第29話 名前呼び
「ごちそうさまでした!」
元気よく声をあげる藍川さん。
今日も今日とても食うわ食うわでご飯がなぐなった時に、俺の白米を根こそぎぶんどったくらいだ。
俺の腹の虫が演奏を奏でているようになっているんだけど……。
俺を思わず嘆息を吐く。
すると隣にいる泰葉が肘でつついてくる。
「どうした?」
「お兄ちゃん。お腹すいてるなら食べる?私もうお腹いっぱいだしさ」
泰葉がご飯の半分くらいを俺に差し出してくる。
……天使かな?
俺はご飯に手を伸ばそうとした瞬間だった。
俺が伸ばすより先に誰かがご飯を取る……藍川さんだ。
「お腹いっぱいならもらっちゃうねぇ〜」
「……え?それは、お兄ちゃんの」
隙を見て藍川さんからご飯を奪い取る。
藍川さんは「え?」と困惑した表情をしていた。
「……ガルルルル」
俺は犬が唸るような声を出し藍川さんに威嚇する。
「琥太郎くん、もうお腹いっぱいじゃないの?」
ブンブンとひたすらに首を振る。
藍川さんはまだ俺のご飯を奪おうと指を口に咥えながら凝視している。
食欲旺盛な人だ。
ご飯は渡さないぞ。
この問題は泰葉の一言によって万事解決する。
「……陽葵さん。それはお兄ちゃんが食べるものです」
「……ッ」
藍川さんは歯痒そうに歯を軋ましている。
微かに涙を流しているようにも見える。
そんなにか!?
毅然として食べ物を凝視する藍川さん。
しかし何に対しても諦めが悪いな藍川さんは……。
藍川さんにゆっくりと歩み寄る。
「……はい、これ。どうぞ」
「え、いいの?」
「うん、俺はお腹いっぱいだから大丈夫」
藍川さんの表情は一変し満面の笑みでご飯をぶんどる。
そして口いっぱいにご飯を放り込む。
あー、美味しそうに食べるなぁ。
俺は自分で自分を恨む。
こういう性分なのでたとえ自分が欲していた時でも上げてしまうという、自分でもどうしようもない性格なのだ。
俺が悄然としていると、泰葉がぷくっと頬を膨らませている。
……ごめん泰葉。
こうするしかなかったんだもん。
ぐぅ〜。
ん?今度は俺じゃないぞ。
聞こえてきたのは隣からだった。
え、もしかして。
……そうかお前もそういう"性格"だったな。
泰葉もお腹空いてたのか。
ぐう〜。
今この瞬間兄妹のお互いの気遣いが返って腹の虫を空かすことになった。
***
「マジでお腹空いたなぁ」
部屋でゴロゴロしている俺にこれでもかと弱めのキックを喰らわせ続けている泰葉。
「もう!陽葵さんにご飯を取られ続けるお兄ちゃんを不憫に思って残しておいたのにぃ。なんであげちゃうかなぁ」
うん、なんていうか。
……ごめんな。
折角の泰葉の優しさだったのに……。
お前もお腹が空いていたなんてあの時点で察せるわけないよ。
部屋に帰ってからの俺たちはというとまるで会話するみたいにぐうぐうと共鳴し合っていた。
「……折角だからお兄ちゃんが散歩を偽って何か買ってきてやろうじゃないか」
「私は醤油味でいいよー」
「好きだなその味。カップラーメンとか体に悪いんだけど、言ってる場合じゃないか。俺も醤油でいいかな」
俺はカバンの中にある泰葉にプレゼントしてもらった偽のブランド……多分三百円くらいの財布をガサゴソと探す。
「じゃ、行ってくるから大人しく待つんだよ」
「早く帰ってきて」
泰葉は大きく欠伸をしながら俺を早く行くよう促す。
俺はこっそりと音を立てないよう玄関へと向かっていく、どうやらみんなは各々一人の時間を楽しんでいるようだ。
……チャンスだ。
抜き足、差し足、盗み足。
そして遂に家から誰も気づかれずに出ることに成功。
ふふ、これで安心して――。
「こーたくん。こんな時間にどこにいくの?」
ビクッと体を震わせる。
……なんでここにいるんだ。
「俺はすこーしだけ散歩に行こうとしてた所」
「そう……」
真白さんは少し悲しそうに俯く。
「じゃあ、もう行くね」
俺は場の気まずさに早々に切り出すと逃げるように小走りで走ろうとした時。
真っ白で綺麗な手が俺の手を掴む。
「えっと……」
「私も行っていい、かな?」
真白さんは少し照れくさそうにそしてはにかんだ笑顔で俺の手を離そうとしない。
本当は散歩などまっぴら嘘でコンビニに早く直行したい所だけど……そうもいかないな。
「うん、いいけど。本当にちょっと行くだけだし……」
「それでもいいよ」
ぐぬぬ、渋々了承したのはいいもののどうやって真白さんを撒こうか。
俺は真白さんと歩く中で思案する。
「明日の勝負本当に大丈夫なの?」
心配そうに顔を覗き込んで来る。
その顔は実に可愛らしくそしてあざとい。
「うん、勿論大丈夫だよ」
「こーたくんのその自信に嘘だった時はないもんね」
真白さんが苦笑する。
「そうかな。ても今回は本当に負ける気がしないんだよ」
俺は本音のまま話す。
俺と真白さんは海を見ながらありふれた雑談をする。
たびたび真白さんと手が触れそうになった時があったが、触れそうになるたび、わざと少しだけ距離を取る。
……これ以上近づいたら、何かが変わってしまいそうで。
真白さんはジト目で俺を見る。
……最近、藍川さんと真白さんの俺への当たりが強いからな、この出来事で当たりが強くなった時にはもう悲しすぎて部活辞めちゃうかも。
「……最近さ思うんだよね。こーたくんの呼び名のこと」
「呼び名?それがどうしたの」
こーたくんというのはいつも真白さんが俺を呼ぶ際のあだ名のことだが……何かあったのか?
