12月(下)
リチャードとて馬鹿では無い。
彼とていろいろと考えているし、考えないわけは無い。
忘れているかもしれないが、彼はシスタニア帝室始まって以来の天才と呼ばれた男である。
察しが悪いわけも、思慮が浅いわけでも無いのだ。
「エドワードもミストラルも余計なことをしてくれたものだ」
深夜、寝室――妹の、というところが何とも罪深い――に向かいながら、リチャードはひとりごちていた。
と言うのも、彼はベガを取り巻く状況をほぼ正確に認識していたからだ。
認識してはいるが、まさかベガに直接言うわけにもいかない。
なのでいつも以上にヴィクトリアに構ってみた。
まぁそれは素だろうと言う向きもあるが、そろそろヴィクトリアからの無言のプレッシャーもつらい。
しかし、である。
「……ふむ」
彼にも、考えと言うものはある。
むしろ思慮深いからこそ、優しいからこそベガに対して踏み込めない。
そう言う部分で一歩を留めてしまうところは、少し人間らしい感じがした。
普段の彼は妹想いと言う点を除けば、近寄りがたい程の完璧さの中にいるのだから。
「そろそろ、何か手を打っておいた方が良いか……」
などと言いつつ、気がつけばヴィクトリアの寝室の前まで来ていた。
途中のメイドや衛兵――女帝故に、衛兵も女だ――達は慣れたもので、そんなリチャードを見事なまでにスルーしていた。
シスタニア帝室の侍従の教育は良くできているようだった。
「ヴィクトリア、入るよ」
「いや、ノックくらいしろよ」
パタン、と。
リチャードは寝室の扉を閉めた。
気のせいか、ヴィクトリアの寝室の扉を開けたらヴィクトリア以外の人物がいたのである。
しかも寝巻き姿で、ベッドに腰掛けていた。
……いやいや、とリチャードは頭を振った。
よもやそんなことはあるまい、仮にもここは皇帝の寝室だ。
自分以外の人間は決して近づけないようになっているのだ、それに例外は無い。
だからきっと見間違いだろうと、そう思ってリチャードはもう一度寝室の扉を開けた。
「……むお?」
「…………よぉ」
すると、やはりそこにはヴィクトリアとは違う人物がいた。
それはリチャードも良く知る人物で、と言うかまさにその人物のことを考えていて。
ベガが、ややバツの悪そうな顔でそこにいた。
◆ ◆ ◆
ヴィクトリアの寝室にヴィクトリアはいなかった。
リチャードは一瞬混乱したが、持ち前の精神力で我を取り戻し、そこにいるのがベガだと認識した。
そこまで行くと、彼は冷静さを取り戻してベガに接することができた。
「ヴィクトリアが、兄さまは毎日来るからってさ」
「うむ、確かに」
そこは事実なので、否定はしなかった。
思えば就寝の時間にこうして2人でいるのは珍しいと、リチャードは思った。
自分がヴィクトリアの寝室にいるせいなのだが、奇妙な気もした。
ただ、良い機会と思うことにした。
「あー、それでさ、その」
「すまなかった」
「え?」
何かを言おうとしてまごついている様子のベガに対して、リチャードは言った。
ベッドの端と端、背中を向け合いながらの会話だった。
なので、お互いの表情は見えない。
「エドワードとミストラルに頼まれていただろう」
何が、とは言わない。
いちいち言わなくても良いと思っている。
伝わらないのであればそれもまた良し、だがベガの聡明さを彼は良く知っていた。
だからきっと伝わるだろうと、そう思ってもいた。
リチャードも馬鹿では無く、ベガが周囲から何を求められているのかは良くわかっていた。
それはつまり自分に求められていることでもあるのだが、自分に意見する者がいるはずも無い。
リチャードは並ぶ者のいない大帝国の最高権力者なのだから。
そうすれば、ベガの方へと期待が流れていくのは当然の帰結だった。
「嫁いできたくれた時にも言ったが、無理強いはしたくない」
