第三十九話 婚姻の申し出
アシュレイとともに中庭から舞踏会の会場へ戻ったクラリスは、すぐに周囲の様子が先ほどまでとは違っていることに気づいた。
会場のあちらこちらで、貴族たちが何やら囁き合っている。
二人の姿を見つけると、驚いたように顔を見合わせる者もいた。
周囲から微かに聞こえてくる話し声が、クラリスの耳にも届いてくる。
「……アシュレイ様とクラリス嬢が……」
「……バルコニーで、ルシアン様に……恋人だと……」
どうやら、先ほど遠巻きに見ていた貴族たちから、二人が恋人だとルシアンへ宣言していたことが、既に会場へ広まっていたらしい。
そして、そんな二人を待っていたのは、クラリスの両親だった。
「お父様、お母様……」
伯爵夫妻は、二人が戻ってくるのを待っていたようだった。
クラリスが近づくと、伯爵は娘へ視線を向け、それから隣に立つアシュレイへと目を移した。
「二人とも、こちらへ」
静かに促され、クラリスとアシュレイは伯爵夫妻の前まで歩み寄る。
すると、アシュレイが一歩前へ出た。
「エーデルベルク伯爵、伯爵夫人」
そう呼びかけると、アシュレイは深く頭を下げた。
「大変申し訳ございません。私が軽率な行動を取ったことで、会場を騒がせてしまいました」
クラリスは驚いて、アシュレイを見る。
その声には、誠実な謝罪の気持ちが込められていた。
「本来ならば、まず伯爵に正式にお話を申し上げるべきでした」
伯爵はそんなアシュレイを、しばらく黙って見つめていた。
けれど、その表情に怒りはなかった。
「……ではやはり、今騒がれている、アシュレイ殿とクラリスが恋人であるという話は、本当のことなのですね」
「はい」
アシュレイの返事を聞いた伯爵は一つ頷くと、クラリスへと目を向けた。
「クラリス」
伯爵が、静かにクラリスの名前を呼ぶ。
「このことは、お前自身の意思でもあるのだな?」
その言葉に、クラリスは父の目をまっすぐに見つめた。
「はい。私はアシュレイ様を愛しています」
いつになくきっぱりとした娘の返答に、伯爵は少しだけ驚いたように目を見開く。
「……そうか」
けれどすぐに、その表情は嬉しそうに綻んだ。
そして伯爵は、もう一度アシュレイへと視線を向ける。
「アシュレイ殿」
クラリスからまっすぐに愛を告げられ、思わず頬を緩めていたアシュレイは、慌てて表情を引き締めて返事をした。
「はい」
「正直に申し上げれば、驚きはいたしました」
娘の隣に立つアシュレイを見つめる伯爵のその瞳には、温かなものが浮かんでいた。
「……ですが、二人が決めたことであれば、何も申すことはありません。アシュレイ殿になら、安心して娘をお任せできます」
それを聞いたクラリスの瞳に、じんわりと涙が浮かぶ。
そんなクラリスを見て、伯爵夫人も優しく微笑んだ。
「私も同じ気持ちです。アシュレイ様でしたら、クラリスを大切にしてくださると信じております」
二人からの言葉に、アシュレイもまた目頭が熱くなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
そう告げた後、わずかに表情を引き締める。
「ですが、皆様にご挨拶をする前に、あのような形で公にしてしまったことについては、改めてお詫び申し上げます」
「いえ。どうか、お気になさらないでください」
伯爵が、穏やかな微笑みを浮かべて言った。
けれど、すぐにその表情から微笑みが消える。
「以前、クラリスに悲しい思いをさせてしまったことを、ずっと後悔してきました。……父親でありながら、娘の苦しみに気づいてやることができませんでした」
その声に、どこか苦しげな響きが滲んでいた。
「今度こそ、クラリスには幸せになってほしい。私たちは心からそう願っているのです」
そして、再び伯爵の口元に、優しい微笑みが浮かんだ。
「アシュレイ殿ほど信頼できる方に娘を望んでいただけることを、親としてとても嬉しく思っております」
その伯爵の言葉に、伯爵夫人も静かに頷く。
二人の言葉を聞き、アシュレイは静かに息を吸うと、隣にいるクラリスへ視線を向けた。
瞳を潤ませたクラリスが、アシュレイにそっと微笑み返した。
そしてアシュレイは、もう一度伯爵夫妻へと向き直った。
「それでは、改めてお願い申し上げます。……クラリス嬢を、私の妻として迎えることをお許しいただきたいのです」
アシュレイは背筋を伸ばし、真剣な面持ちでそう告げた。
伯爵の表情がゆっくりとほころぶ。
「……もちろんです」
その声には、深い喜びが滲んでいた。
「私どもにとって、これほど嬉しいお申し出はございません。娘をよろしくお願いいたします」
伯爵夫人も、目元を和らげる。
「私からも、お願いいたします。どうか、クラリスをよろしくお願いいたします」
アシュレイは真っ直ぐに頷いた。
「はい。必ず、幸せにします」
その言葉を聞いた二人は、とても嬉しそうに微笑みを浮かべた。
こうして、クラリスとアシュレイの婚姻は、伯爵夫妻の温かな祝福とともに認められたのだった。




