9月(上)
9月の離宮は、グレイプ宮と名付けられている。
この離宮には皇室所有の果樹園が隣接しており、季節の果物が常に木々の枝についている。
夏の暑さが過ぎ、秋の作物が姿を見せ始めるこの時期の離宮だからか、今は特に香ばしい香りが果樹園全体に漂っていた。
「うう、どうしてヴィクトリアはこっちに来てくれないんだ……」
「そりゃあ、固い膝より柔らかい膝の方が良いでしょうよ」
だと言うのにリチャードはさめざめと涙を流していて、果樹園まで書類を持って来た――しかも箱で――エドワードが、辛辣なのかどうなのか良くわからないことを言っていた。
果樹園の中央に敷かれたシートの上でも執務をしなければならないあたり、国政と言うのはやはり忙しいものらしい。
最も、そのあたりのことはベガにはわからないことだった。
そしてベガはと言えば、同じシートに膝を折って座っていた。
その膝の上には、もはや定位置とでも言うべきか、ベガが頭を乗せていた。
周りには果物を乗せたお皿があり、ほとんどは果肉を食べた後のようだった。
どうやら、ヴィクトリアはベガの膝の上で食後のお昼寝をしている様子だ。
「んー……むにゃむにゃ……」
「ふふ、どんな夢を見てるんだ?」
微笑んで、ベガはヴィクトリアの髪を優しく撫でた。
ヴィクトリアが静かなのは、基本的には寝ている時だけだ。
こうして静かに眠っているヴィクトリアの横顔を見ていると、幼いながらも目鼻立ちの整った顔立ちをしていることが良くわかる。
「将来はきっと、美人になるんだろうな」
もしかしたら、ミストラルよりも美人になるのだろうか。
そうしたら、きっと男が放っておかないだろう。
ただ、リチャードが今以上に騒ぎそうではある。
その様子が容易に想像できて、ベガはくすりと笑った。
「んー……兄さま、はんざいしゃ……」
ぶっ、と吹き出した。
本当に、いったいどんな夢を見ているのだろうか。
ヴィクトリアの寝言は、概ね良くわからないことが多い。
子供は想像力が豊かだと言うから、案外とメルヘンな夢でも見ているのかもしれない。
それにしても、リチャードが犯罪者とは穏やかでは無い。
リチャードは色々とアレなところはあるが、妹が絡まない限りは常識人なのだ。
まぁ、仮にシスコン罪と言う罪状があれば即決で有罪だろうが。
さて、このお姫様はどんな夢を見ているのだろうか?
「……むにゃむにゃ……」
覗けるものなら覗いてみたいものだと、ベガは思った。
◆ ◆ ◆
――――ヴィクトリアは、甘い香りのするお城にいた。
それは尖塔がいくつも建っているいかにもな雰囲気のお城で、ただお城とは言っても、色鉛筆か何かで描かれたかのようにディティールが崩れていた。
ただ、不思議とそれをおかしいとは思わなかった。
「……♪」
ヴィクトリアには、常々不満があった。
どうして世の中は、美味しいお菓子と可愛いぬいぐるみだけで出来ていないのだろうと。
ご飯の前にはお菓子を我慢しなくてはいけないことも、ぬいぐるみとお話をすると変な目で見られることも、ヴィクトリアにとっては大きな不満だった。
だが、今のヴィクトリアはとても上機嫌だった。
何故なら、ふわふわとした色合いの世界を背景に、好きなもの両方に囲まれていたからだ。
お菓子と、ぬいぐるみである。
「こっちは、チョコレート。こっちは、クッキー」
壁はチョコレート、調度品は飴細工や氷砂糖、階段の欄干はクッキー、お城を形作る全てのものがお菓子で出来ている。
お菓子のお城と言うのが、1番正しい表現だろう。
そんな中で、ヴィクトリアは手当たり次第にお城の一部を千切っては甘いお菓子に舌鼓を打っていた。
そしてそんなヴィクトリアの周りを、ぬいぐるみの楽団がくるくると回っている。
ぬいぐるみ達は太鼓やトランペットを演奏しながら、お菓子で手や顔をべたべたにしたヴィクトリアを楽しませていた。
ヴィクトリアにとって、それはまさに夢のような世界だった。
「…………」
ふと顔を上げるヴィクトリア、何かを思い出したようだ。
もっもっ、と今度はケーキのテーブルを口いっぱいに頬張ったまま、きょろきょろとあたりを見渡している。
どうやら、何か――と言うより、誰かを探している様子だった。
「姉さま」
そうだ、姉さまも連れて来てあげよう。
ヴィクトリアはそう思って、ケーキを一掴み握ったまま歩き出した。
その後を、ぬいぐるみの楽団がどんちゃんどんちゃんと賑やかについていく。
カルガモの行列と言うか、子供の後をついていくぬいぐるみの列はファンシーな光景だった。
◆ ◆ ◆
お菓子のお城は、どこまでも続く。
ぬいぐるみ達のオーケストラをバックに、途中でお菓子を食べながら先へと進んでいく。
