11月(上)
懐かしい匂いで、目が覚めた。
目が覚めてベガが最初に目にしたのは、土の天井だった。
帝都の宮殿や離宮ではまず間違いなく見ない、何年もの風雨に耐えて乾いた土だ。
宮殿どころか、帝都でだって見ないだろう。
修繕の痕がそこかしこに見える薄い布の下は、草のベッドだ。
柔らかい草を布の中に敷き詰めているので、息を吸えば草葉と土の香りが胸いっぱいに広がる。
久しぶりの匂いに、しばらくの間目を閉じていた。
帰って来たんだと、そんな気持ちになれた。
『ベガや、そろそろ朝ご飯の時間だよ』
「あ、うん。起きてるよ……お母さん」
室外からの声に、ベガは「お母さん」と返した。
帝都にいわゆる義母はいない。
だからここで言う母親とは、ベガにとっての実母を意味する。
その声もまた懐かしいと、ベガは思うのだった。
「よっ、と」
ベッドの上で身を起こせば、1年前に嫁いで行った時と何も変わっていない部屋が見える。
大体が土と木で出来た家具ばかりで、唯一目立つ物と言えば毛織物のカーペットくらいだ。
人間1人がやっと生活できる程のスペースの部屋で、帝都でベガにあてがわれた寝室の3分の1の広さも無いだろう。
ただベガにとっては、帝都の広すぎる寝室よりも温かみを感じるのだった。
「ふあーあ……」
欠伸を噛み殺しながら、ベッドから降りる。
部屋用の靴も、やはり木製だった。
歩く度にカポカポと音を立てるのが、どこか可愛らしい。
木靴越しに感じるごわついたカーペットと、その下にある固い土の感触。
今にも崩れ落ちそうに見える土の壁に、やはり今にも倒れそうなガタついた木のテーブルと椅子。
小さな錆び付いた鏡に自分を映して、寝乱れた髪を整えていく。
ほんの1年前までは、むしろこちらの方が日常だったのだ。
それが今は懐かしいと思える程に、帝都での生活が濃密だったのかもしれない。
「まぁ、騒がしいところだからな」
クスリと笑って、ベガは立ち上がった。
着ている服も上等なシルクのドレスではもちろん無く、麻で出来た粗末なワンピースだった。
シルクに慣れ始めていた肌にはややチクチクとするかもしれないが、ベガはそれが嫌いでは無かった。
「さて、行こうか」
――――ここはアイディアル地方東部、ウォーム王国。
ベガの、実家であった。
◆ ◆ ◆
一応、ベガの両親は国王と王妃と言うことになっている。
ただ猫の額程の領地――シスタニアの中堅以上の貴族の方がよほど大きな領地を持っている――しか無いウォーム王国にとって、国王とは地主の別名に過ぎない。
国王であるベガの父親とて、自ら鍬を振るって小作人達と農地を耕す毎日だ。
「ははは、突然帰ってくると報せが来た時にはどうしたことかと思ったわい」
実際、当の本人は小太りのおじさんにしか見えない。
帝都の王侯貴族のような立派な服など着ておらず、泥と汗で汚れた麻の服を着ている。
清潔感は無いが、ベガはこの父親の土の香りを漂わせる匂いが嫌いでは無かった。
まぁ、実り豊かな作物を育てている割に、毛髪は非常に残念なことになっているのが愛嬌と言えばそうだろうか。
「本当だよ、何かあったのかと思ったじゃないかい」
そして、夫と同じように小ぶ――少しばかりふくよかな母親が、薄いスープを木皿によそいながらそう言った。
急な里帰りだったため、驚かせてしまったのだろう。
ただベガに言わせれば、ベガ自身予期せぬ里帰りだったのだから許して欲しいと思う。
「ごめん。お父さん、お母さん」
「いいんだよ、いつでも帰っておいで。ここは今でもお前の家なんだから」
ただ、温かいなと思った。
帰って来て良いんだと言う両親の気持ちが嬉しくて、嫁ぐ前と何も変わっていないことが嬉しくて、ベガははにかみながら頷いた。
スープの入った木皿を受け取って、素朴な香りを楽しんだ。
「それにしても」
そうしながら、母親は首を傾げながら言った。
「いったいどうして、こんな半端な時期に里帰りなんだい?」
「あー……」
昨日は遅い時間に着いたので、ほとんど何の説明もしていなかった。
ベガはとても困った表情を浮かべた。
何故ならば、今回の里帰りはそもそもベガが言い出したことでは無く。
「姉さまっ!」
その時だった、ドタドタと騒がしい足音が家の外から聞こえて来た。
声の主はすぐの家のドアを乱暴に押し開けると、簡素だが上質な衣服を泥に塗れさせて、手に持っている何かを掲げて見せて来た。
白くて丸い実に緑の葉っぱのそれは、カブだった。
「姉さまっ、これね地面からにょきにょきってしてたんだよ!」
何故突然の里帰りなのか。
それは、ヴィクトリアが言い出したからである。
理由は簡潔だが、たぶん理解はされないだろうな。
