第四十一話 小さな花壇
婚約が成立してから、しばらく経ったある日のこと。
クラリスはアシュレイに誘われ、レインフォード公爵邸を訪れていた。
「クラリス。少し中庭を歩きませんか」
夫人も交えお茶を飲みながらアシュレイの昔話に花を咲かせてひと段落した頃、彼からそう提案され、二人で屋敷の中庭へと向かった。
扉を抜け、しばらく歩いたところで、アシュレイが足を止めた。
何気なく彼の視線を追ったクラリスは、その先にあるものに気づき、思わず目を留める。
中庭の片隅に、ひっそりと小さな花壇があった。
その花壇には、白いマーガレットが可憐な花を咲かせている。
可憐な花びらがそよ風に合わせるように、穏やかに揺らめいていた。
「……かわいい」
どこか懐かしさを感じさせるその小さな花壇を前に、クラリスは吸い寄せられるように歩み寄り、しばらくの間、うっとりとその花を見つめていた。
そんなクラリスの隣で、アシュレイが静かに口を開く。
「白いマーガレットは、クラリスの好きな花ですし……私にとっても、大切な思い出の花です。ですから、この花壇に植えて育てようと思ったんですよ」
そう言う彼の声は、どこか懐かしむように優しかった。
「……とても嬉しいです。ありがとうございます、アシュレイ様」
クラリスはアシュレイの気持ちが嬉しくて、心を込めてお礼を言った後、もう一度、目の前に咲くマーガレットへ視線を戻した。
この花を見ると、心が穏やかになる。
けれど今は、それだけではなかった。
幼い日の記憶を、アシュレイが大切に覚えていてくれた。
そのことを思うと、クラリスの胸がじんわりと熱を帯びてきて、堪らない気持ちになった。
(……今なら、言えるかしら)
リンデ村でアシュレイと共に過ごす中で、自分の中に生まれた一つの願い。
ずっと胸の内に抱いていたその願いを、アシュレイに伝えたいと思った。
アシュレイはいつも、自分の気持ちを尊重してくれた。
どんなことでも、クラリスが自分自身で考え、選ぶことを待ってくれた。
そんな彼だからこそ、自分の言葉で伝えたいと思った。
「アシュレイ様。一つ、お願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
自分の願いをこんなふうに誰かに打ち明けるなんて、クラリスはこれまでほとんどしたことがなかった。
ほんの少しだけ不安を滲ませた彼女の声に、アシュレイは安心させるように優しく微笑んだ。
「ええ、よろこんで。なんでも言ってください」
クラリスは、その言葉にほっとしたように小さく息をつくと、ゆっくりと話し始めた。
「私は……リンデ村で、アシュレイ様と一緒に領地を見て回り、たくさんのことを教えていただきました。領民の方々と直接お話しすることや、そこで暮らす方々のために何ができるのかを考えることが、とても大切なのだと知りました」
そこまで言って、少し目を伏せる。
リンデ村で過ごした日々は、クラリスの中にこれまでなかった思いを芽生えさせていた。
自分の目で領地の様子を見て、そこで暮らす人々の声を聞き、自分にできることを考える。
そんなふうに、人に寄り添い、人と向き合って生きていきたい。
できることなら、これから先もずっと、彼とともに。
かつての自分なら、そもそもそんなことを望むことさえなかっただろう。
リンデ村にいた頃だって、以前よりも前向きにものごとを考えられるようにはなったけれど、そんな未来を思い描くことはできなかった。
これから先も彼と一緒にいられる訳がないと、諦めていた。
けれど、今は違う。
クラリスは、ようやく自分自身で見つけた願いを、大切にしたかった。
これから先、公爵夫人としてアシュレイを支え、公爵家を守ることも、もちろん大切にしていきたいと思っている。
だけど、それだけではない。
クラリスは目線を上げて、口を開いた。
「……私は、これから先も、できることならアシュレイ様と一緒に領地へ足を運び、そこで暮らす方々に寄り添っていきたいと思っています」
クラリスは少しだけ緊張した面持ちで、アシュレイを見つめた。
「領民の方々の声を聞きながら、皆さんのためにできることを考えていきたいのです。……そんなふうに、アシュレイ様のお側にいても、よろしいですか?」




