている。
俺とこいつはなんの関わりがあるんだ!
「ふーん、名前聞いたくらいじゃ思い出さないかぁ。でも今日はここまでにしておこうかな――」
宮内と名乗るやつは藍川さん達に深々と頭を下げて、泰葉の方を凝視する。
「あんたが西條泰葉ね。初めまして――じゃないか、久しぶりって言った方が正しいかな?」
「……何しにきたの。もうお兄ちゃんには関わらないって言ったはず!」
俺は呆然と立ち尽くすことしかできない。
泰葉と宮内の距離が近くなる。
泰葉の目は今まで見たことがない鋭い目つき。
「……一体、どういうつもり」
「フフッ、この際に言っておくことにするわ。 戻してあげるのよ。“あの頃のあなた”に」
宮内は激しく震えることしかできない俺を指を指して宣言をする。
……何、言ってんだよ。
俺は一歩ずつ後退りして、この場を逃げようとする。
「……俺は、今の方がいい」
宮内の表情が一瞬だけ歪んだ。
だが怯むな、俺は泰葉の手を強く握りしめた。
「“盤上の翼”――あなたがあの人に付けた名前よ」
「……めろ、よ」
「うん?」
「……もう黙ってくれよ!」
"盤上の翼"その言葉を聞いて心底血の気が引いた。
俺が知らぬ男とチェスをしている記憶の断面が……。
でも確信した、盤上の翼と称したという人物は幼少期、俺とずっと一緒にいた。
真夏だと言うのに寒気がする。
喉が引っかかる。空気が入ってこない。
泰葉は震える俺の手を優しく握ってくれて、宮内に睨みを効かせている。
泰葉と宮内はどんな関係なんだ。
宮内は未だ薄気味悪い笑みを浮かべて呟く。
「そろそろ帰ろうかな。もう"限界"みたいだし……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」
宮内は踵を返して歩き出そうとした時――。
「……またね"こうたろう"くん」
その衝撃的な一言を残して、そのまま歩き去ってしまった。
怒涛の流れについていけずフラフラとよろめく。
……いや、だ。
思い出したくないのに――。
やめろ!
「チェックメイト」
またもや知らない男の声が頭の中を響いて。
不意に意識が途切れる……。