だからこそ、ベガが出来るだけ責任を感じないようにと心を配ってきた。
寝室を共にしないのも、そう言う心理から来ている。
もちろんヴィクトリアが可愛い余りにそうしているのだが、それだけでは無かったのだ。
「お前は妃の役割を十分に果たしてくれている。だから」
「いやいやいやいや」
「うん?」
すると、どうしたことかベガがこちらの肩をつかんでいた。
振り向けばベッドの上を四つん這いで渡ってきたらしく、膝をついた姿勢でリチャードの肩に手を置いている。
そして、ベガは言った。
「そう言うのいいから、ほんとに」
「え? いやしかしだな」
「ほんとに」
その時のベガは、これ以上無い程の真顔になっていたと言う。
◆ ◆ ◆
本当に、そう言うのは良かった。
胸の奥のもやもやが頂点に達した心地で、ベガはリチャードの肩を掴んでいた。
何やらリチャードが「あの、爪が食い込んで……」とか言っているが、そんなことは耳に届いていなかった。
それよりも、今の気の遣い方が気に入らなかった。
ベガはベガなりに今回の事態を重く見て、柄にも無くいろいろと考えたり悩んだりしていたのだ。
だと言うのに、そう言うのを飛ばして今の言い様をされると、何と言うか。
「あのなぁ、私はなぁ」
まるで、嫌々やっていると思われているみたいじゃないか。
「そりゃ、最初は嫌だったよ」
嫁いで来た当初は、「大帝国の妃」と言う大き過ぎるドレスに嫌気がさしていた。
知り合いも誰もいない、それでいて壊れ物のように扱われる。
信じられないくらいの、贅を尽くした生活。
だけどそんなものは、ベガは欲しいなんて思ったことも無かった。
むしろストレスである。
「でも、ちょっとずつ慣れてきたんだ」
生活様式には慣れない。
でも、人には慣れて来た。
リチャードやヴィクトリアは、思っていたよりもずっと自分に良くしてくれた。
エドワード達だって、異国で苦労しているだろうと気にかけてくれていたと思う。
嫌いじゃ無かった。
いや、ここが好きになった。
だから頑張って、妃をやっていこうと思えた。
ここで。
「お前の奥さんだって、ちゃんとやってただろ!」
公の場では妃らしくした。
私的な場でも、リチャードの傍にいて呆れられるようなことはしなかったはずだ。
宮殿のメイド達とも、会話こそ無いがいろいろと通じてきていると思う。
並大抵の苦労では無かった。
それもこれも。
「お前の奥さんやるためだろ」
それもこれも、リチャードの妻として恥ずかしく無いように。
リチャードに恥をかかせないためにと、頑張ってきた。
「お前だって」
勢い、としか表現できないだろう。
「お前だって、私の旦那やってただろ」
ベガ自身も驚いている。
それだけ、さっきのリチャードの言動が辛かったのだ。
最初の頃ならいざ知らず、今になって突き放すような気遣われ方は苦しかった。
「それとも何だ、ヴィクトリアに言われたから続けてるのか」
気付けば、視界が滲み始めていた。
自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。
ここまで来ると、後は本当に勢いで喋るしかなかった。
「お前ってやつはほんとにシスコンだな。妹が気に入れば誰でもいいのか」
「ベレンガリア」
「私だって、嫌な奴と夫婦なんかやってられないよ」
「……ベガ」
「それとも何か、ヴィクトリアが欲しいって言えば、子供だ」
「ベガ」
そっと目尻の雫を指で掬われて、ベガは口を噤んだ。
思ったよりも近い位置にお互いがいて、驚いた。
そんなベガの様子に、リチャードは嘆息した。
どこか、自分自身を責めているような様子だった。
「確かに俺は、ヴィクトリアのお願いは全部叶えてきた」
そこを否定したらリチャードでは無いので、仕方ない。
「だがこの結婚はヴィクトリアの発案では無く、あくまで帝国の慣習に基づいたものだ」