自分にカブを見せて大喜びのヴィクトリアを見ながら、ベガはそう思った。
◆ ◆ ◆
作物の出来にも左右されるが、農家の食卓の彩りは豊かだ。
今も採ってきたばかりのカブをさっと洗って切り、サラダとして出してしまった。
まぁ、カブだけでサラダと言えるのかは判断が別れるだろうが。
「にが~い~」
自分で食べたいと言っておいて、いざ食べたら不味いと文句を言う。
流石のヴィクトリアクオリティと言うべきで、カブの苦味に顔を顰めている。
「こらっ、ダメでしょそんなこと言ったら。ちゃんと残さず食べるんだよ!」
「うえええぇ~」
ただ、ヴィクトリアを相手にそんなことを言う母親に戦々恐々とするベガだった。
もしここにリチャードがいたらと思うとぞっとするが、幸い彼はここには来ていない。
最後に見たリチャードは、エドワードの手で簀巻きにされていた。
ちなみにヴィクトリアはリチャードの叫びが聞こえないかのように振る舞っていた、もしかしたら本当に聞こえていなかったのかもしれないが。
一方で、ベガは少し驚いてもいた。
温室育ちの――アウトドア派ではあるが――ヴィクトリアが帝都に比べて衛生的とは言えない環境に馴染み、畑から普通に作物まで採ってきている。
さすがに図太いと思うが、むしろそちらは予想できていた。
(何か、やけに素直だな)
今もベガの母親に叱られて、素直にカブを残さずもそもそと食べている。
普段なら人の言うことなど聞かないだろうに、珍しいこともあるものだと思った。
ただ、食べ物を残さずに食べるのは良いことだと思う。
帝都では食べ物の量があまりにも多く、毎日のように多くの食べ物が食べきれずに捨てられている。
ベガは言葉にこそしなかったが、それをいつも嫌な気持ちで見ていた。
「う~、ごちそうさま」
「はい良く食べれたね、偉いよ」
「う? えへ、えへへ」
だから残さず綺麗に食べて母親に頭を撫でられているヴィクトリアを見て、ベガは良かったと思った。
最初はどうなることかと思ったが、両親ともにヴィクトリアと上手くやれている様子だ。
ヴィクトリアも根が素直だから、受け入れられやすいのだろう。
これがリチャードだったらどうなっていたかと、ちょっとだけ酷いことを考えるベガだった。
◆ ◆ ◆
ウォーム王国は、アイディアル地方の東に位置する小さな国だ。
特産品などと言う洒落た物は無く、なだらかな丘陵と一年を通して温暖な気候のおかげで農業が盛んなことくらいだ。
つまりウォームの民は、基本的に農民だけと言うことだ。
「ねこ! にゃんこ待って――――!」
「きゃー!」「わー!」
朝食を終えて、ヴィクトリアがウォームを見て回りたいと言い出した。
すると当然ベガが面倒を見なくてはならないので、散歩がてらついて来たのだ。
するとどうだろう、外に出た途端にヴィクトリアはウォームの子供達の輪に入って行ったのだ。
今は子供達皆で猫を追いかけている、ネズミ捕りとして活躍中の猫だ。
ヴィクトリアの環境適応能力は、ベガが思っていたよりもずっと高かったらしい。
元々ヴィクトリアは偏見が少なく、また子供らしく活動的だ。
そう言う意味では、ウォームに馴染むのも難しくはなかったのかもしれない。
気をつけるべき点があるとすれば、不慣れや無知なために怪我をしないようよく見ておくぐらいか。
「にゃ~ん」
「お?」
猫がこちらに駆けて来た、そのまま麻の布地に器用に爪を立ててベガの首の後ろに登ってくる。
すると自然、ヴィクトリアを含む子供達がわらわらとベガの足元に寄ってくることになる。
「姉さまズルいっ、にゃんこ!」「ねこー!」「ひめさまだー」「わー」
「ちょちょちょ、待て待て待って待って」
ぴょんぴょん跳び跳ねて不満を表す者、ぐるぐると周りを回る者、すがりついてえへへと笑う者、周りに合わせてわーわー言うだけの者。
子供によっていろいろだが、いずれにせよ皆で寄ってたかってこられるとちょっと困る。
農家の大人達はクスクスと笑うばかりで助けてくれない、ベガは苦笑いを浮かべるしかなかった。
まったく、実家に戻ってもこれでは気の休まる暇も無い。
「にゃんこっ、にゃんこ~おいで~!」
それにしても、ヴィクトリアはどうしてベガの実家に来たがったのだろうか。
良くわからないが、ヴィクトリアの行動などそんなもの。
きっと、この小さな頭でまた何か考えたのだろうと、ベガはそう思った。
単純で、それでいてきっと何か大切なことを。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
寒い! と言うわけで作中で温かいところに逃げ込みました(え)
それでは、また次回。