ヴィクトリアは甘いお菓子に上機嫌な様子で、ぬいぐるみ達の演奏に合わせて歌ったりしていた。
そうして進んでいると、段々と周りの景色が変わってきた。
それまでの柔らかくふわふわとした雰囲気から、よりしっかりとした建物らしい雰囲気に変わったのだ。
建物らしいと言っても、ディティールの甘さはそのままだ。
その代わりに、いつの間にか周りが真四角の空間になっていた。
色調は赤、ヴィクトリアが足を止めて顔を上げると。
「証人は早く前に出なさい」
声を聞いただけで厳格とわかる。
そんな声が上から聞こえて、ヴィクトリアはびくっと身を震わせた。
顔を上げると、四角い何かが浮いていた。
床石が1ブロック分浮いているようなイメージで、そこには大きな椅子と小さな女性が座っていた。
天井から吊り下げられているので、ブランコのようにも見える。
「証人、早く前へ」
そこには見覚えのある美人が座っていた、と言うかミストラルだった。
黒い法衣姿で、何やら木槌でカンカンと肘置きを叩いている。
何か、イメージが間違っているような気がしないでも無かった。
「……!」
気が付くと、周りの様相がまた変わっていた。
ガチャガチャと床から壁から赤い柱や椅子等が飛び出してきて、四角い部屋の中に凹凸を作り出したのだ。
そしてヴィクトリアには知る由も無いが、その部屋の形はあるものに良く似ていた。
奥側に壇がある椅子に、その正面の段下に別の椅子がある。
そしてその左で向かい合うように別の椅子があり、それぞれの椅子の前には机が置かれていた。
さらにその後ろには柵があり、柵の後ろには長椅子が並んでいた。
当然、奥側の椅子に座っているのがミストラルである。
「なーに、ここ?」
「ここは裁判所です、証人は早く席につきなさい」
そう、裁判所である。
ミストラルが示すのはお立ち台にも似た場所で、そこにも柵があった。
不思議に思いつつも、ミストラルの指した所に素直に歩くヴィクトリア。
唯一の難点があるとすれば、柵はヴィクトリアの身長よりも高いと言うことだった。
◆ ◆ ◆
「それでは、被告人は前へ!」
裁判である以上は当たり前だが、被告人がいなければ裁判は出来ない。
ミストラルの言葉と共に入廷してきたのは――――。
「あ、兄さまだ」
入廷してきたのは、リチャードだった。
これについては特に驚かなかった。
むしろヴィクトリアとしては、リチャードを連行してきた巨大なクマのぬいぐるみの方に興味があった。
ぶっちゃけ、兄であるリチャードには興味を持たなかったようだ。
一方で、連行されてきたリチャードはヴィクトリアを見つけると、キラキラと輝くような笑顔を浮かべていた。
ただジャンプして柵を飛び越えようとしてきたところをぬいぐるみの衛兵にボコられていたので、どこでも同じような扱いを受ける運命なのかもしれない。
ガンガン! と、ミストラルが木槌を叩きつけた。
「被告人は静粛に! 余り騒ぐようだと、罪状がさらに重くなりますよ」
「しかしミストラル! ヴィクトリアが俺の膝の上にいないと言うのはどう考えてもおかしい!」
「静粛にと言っているのがわかりませんか、リチャード?」
柵が高くて困っていたヴィクトリアだが、良く見れば法廷の柵もお菓子だった。
一点機嫌良く柵の一部をむしり取って、ヴィクトリアはチョコレートにかぶりついた。
席上のミストラルもそれに気付いていたようだが、特に何も言うことは無かった。
「兄さま、悪い人なの?」
「お兄ちゃんはヴィクトリアのためなら何でもやるぞぅ!?」
相も変わらず、残念な答えであった。
しかしヴィクトリアは、チョコレートを食べながらも小さな頭で考えた。
はたしてリチャードは、どんな悪いことをしたのだろうか。
なおこの時、ヴィクトリアが「兄が悪いことをした」と言う点については疑っていない様子だった。
さて、リチャードの悪事。
正直なところヴィクトリアはリチャードの行動に大して興味が無いので、これと言って思いつくことは無かった。
それでいてリチャードが無条件で悪いと思っているあたり、この妹が普段から自分の兄をどのような目で見ているかが良くわかると言うものだった。
「それではこれより!」
そんなヴィクトリアを余所に、ミストラルが開廷の宣言をした。
「被告リチャードの、シスコン裁判を執り行う!」
何ともリチャードらしい罪状だが、真面目に言われるとどこか滑稽に響く罪状だった。
はたしてリチャードのシスコン罪とはいったい、どのような罪なのだろうか。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
シスコン裁判! 妹を愛するだけで罪になる世界。
たぶん私は生きていけない(え)
それでは、また次回。




