8月(下)
温かい、と言うより、暑い地域の植物を持ち込んで作った庭園を、ベガは歩いていた。
1人で歩いているわけでも無く、と言ってメイド達に囲まれて歩いているわけでも無い。
ベガは、ミストラルと隣り合って歩いていた。
「あの、お話と言うのは……?」
「別に畏まった話し方をする必要はありません。それにどちらかと言うと、畏まるべきはわたしの方でしょう」
声音はやはり淡々としていたが、リチャードに対するものよりは幾分か柔らかいように感じた。
ただ、それはベガの願望がそう聞こえさせているだけかもしれない。
実際、背筋をピンと伸ばして歩くミストラルの姿には隙が無く、どうしても話しかけにくく感じてしまうのだ。
そんなベガの緊張を感じ取っているのか、ミストラルの歩みは緩やかだった。
残暑の陽光を楽しむような足取り、そして目を閉じて大きく息を吸い込む仕草は、彼女が庭園の花々の香りを楽しんでいると感じさせた。
熱帯地域に咲く花々は、いずれも香りが立つものばかりだ。
「良い庭ですね。枯れている花も無く、良い庭師を雇っているようです」
「離宮は、どこも綺麗なお庭でした」
「そうでも無いんですよ? 見た目だけが整っている離宮も、いくつかありますから」
「えっと、他の離宮も良く知っている……んですか?」
「ええ、まぁ」
ベガが知る限り、離宮に客は来ない。
パーティー等を催すこともあるが、それにしたって庭園を注意深く見るような輩はいないだろう。
離宮に仕えるメイド達だって、自分の職分以外のことは知らないはずだ。
それを良く知っていると言うだけで、ミストラルが皇室に近しい存在であることがわかる。
「リチャード」
花溜まりとでも言おうか、花の生垣に囲まれた空間に出た時、ミストラルはリチャードの名を口にした。
ドキッ、とベガの胸が高鳴ったのは、緊張か高揚か。
「リチャードとは、上手くいっていますか?」
「えーと、どう、と言うと」
「リチャードは夫として、あなたにきちんと尽くしていますか?」
何とも、答えづらい問いかけだった。
ここは社交辞令的に持ち上げてみるべきかとも思ったが、柔らかく細められたミストラルの目を見ていると、そう言うのも何か違うような気がした。
そんなベガの様子を気にすることなく、むしろあっけらかんとして、ミストラルは言った。
「あの人の妻をやるのは大変でしょう。何しろリチャードは妹のこと以外は何も考えていませんから」
「う、う――――ん」
あれ? と、ベガは思った。
もしかして。
もしかしてだが、もしかしてこれはもしかして?
――――リチャードのことについて、愚痴って良い場面だったりするのだろうか。
◆ ◆ ◆
ベガがいじめられていないか見張る。
そう言い出したのは、当たり前と言うか、ヴィクトリアだった。
「だがヴィクトリア、この距離からでは会話の内容が聞こえないのだが」
「兄さまうるさい、あっち行って」
本気で泣きたくなった。
しかし一方で、リチャード自身もベガとミストラルがどんな会話をするのかには興味があった。
先のやり取りをしていてもわかる通り、ミストラルは何と言うか、良い性格をしている。
初対面のベガにとっては話しにくい相手なのでは無いかと、彼なりに心配していたのである。
誤解している者も多いが、リチャードは意外と気を遣える男なのだ。
ただ優先順位が偏っているだけで、妹が絡まない限りにおいては常識人なのである。
最も、妹のこと以外を考えている姿をほとんど見ないために、そのあたりの良い面は他人には見えない。
おそらく、シスタニアでもエドワードを含む数人程しかリチャードのそうした人間性を知っている者はいないだろう。
「兄さま」
「何だい、ヴィクトリア」
庭園の茂みからベガとミストラルの様子を窺いながら、ヴィクトリアが言った。
あっちへ行けと言った次の瞬間には別のことを――それも、大体はリチャードが傍にいることが前提で――話していたりするので、リチャードとしては妹可愛さが倍増するのだった。
閑話休題。
