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8月(上)


 ポメグラネト宮は、白と黒の2色を基調としたモノクロのデザインの離宮だ。

 例えば通路の床は白と黒の大理石を交互に敷き詰めて造られており、チェス盤のようなイメージを受ける。

 家族が集まる談話室も例外では無く、白黒のカーペットはもちろん、調度品の色合いも白黒になるように意識されている。



「う――――む」



 そしてそんな前衛的な――芸術と言うのは良くわからない――造りの談話室で、リチャードは珍しく渋面を作ってウロウロと歩き回っていた。

 腕を組んで部屋を行ったり来たりするその姿は、明らかに落ち着きが無い。

 まぁ、普段から落ち着きの無いところはあるが……。



「兄さま、五月蝿い」

「ああ、ごめんよヴィクトリア!」



 ベガの膝の上からヴィクトリアが抗議の声を上げても、今日のリチャードは止まらなかった。

 いつもなら泣いてヴィクトリアに縋り付いているところだが、どうも様子がおかしかった。

 朝食の時からソワソワしていて、落ち着きが無い。



「見苦しいですよ閣下、少しは落ち着いたらどうですか」



 そして珍しいことに、今日はエドワードが離宮に訪ねて来ていた。

 いつものようにメイドが淹れてくれた紅茶を飲んでおり、見た目にはいつも通りのように見える。

 ただ飲んでいる紅茶がすでに10杯目であることを考えると、彼もどうやら落ち着いていないらしい。

 と言うか、朝から何なのだろうか。



「今日って何かあるのか?」

「んー、知らなーい」

「そっかー」



 ヴィクトリアが知っているはずも無かった。

 とは言え、リチャードとエドワードが2人揃ってソワソワしていると言うのは、滅多なことではなかった。

 いつもならエドワードだけが忙しそうにしているのだが、それにしてもソワソワはしていない。

 つまり、今の状況はシスタニアに嫁いできてから初めての経験と言うことになる。



 そして、ふと自分が嫁いできて大分経つことに気付いた。

 1年、はまだのような気がするが、それでも割と長い時間が経過しているような気がする。

 それは、イコールでリチャードやヴィクトリアと過ごした時間でもあった。

 そう思うと、何とも言えないような心地になってくる。



(ま、そんなこと考えてる暇も無いんだろうけどなー)



 今までだってそうだった。

 ベガが何かを思う前に、周囲の状況が変化してしまう。

 そしてその多くは、リチャードとヴィクトリアによってもたらされるものだった。



「失礼致します。お客様が参られました」



 そして、今も。



「「き、来たぁ――――っ!!」」



 いよいよ恐慌状態に陥って走り出すリチャードに、もうポッドから紅茶を直飲みしているエドワード。

 今日はいったい何が起こるのかと思っていたベガだが、この時彼女は気付いていなかった。

 自分自身が、今日の騒動の中心になると言うことに――――。



  ◆  ◆  ◆



 ――――とんでも無い美人だ。

 その客人(・・)とやらを見た時、ベガが抱いた第一印象がそれだった。



「摂政リチャード・アイディアル・シスタニア、補佐官エドワード・パトリオット。息災のようで何よりです」



 声すらも、鈴を転がすような美しさだった。

 黒の法衣(ガウン)と言う酷く暑苦しい格好をしていながらも、僅かに覗く白雪の肌から涼やかな印象を受ける。

 黒髪は光の透け具合で深緑に見える程に艶やかで、髪先をおさげに結って胸元に垂らしていた。

 子供っぽくも見える髪型も、その女性に限っては様になって見えた。



 身長はリチャードより少し低いくらいだろうか、女性にしては高い。

 端に金のチェーンを通した眼鏡をかけていて、それがまた冷たい容貌と相まって、当人により堅苦しいイメージを付与している。

 見るからに、特別な人間であることがわかる出で立ちだった。



「や、やぁ、ミストラル。キミこそ元気そうで兄より……じゃなく、何よりだ」



 リチャードの言葉の端々に、緊張の色が見える。

 無理も無いだろうと、ベガは思った。

 何しろ、本当に美人――美女なのだ。

 溜息を吐きたくなると言うか、言葉に出来ない美人とはこう言う女性のことを言うのだと思った。



(やばい、ちょっと何かレベルが違うの来ちゃったぞ)



 リチャードやエドワードもそうだが、ベガの周囲は美人が多い。

 ヴィクトリアも造形自体は美しいが、年齢や性格のせいもあって美女と言う風では無い。

 それからメイド、彼女達もそれぞれに容貌の美しい者が離宮に集められている。

 ただ今回やって来た美人は、ちょっと格が違った。



 と言うか、何だこの美人度は。

 髪や艶めいている一方で、さらりと頬を流れた一房には枝毛の1つも無い。

 肌は白く冷たい印象を受けるが、しかし触れれば柔らかそうなふっくら感があった。

 ピンと背筋を伸ばして立っている姿も、それだけに絵になりそうだ。

 美人の条件をこれでもかと詰め込んだ女性、それがミストラルと言う名の女性の印象の全てだった。



「…………」



 やべ、と、思わず目を逸らした。

 じっと見つめていたのが不味かったのか、ミストラルがじろりとベガに視線を向けて来たのだ。

 視線を合わせるだけでも緊張が走る美人と言うのは、ちょっと経験したことが無かった。

 それにしても、この美女はいった何者で、何をしに来たのだろうか?