「正直さ馴れ馴れしすぎたよね。幼馴染とはいえ」
「別にそんなことないけど……」
「いや、馴れ馴れしすぎたの。こーたくんとか正直子供っぽいし……」
真白さんは手で顔を覆い隠す。
そして「だから」と覆い隠した顔を少しずつ俺に向ける。
その顔は"見たことがない"初めての顔で。
「琥太郎……って呼んでいいかな」
「へ?」
俺がキョトンと目を細めていると。
「い、一応幼馴染だし、さんとかくんとか付けたほうがいいんだろうけどさ、私たちの関係だし……いいよね」
「も、勿論、いいよ」
「琥太郎、これからも……隣にいていいよね?」
「う、うん」
真白さんは天使のような微笑む。
それは海の安心する音といつまでも見ていられる景色に綺麗に重なって見えた。
***
……いや、違う。これはそういうのじゃない。
ただ――少しだけ、目が離せなかっただけだ。
この人可愛すぎないか。
真白さんのいつもより妖艶なその様子にジッと顔を見続けてしまう。
「ふふ、私の顔何かついてるの琥太郎」
「い、いや別に……」
俺はしまったと思い顔を逸らす。
「琥太郎、コンビニ行きたいんじゃないの?」
ギクッ、図星を当てられ俺の体がぴくりと震える。
「どうして……」
俺が恐る恐る聞くと。
「どうしてって、コンビニの前だよ。ここ」
「え?」
話しているうちに、気づけば見覚えのある明かりが目に入る。
見るとコンビニがドンっとそびえ立っていた。
お腹が空くあまり自然にコンビニに来てしまったのか。
「え、あ、うん。じゃあ折角だし買おうかな」
真白さんは微笑を浮かべながら頭を少し傾ける仕草をする。
「じゃあ先帰ってるね。もう夜十時だしみんなも心配してると思うから」
ふぅ、やっと落ち着ける。
俺が安心したのも束の間。
ふんわりと柔らかくいい匂いのする"人"が俺に抱きついて来る。
天使のように軽く、そして超いい匂い。
「へ?」
そして耳元で囁く。
「琥太郎」
実に真白さんらしい小悪魔らしい発想だが。
……残念、俺にはどうして見破れてしまう。
この抱きついている人間の正体に。
「泰葉ストーカーするのやめなさい」
俺が呼び掛けるとヒョイ顔を覗かせてきた。
「バレちゃった?」
「バレバレだよ。いつもお前を抱き抱えてるし、それ匂いが泰葉のいい匂いだったしね」
「えへへ」
泰葉が照れるように顔を掻く。
どうせ俺が家を出て行った時からついてきていたんだろうな。
「えへへじゃない。夜一人でいたら危ないでしょ。また変な奴にナンパされるじゃないか」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ」
「大丈夫じゃない!」
泰葉が真白さんに聞こえないような小さな声で囁く。
「……優子さんがラーメン作ってくれるって」
その一言で、さっきまでの空気が全部吹き飛んだ。
俺は泰葉と顔を見合わせる。
……わかってるって。
余力はまだある。
「あー、もう許せない!家に帰ったらお説教するから!」
俺は泰葉をおんぶしたまま優子さん宅に足早に向かっていく。
……早く帰ってラーメン食べたい。
「……ずるいよ、泰葉ちゃん」
そう真白さんの声が人気の無い夜中に響き渡る。