「兄さま、姉さまのこと好きなの?」
「お兄ちゃんはヴィクトリアが1番だぞぅ!?」
物凄く冷めた目で見られたが、それで挫けるようならヴィクトリアの兄はやっていられない。
「じゃあ、ヴィクトリアが姉さまのこと嫌いになったらどうするの?」
「む?」
その可能性は考えていなかったのか、リチャードが珍しく即答できなかった。
今のところ、ヴィクトリアはベガに良く懐いている。
兄であるリチャードの言うことは全くと言って良い程聞かないが、ベガの言うことは素直に聞く。
それこそ実の兄よりも仲が良い様子で、リチャードとしては嫉妬を覚える今日この頃である。
では翻ってリチャードがベガのことをどう思っているのかと言うと、実は言葉にしたことが無い。
夫婦と言っても、公の場以外でそれらしく振る舞ったことも無い。
良く良く思い返してみれば、夫婦と言えるかどうかは微妙なところだった。
「……ヴィクトリアは、ベガが嫌いなのか?」
「ううん、姉さま好き」
「そうか。なら、良かった」
「…………そう」
ヴィクトリアは、リチャードの方を見なかった。
ただその小さな背中には、普段見せる幼さとは別の何かがあるように、リチャードには思えたのだった。
◆ ◆ ◆
ベガは、話した。
良く良く考えてみれば、リチャードのことについて誰かに話すのは初めてだった。
何しろ周りはもれなく皇室関係者なので、「リチャードをどう思っているか」なんて話せるわけが無かった。
「そうですよね、リチャードは一言目には「ヴィクトリアが~」ですからね」
「そうそう、そうなんだよ。たまには他に言うこと無いのかって感じで」
実際、言いたいことの1つや2つはあるのだ。
リチャードは良い人なのだが、最終的に全て妹が出てくるので台無しな人間でもある。
たまに、いや1日で良いからヴィクトリアのことを気にしない日があっても良いと思う。
最も、そんな日が来た時にはシスタニアが滅びるかもしれないのだが。
「不満、なのですか?」
「不満って言うか、まぁ……不満、なのかな」
そして、意外なことにミストラルは話を聞くのが上手かった。
話題を振り、相手が話し始めたら相槌を打ち、時に自分の言葉を添える。
無表情に見えていた表情も、しっかり向き合ってみれば小さく変わっていることにも気付いた。
気が付けば、ベガの口調も普通のものになっていた。
それにしても、ミストラルはリチャードのことを良く知っているようだった。
リチャードやエドワードの様子を見てもそうだが、気持ちの面でも親しいからこそあけすけに言いたいことを言えるのかもしれない。
だから、気になっていたことを聞いた。
「あの、ミストラル……さんは」
「ミストラルで結構ですよ」
「あ、ども。ミストラルは、リチャードと、その」
「どう言う関係か、ですか?」
小さく笑って、ミストラルはベガを見つめた。
うわ、と、ベガは思った。
美人が花咲くように笑うと、こんなにも綺麗なのかと驚いたのだ。
花が零れるような笑顔と言うのは、こう言うものを言うのだろう。
それに法衣でわかりにくくなっているが、ミストラルはスタイルにも恵まれているようだった。
むしろ法衣を着ているにも関わらず、ベガと横に並ぶと胸元の幅が大きく、それでいて身体は華奢で、なおかつ身長も高かった。
何と言うか、ベガが殿方であれば間違いなく放って置かないタイプの美女だった。
自分と比べる気にもならない。
「そうですね。あなたに言うことではないのかもしれませんが、私とリチャードは……」
ベガの問いかけに、ミストラルは微笑と共に言った。
「私とリチャードは、元フィアンセです」
「え」
その答えは、ことの他お腹にずしりと来た。
◆ ◆ ◆
一瞬、ベガは時間が止まったように感じた。
元フィアンセと言う言葉は、ベガが思っている以上に彼女に衝撃を与えた。
「あなたが現れなければ、わたしがリチャードの妻をやっていたのですが」
「あ、いや……その」
ベガだって、自ら望んで嫁いできたわけでは無い。