  ◆  ◆  ◆



「彼女は、シスタニアの司法長官なんだ」



 エドワードがミストラルをお茶の準備が整ったテラスへと誘う間に、リチャードがそう教えてくれた。

 司法長官と言う役職についてはやはり良くわからなかったが、リチャードがどことなくビクビクしていると言うことはわかった。

 それほど、怖い相手だと言うことだろうか。



「摂政リチャード」

「ひょっ!?」



 何か奇妙な鳴き声が聞こえた気がした。



「摂政リチャード、まさかわたしに1人で歩けと?」

「も、もちろん。そんなつもりはもちろん無いとも、エスコートしようミストラル」

「しよう?」

「させて頂こう、いやさせてください」



 リチャードは慌ててベガから離れると、ミストラルの手をとってエスコートを始めた。

 そのまま庭園が見えるテラスまで手を引いて歩く、法衣の長い裾と相まって、お姫様のようだ。

 ただお姫様と言うのは、ミストラルは少々表情が少なかったが。



 そして必然的にミストラルと離れることになったエドワードはと言えば、額に手の甲を当てて汗を拭うような仕草をしていた。

 大きく息を吐くその姿からは、やはり相当に緊張している様子が窺えた。

 不思議に思って聞いてみると、エドワードは言った。



「そういえば、お妃様は会うのは初めてでしたね」



 思いついたようにそう言って、エドワードは簡単に説明してくれた。



「彼女はミストラル・ガロウズと言って、国内有数の大貴族の一族です。リチャードとの付き合いは、僕よりも彼女の方が長いんです」

「そうなの?」

「はい。僕が今の仕事に就くのとほぼ同時期に司法長官の地位に上った才媛で、この国の裁きはすべて彼女1人の判断で動いています」



 要は、裁判官の長のようなものか。

 リチャードと同い年くらいだろうが、あの若さで――最も、皇帝からして幼年だが――そんな役職に就いていると言うのは、確かに才媛と言える。

 ただ、それがリチャードやエドワードの様子に直結するとも思えなかった。



「いや、まぁ、後は……見てればわかると思います」

「はぁ……」



 結局、良くわからない。

 エドワードもそれ以上は言葉で説明できないと判断したのか、肩を竦めてリチャードを追って歩き始めた。

 はぁ、と溜息を吐いて自分もついて行こうとしたところで、何かにぶつかった。

 ぶつかったと言うか、そもそもベガに最初からくっついていたのだ。



「どうしたんだろうな、皆」



 くあぁ、と、ヴィクトリアが大きな欠伸をしていた。

 どうやら、変わらないのはヴィクトリアだけであるらしかった。



  ◆  ◆  ◆



 南方の植物を集めて作られた庭園は、左右が不揃い(シンメトリーでは無い)な造りになっている。

 枝葉がしなる落葉樹を多数植えているためで、これらの植物の不揃いな成長を楽しむのがこの庭園の特徴だった。

 植物以外の石材は、やはり白黒の色合いのものを使っている。



「わかっているとは思いますが、皇室と言えど法の下にいます。余り無茶なことをしないように」

「わ、わかっている。わかっているともミストラル」

「そうですか。その割に皇帝陛下を称えるカーニバルを何度も開催している様子ですが」

「け、経済対策の一環として……」

「対策が必要なほど帝国経済は切迫していたのですか。帝国の統治は大丈夫ですか、摂政リチャード」



 足を組んで座る姿も、恐ろしく様になっている。

 同じテーブルにいながら自分とは大違いだと、ベガは思った。

 まぁ、パクパクとお菓子を頬張っているヴィクトリアはこの際置いておくとして。

 そんなヴィクトリアにも、ミストラルはその怜悧な視線を向けた。



「皇帝陛下は、相変わらずのようですね」

「ああ、今日もヴィクトリアは可愛い。もはや可愛いと言う言葉すら生温く感じる程だ」

「黙りなさいこの妹煩悩(シスコン)



 そして今、ベガはミストラルに少しだけ親近感が湧いた。

 そうだもっと言ってやれと思ったのは、多分気のせいでは無い。



「大体、あなたがそんな風だから皇帝陛下はいつまで経っても子供なのです」

「良いじゃないか子供で! 大人なんて汚いものにならなくて良いんだよ!」

「ほう、つまりわたしも汚いと。なるほど」

「い、いやそんなことは無い。ミストラルは今日も美しいとも」



 熱い掌返しである、前言を翻すどころでは無かった。

 ゆっくりと紅茶のカップに口付けるミストラルの目は、やはり冷ややかだった。

 呆れているようにも見える。

 ただ不思議と、嫌悪感のようなものは見えなかった。



 エドワードはこの2人が昔からの付き合いだと言うが、どんな関係なのだろうか。

 ミストラルの物言いに遠慮は見えないが、リチャードは気を遣っている。

 何とも、関係性の見えない2人だった。

 その時、ふとミストラルがベガに視線を向けて来た。



「あなたが摂政リチャードの妃ですね」

「あ、はい」



 ぺこりと会釈すると、目礼が返って来た。

 カップをソーサーに置いて、ミストラルはじっとベガを見つめた。

 何となく緊張していると、彼女は言った。



「実のところを言えば、今日はあなたに会いに来たのです」

「……へ?」

「あなたとお話がしたいと、そう思って来ました」



 感情を読み取りにくい表情と眼差しで、ミストラルはそう言った。

 ベガはぽかんとした表情を浮かべて、ミストラルの美しい顔を見つめていたのだった。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。


ここに新キャラ登場です、テコ入れです(え)

それでは、また次回です。

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