しかし続く言葉には、ベガは目を丸くした。
リチャードは頬を掻くようにして、ベガから目を逸らした。
まじまじと、ベガはその横顔を見つめた。
「もちろんヴィクトリアが相手を気に入るかは重要なところだが、それは嫁いでくるまでわからないところであってだな」
「……えっと」
「それは思いのほか問題なかったので、ほっとはしたが」
「それってさ」
「ヴィクトリアの意思が無いところは、当然俺の意思であって。つまりだな」
「あのさ、リチャード」
ずい、と身を乗り出して、ベガはリチャードを見つめた。
もしかして、と思った。
あれ、と思って、もっと早くにそうするべきだったのかもしれないと、そう思った。
とても簡単なことだったのに、不思議と「そう」はしなかった。
「……隣で話しても、良いか?」
2人で話し合うこと。
最初にするべきだったことだが、今になってようやく思いついた。
リチャードもベガも、相手に気遣いはしたが、「そう」しようとは思いつかなかった。
実は似た者夫婦だったと、そんな話だった。
◆ ◆ ◆
「兄さまはね」
リチャードと言う男は、寂しい男なのだ。
両親や周囲から期待は受けても愛を受けられず、何でも簡単に出来てしまうために達成感を得たことも無い。
その胸には深い空虚があり、無意識の内に穴を埋めてほしいと願っていたのだ。
だから妹が生まれて、無垢な眼差しで慕われるようになって変わった。
変わったというよりは、反動と言った方が正しい。
それまで心の奥底で溜め込んでいたものが、シスコンと言う形で溢れ出したのだ。
愛されたい、愛したい、そんな感情だ。
「姉さまはね」
ベレンガリアと言う女は、優しい女なのだ。
母国のために大国に嫁ぎ、自分を殺して日々を過ごしていた。
だから周囲に優しくされると戸惑って、ますます自分を律しようとする。
聡いが故に、そうしてしまうのだ。
けれど夫の妹が無垢に慕ってくるので、そんなことを考えている暇がなくなった。
手を引かれるままに国中を連れ回されて、だんだんと夫の国が好きになった。
好きになってくれる。
だから、やはりベガは優しい人なのだ。
「だからきっと、兄さまと姉さまは仲良くなれると思うの」
にっこりと笑ってヴィクトリアはそう言った。
「そうなってくれたら、とっても嬉しいの」
その笑顔の先には、2人の人物がいた。
エドワードとミストラルである。
「でも、むりやりはだめ」
ヴィクトリアとしては、もちろんそうなってくれるのが一番だ。
けれどそれは、2人が話し合って、互いにそうなりたいと思ってくれないと意味が無い。
外野がとやかく言う問題では無い。
たとえそれがヴィクトリアでも、だ。
だからヴィクトリアは言った。
めっ、と、指を振るようにして、自分よりもずっと大人の2人に対して。
ヴィクトリアは、シスタニア大帝国の皇帝は言った。
「2人の邪魔しちゃだめ!」
それに対して、2人は特に何も言わなかった。
と言うより、何も言えるはずも無い。
2人はあくまで皇帝ヴィクトリアの臣下であって、普段は摂政リチャードが皇帝のように思われているとしても、その関係性は変わるはずも無い。
2人は深々と頭を下げて、了承の意思を伝える。
それを見て、ヴィクトリアは満足げに頷く。
一方でヴィクトリアは、リチャードとベガとのことを良く理解していた。
2人が本当は、ちょっとしたきっかけさえあればすぐに「仲良く」なれるのだと言うことを。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
本編的にはこれで完結、といったところでしょうか。
リチャードとベガの関係はこれから、みたいなところで終わった形です。
2人の今後は、皆様の想像の中で……(投げっぱなしか)
その一旦は、最後のエピローグで描写できたらと思います。
それでは、また次回。