しかしベガがリチャードと結婚した事実は確かにあって、そのせいでリチャードと結婚できなくなった女性がいると言うのは、確かに一面としてあるわけで。
そう言う風に頭の中をグルグルさせていると、その様子がおかしかったのか、ミストラルがくすりと笑った。
「冗談です」
「え」
「ですから、冗談です。わたしは確かにリチャードの元フィアンセですが、それはあなたとは無関係です」
本当におかしかったのだろう、目尻に涙すら浮かんでいた。
そしてミストラルによると、彼女がリチャードと婚約していたのは子供の頃の話なのだと言う。
リチャードがそのまま皇帝になっていれば、ミストラルは皇后として嫁ぐことになっていた。
しかし周知の通り、リチャードは妹可愛さの余りにヴィクトリアを皇帝に立ててしまった。
ミストラルの実家はシスタニア帝国でも屈指の大貴族の家で、皇室への反発を示すために婚約を解消した。
つまりベガは本当に関係なく、ミストラルは言わばリチャードのシスコンの被害者だったのだ。
見方によっては、リチャードはフィアンセよりも妹を優先したとも言える。
「だからリチャードが妻を迎えたと聞いた時は、心配になったのです。本当に夫婦をやれているのかと、そうしたら案の定です」
先程まで不満を言い募っていたので、何も擁護できないベガだった。
「でも今日あなたに会って、少しほっとしました」
「い、いや、安心されるようなとこは何も。夫婦らしいことだって何も無いし」
「あら、そうですか? でも今日、あなたがわたしにしてくれたお話は十分にそれでしたよ」
「え?」
本当にわからないと言った様子で首を傾げると、ミストラルは笑みと共に言った。
「若奥様の、構ってくれない夫への不満。わたしにはそのように聞こえましたよ――――そうですよね、リチャード?」
ガサガサガサ! と音を立てて、茂みの中からリチャードが出てきた。
どうやら転んだらしく、振り向けば庭園の道に手をついていた。
そしてぎこちない笑顔を浮かべるリチャードに対して、ミストラルは溜息を吐いた。
「聞きましたよリチャード、どうやら相変わらずのようですね」
「い、いやミストラル。私もいろいろ考えてはいるんだ、しかしヴィクトリアが」
「何でも妹のせいにするのはやめなさいと、以前から申し上げているはずですが」
助けるべきかとも思ったが、下手に何かを言うとむしろリチャードの立場を悪くしそうな気がする。
そう思ってまごついていると、お腹のあたりにどんっと何かがぶつかってきた。
こちらはもう慣れたもので、咄嗟に受け止めた。
「姉さま、大丈夫? いじわるされなかった」
「されてないよ」
ヴィクトリアだった。
苦笑しながら応じると、ヴィクトリアは満面の笑みを浮かべてベガのお腹に頬をすり寄せてきた。
その際に頭を撫でてやるのは、もう習慣のような物だった。
「ねぇ、姉さま」
「うん?」
ぐいぐいと引っ張られるままに屈むと、耳元で囁かれた。
「姉さまは、兄さまのこと好き?」
と、何とも唐突に聞かれた。
ベガの頬に朱が差すが、ヴィクトリアがじっと真面目に見上げてくるので、適当に誤魔化すことは出来なかった。
と言って、どう答えて良いかもわからなかった。
だから身を屈めて、ヴィクトリアの耳元に口を寄せる。
ちらりと見てみれば、リチャードはミストラルにくどくどと何かを言っていた。
こちらを気にしている様子は無い。
「…………」
ぼそぼそと、ヴィクトリアに何かを囁き返した。
何と言ったのかは、誰にも聞こえなかった。
しかしその時にヴィクトリアが浮かべた花咲くような笑顔が、その内容を何よりも雄弁に物語っていた。
また1つ、2人だけの秘密が出来たような気がした。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
妻と妹、究極の選択……!(え)
それは冗談として、このお話も8月まで来ました。
12月まであと4ヶ月、季節を楽しみながらも頑張りたいと思います。
それでは、また次回。




